第5話 移住者 新庄幹男 二月十八日 火曜日 昼過ぎ

 鳩時計が午後三時を知らせた。客は三人、加藤と弥重子、そして珍しく翔斗の母親、志都美(しずみ)がカウンター席に座り珈琲を飲んでいた。他愛ない会話を、隣に座る弥重子としているが、窓際の席に座る加藤をしきりに気にしていた。

 加藤が村に来ていると、翔斗か村長にでも聞いたのだろう。

 どこかで加藤と会った事でもあるのか?と考えながら、洗い物のカップを水に通しスポンジでこする。皿、スプーン、フォークを同じように洗い繰り返すと、脳裏に工場勤務時代のライン作業が浮かんだ。

 自動車部品のライン工場だった。昼勤、夜勤、永遠と排気バルブを作り続ける、前工程で完成品となったバルブに、傷や汚れが無いか確認し、通い箱に詰め、ハンドリフトで出荷場に運ぶ、何者にもなれない繰り返しの毎日だった。

 作業中考える、いつかカフェを出したい。いつか。そのいつかが訪れる日がくるのだろうかと燻(くすぶ)る日々の中、西山村の特集をテレビでみた、まだカフェがない村、移住者を募っている村、それを境に西山村のことを調べ、訪れた。

 初めての感想は、静かな村。だが、全国唯一と呼ばれる三つの特質が静かな力を感じさせた。

 一、西山村のみに自生する特産品のジャバライ。二、伝統文化で観光事業でもある川の筏下り。三、和歌山県でありながら隣接する市町村は他県、飛び地の村とよばれ独立したような状態。

 孤高な村。子供っぽい考えだと感じながらも、この村に惹かれてしまった。いつかを叶えるなら、自分が何者かになるなら、この村ではないかと感じながら、村の土を踏みしめ歩いた。

 村役場で移住相談会が行われた、三組の若い夫婦、独身は自分一人だけ、会議室で説明する職員も子育てに関して時間をさいていた。

 村は子供が欲しいだろう、独身は求められていないのかと、肩を落とし役場を出ると、声をかけられた、村長だった。電話相談会があるから番号を教えろといわれ、交換した。

 一週間に一度ほどの頻度で電話がきた。空き家があること、融資制度のこと、飲食店勤務の経験はないが問題ないこと。そして移住するのが本気なのか。

 懐かしい記憶に浸っていると、ブレーキ音が聞こえた、店の前に役場の車が止まった、村長が降り、勢いよく開けたドアを閉めず走って店に駆け込んだ。

「おい、姉ちゃん、新庄、敏江さん今日みたやろ?」

 敏江と聞いて、瞬時に奥歯を噛み締める。

「敏江さん?毎朝散歩してるよな?」

 目を丸くしながら弥重子が答えた。

「おまえもみたか?」

 額に玉汗を浮かべた村長が、早口でいうと同時に駐在が入ってきて、口を開いた。

「新庄君、敏江さん七時ごろ?」

 店の前を毎日覗きこむよう散歩してる敏江の姿が浮かぶ。怒りで噛み締めすぎ痛くなった顎を緩めてから、

「いつもそんな時間じゃね、歩いてんの」

「はよせいや、捜索隊組んまなかんし、放送もいれなあかん、遅くなれば見つからんやろ」

 口を大きく開いて怒鳴る村長を、駐在は目だけで顔色を伺っていた。 

 ―敏江が行方不明?・・・

「その時間やと思うで」

 弥重子は村長に怒鳴られたからか、ギョロ目を左右に泳がせてから、そうよな?新庄君、と目配せにも思える視線を送ってきた。耳に昨日の君恵の言葉が浮かぶ。

 ―みんな顔見知りでしょ、嫌味な人とも仲良くせなと思って、みんな愛想良くして、話合わせるんよ、そしたら何も問題ないの。

 弥重子を見ながらゆっくりとうなずいた、その時間ではないかと。

 そのやりとりをみていた駐在が、カバンを開けメモ帳を出し用紙を一枚切り取る、目撃者、新庄幹男と書き込んでから制帽を取り、白髪交じりの頭をボリボリと掻いた。

 俺の名前を書くの?とたずねようとすると、村長が先にいう。

「わし役場に戻って、アナウンスいれるからな、新庄、後で捜索に参加しろよ」

「急がしそうだな、今日の晩飯は他で食ってくる」

 静かに珈琲を飲んでいた加藤の声がきこえた。

「加藤すまんな、わし役場に戻るじょ」

 去り際、駐在に頼むぞ、といって村長は小走りで店を出た。タイミングを見計らっていたのか、志都美が、「これ」と、か細い声で料金をちょうど手渡し出て行った。

 テーブルに残ったカップを片付けてから、ペンを走らせ続けている駐在に、並々と水を入れたグラスを差し出すと水を一気に飲み干した。

 もう一度メモ帳に目をやる。やはり、自分の名前が書かれていた。やっぱ、見てないと声を上げようとしたが、時おり首をかしげながら、黙々と書き込み続ける駐在に、いい出せなくなった。

 ―まぁ、いいか。狭い村だ、ひょっこり出てくるだろ・・・

 こめかみの辺りを掻いて鼻をすすった。 

「敏江ってのは家どこなんだ?」

 煙草を咥えた加藤がいった。

 灰皿を渡すと駐在が失礼といい、ライターを取りだしてからいう。

「この店の裏の人でな。毎日交番に顔出すんやけど今日はこやんから、家に覗きに行ったら、いてなくてな」

 煙を吐いてから、駐在が顔を向けたずねてきた。

「毎朝話すけど呆けてなかったよな?」

 顔をマジマジとみられた、答えに詰まると弥重子が口を開く。

「たまに、おかしなるんよ。人の文句いってみたりな」

 本当そうだよ、と日頃の鬱憤と共に言葉を吐くと、用紙に軽度認知障害あり、と書き加えられた。

 人の悪口をいう部分に賛同したつもりだったので、一応断りを入れる。

「認知症かどうかは知らんよ?」

 スラスラと悩む事なく書き込む駐在が一旦手をとめた。そこへ弥重子が口を挟む。

「えんちゃう?軽度やろ?」

 それを聞いて、素早く一度顎を縦に振った駐在が、

「高齢化でな、全国この手の行方不明多いよ」

 いい終わると灰皿に煙草を押しつけ、折りたたみの携帯を出しながら、ゆっくりした動作で外に出ていった。

 ―こんな適当でいいのかよ・・・

 そう思いながら、蛇口をひねって出した水にグラスを通すと、外の防災スピーカーから上り四音チャイムが鳴り、アナウンスが入る。

 ―こちらは、西山村役場です。行方不明者についてお知らせします。本日午前七時頃、西山村上尾井にお住まいの陣内敏江さん、七二歳女性が、自宅を出たまま行方不明になっています。お心当たりの方は、新宮警察署西山駐在所までご連絡ください。 

 同じ内容をもう一度繰り返し、下り四音チャイムが鳴り終わった。

 店内に戻ってきた駐在がメモ用紙を片付けると、ありがとうといって、ゆっくりと出て行った。

「のんびりしたポリだな」

 小型パトカーが走り出すのを窓際から眺めていた加藤がいった。

「定年まで、ゆったりやるんでしょうね」

「優秀な奴は和歌山市内に配属されるんだ、田舎はロクでもない」

 残りの珈琲を飲み干した加藤は、立ち上がってから続ける。

「家に着替え取ってくるわ、一週間も宿押さえてくれてよ」

 くわえ煙草の加藤が、釣り銭はいらんといい千円札を二枚、テーブルの上に置いた。引き戸を引く後ろ姿に、お気をつけてと声をかけた。

 大げさに椅子から立ち上がった弥重子がいう。

「これから日が暮れるまで敏江さん探すんちゃう?見にいこら」

 誘われるがまま外へ出てる、弥重子の足取りが軽快で、どこか愉快そうだった。家の裏に回ると敏江の家の前で、村人が四人集まっていた。

 玄関に向かい、敏江さんおるかの?とたずねる人。口々に今日?朝?どこ行ったんやろ、川に落ちたん?ときこえてきた。弥重子が歩いて輪の中に入っていくが、加わる気になれず、すぐに来た道を戻りながら考える。

 この状況で店を営業していいものか悩むが、捜索が行われていない時間だけであれば、問題ない気もする。

 必要なものを思い浮かべながら来た道を戻り、店の前につくと加藤の車が通った、クラクションを鳴らされたので頭を下げると、そのまま新宮方面に走っていった。

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