第4話 破門者 加藤清宗 二月十八日 火曜日 朝
目覚めて村長の家から外に出ると、村は濃い霧に包まれていた。その中を歩いていくと、頬がしっとりと湿った。
高台から見ると西山村は濃霧に覆われ、周りの山が雲の海に浮かんだ島のようで、雲海と呼ばれており、観光客向けに雲海ツアーが組まれていると新庄からきいた。
煙草が切れかけたので車を走らせた。翔斗の話を思い出し、辰川の電話を鳴らす、起き抜けの不機嫌な声が聞こえたが、無視していう。
「兄貴、山岡俊希って覚えてるか?十二年前に三ヶ月ぐらい組にいて飛んだ奴だ」
一瞬間が空いてから辰川が答える。
「知らんで、それがどうしたよ」
「息子が村におって、知らんかっていうんだよ。俺、俊希に木刀でヤキ入れてよ」
「それが原因で飛んだん?」
多分そう、と答えると辰川がそんな事より、なんかわかったんかと聞くので、まだというと説教し始めたので、通話を切ってハンドルを両手で握り直した。
ダムの天端を国道一六九号が通っている。ダムを抜けると三重県に入る。県道七三八号を進み、熊野市中心部へ続く三四号八色峡線を走る、囲む山は混成林だった。土砂崩れを起こせば道は遮断される、ただ細い峠道だった。西山村から四十分ほどでコンビニがあった。駐車場に止め、降りる。道を走る車、ガソリンスタンド、町の風景が目に入ると何故か安堵した。村があまりにも寂しすぎたからか。
煙草を買い、店前で火を点ける。出勤途中のスーツを着た人間を見て、昨日の村長との会話を思い起こした。
人生やり直すなら、会社員やるか? もう一回ヤクザやるよと答えた、本心だった。
十二歳の時、両親が和歌山市に住む親戚の仕事を手伝うため、名古屋から引越した。 名古屋弁と馬鹿にされ、舐められないよう突っ張った。喧嘩に明け暮れ、十七歳で暴走族グループを率いた。
大晦日の夜、紀三井寺に飾られていた日本国旗を盗み、戦国武将の馬印の様に単車に取り付け、敵対するグループがいる御坊市に乗り込んだ、日高川に架かる天田橋でかち合った。圧倒的な数の違いに負けそうだった、特攻服のズボンからガソリン入りの瓶を出すと、まき散らし火をつけた。敵味方関係なく燃え次々と川に飛び込み、敵は一目散に逃げていった。その様子を見ている人間がいた。後から知ったが、辰川だった。
この事件が原因で奈良少年院に入る、中での思い出といえば、大手ドーナツ店の社長が奈良少年院出身で、更正を願ってなのかドーナツが出た記憶しかない。
卒院の日、母親はそそくさと帰ってしまった。どうしたものかと道の縁石に腰掛けると、黒塗りの高級セダンが止まり、辰川が顔を出した。
「ヤクザはどんなけ不利でもな、おいコラでひっくり返せば飯食えるんや」
そういうと、辰川の子分が後部座席を開けてくれた。出所した極道の気分になり、気持ちに流され乗ってしまった。その日からヤクザとしてのキャリアがスタートした。
煙草を吸い終わると西山村に引き返す。同じ道だが、下りのきついカーブが多い。スピードを落としながら、慎重にハンドルを握って操作した。
村内に戻ると、国道の落石防護策工事を請け負っている、工事関連の作業車数台とすれ違った。トラックの横に野元工業と書かれていた。二代目と同じ名字の会社名を忌々しく思い、睨み付けた。
新庄の店に行くにはまだ早い。予約してもらった民宿を過ぎると南へ車を走らせる。対向車線側に道があった、やる事もないのでウインカーを出した。
トラック一台分ほどの幅があり、山の中へ続く一本道のようだ。
ウネった上り坂を行くと、道沿いに背丈ほどの黒いスチールフェンスが続いていた、草木が茂っており中は見えない。フェンス上に有刺鉄線が頑強にグルグルと張られている、猿かそれとも人間の進入を防いでいるのか、念の入れ方だった。
さらに進んでいくと、フェンスが途切れ、伸縮式のカーゲートになっていた。車から降りると、敷地内から二頭のドーベルマンが睨み吠え走ってきた、カーゲートの隙間から顔を覗かせ、牙を剥きだしていた。すぐに犬を呼ぶ声が聞こえる。
「戻ってこい」
とても低く響く声だった。犬達はその声を無視し吠え続けている。
「ごはん」
その単語を聞くと二頭はサッと振り返り、迷彩服を上下に着込んだ、低い声の男を目がけ走っていった。
―なんて格好しとんだ・・・ ゲートの向こう側には、カーキ色の軽トラック、ミニショベル、二台のトレーラーハウス、大型発電機、丸太で組まれた作りかけの土台。
迷彩男がこちらを見ていたが、犬を連れてトレーラーハウスの中に入っていった。
村の集落を離れ住んでいるこの男が妙に引っかかる。新庄か村長なら、この男を知っているだろう、そう思い車に戻り一本道を進んでいった。
十一時、引き戸を開け新庄の店に入った。先客はカウンターに一人、窪んだ黒目がギョロギョロと動く婆さんだった。その目でこちらを見てから、チロリ、チロリと蛇の様に舌を何回か出す。席を一つ空け座った。
―ポン中かこいつ・・・ おかしな言動をする奴はポン中呼ばわり、それは昔からのクセだった。
「加藤さん、カルボナーラ食べれます?」
新庄がたずねながら、水が入ったグラスをよこした。
「味は濃いめがいい」
「任せてください」
得意料理なのか、笑みを浮かべて新庄が用意を始めた。
昔、辰川にいわれた事が頭をよぎった。焼肉を食べに行った。辰川にどうや、と聞かれ、肉は美味いがタレが薄いといった。それを聞いた辰川が、おまえは名古屋人やから、美味い不味いやなくて、濃いか薄いか、それが味の判断基準なんやと。
グラスに浮かんだ氷を指で一度つつき、横目でギョロ目の婆さんを見やると、
「村長のお姉さん、弥重子さんっすね」
視線に気付いたのか新庄にそう紹介された。軽く弥重子に会釈してからに聞く。
「婆さん、長く住んどんの?」
コクリとうなずくと、珈琲をすすった。
「山で遭難した人の事覚えとる?」
たずねると、弥重子がカップを置いて、
「組長さんの事やろ?私も一緒に行ったんやで」
話が早いな、と感じた。
「他に誰が入った?」
「古久保さんやろ、弟やろ。あと、あ、村長は入ってないわ、入り口までやわ、後は、ヤクザの人、後だれやったかな・・・」
最初に名前が出た古久保の所在を聞いた。
「行方不明なんよ、家出て帰ってこんの」
口角を上げながら話すそぶりは、薄ら笑いを浮かべているようとれた。
村長も入り口まで。直接山に入り、この村で話しを聞けそうな人間が弥重子しかいない。
「ヤクザみたいな人は一人やったな、組長さん聞いてたやろ、もっと付いてる人がいてると思ったけどな」
「なに?一人?」
―二代目と押田は一緒じゃなかったのか・・・
テーブルに肘をつき、組んだ手に顎を乗せると弥重子が口を開く。
「安藤さんや、その人と話に華が咲いてね、組長さんがおらんなったの全然気づかんかったんよ」
「その山ってのは年食った人でも行ける山なんかて?」
口元を手で押さえ弥重子が笑う。
「あそこな、木材の道っていわれてる所でな、ハインキグコースよ。さすがに登山は私では無理」
いい終わると、チロリと舌を出し珈琲を飲み干した。
カルボナーラをテーブルの上に置きながら新庄がいう。
「お待たせっす」
箸で掴み、そのまま啜った。濃厚だった。
「ソースにカマンベールチーズを半分入れてあるんすよね」
「そうか、夕飯が楽しみだ」
大きくうなずいた後、新庄は背を向けて洗い物を始めた。
「山の中でドーベルマン飼っとる奴おるだろ、あれなんだて?」
振り返った新庄の顔が少しだけ曇っているように感じた。
「村長から聞いたんんすけど、防衛施設を作ってるって。例えば、ゾンビから身を守る」
口の中の麺を吹き出しそうになる、だが新庄の顔は笑ってなかった。
「狩りしながら住んどんのか」
「狩猟免許は持ってないっすよ」
防衛拠点作ってる人間が狩猟免許を持って無いことに首をかしげた。
―銃がなきゃゾンビから防衛できないだろ・・・
ガタリと音を立て椅子から立ちあがり、財布から珈琲チケットを出しながら弥重子が、
「久図木君やろ?大阪の久図木不動産って会社の息子よ。四十ぐらいかな?そのお父さんが山買って、そこで作らせてるんよ、そうそう九図木君も山入っていったんやわ」
「あいつも一緒だったんか」
「まぁ、ちょっと問題ある子やからなぁ。村長と社長が仲良くてよ、それで息子の面倒みてるのよ」
そういうと、店から出ていった。弥重子に手をあげ、礼をいう新庄の目がどこか暗い、九図木の話題が出てから様子が変わった。
「九図木って何かあるんか?」
かぶりをふりながら新庄が答える。
「いや、なんでもないっす、珈琲入れますね」
そういうと、新庄は手際よく銅のポットに火をかけた。
九図木のことを突っ込んで聞こうとしたが、自分に対し気を使い話しているのがわかる、早急に口を割らせる気になれなかった。
視線を感じ窓に目をやると、紫色の毛糸帽をかぶった老婆が背伸びをして、店内を見渡し最後にこちらを見ると、わざとらしく先に顔だけフッと横に向けてから去っていった。
仕草、顔つきから底意地の悪そうな奴だと感じた。
水の入ったグラスを掴んで飲むと、新庄が戸棚から青いキャニスターをとった、スプーンで珈琲豆をすくいグラインダーに入れた。豆を砕く音が小気味いい。粉をフィルターに振ってから銅ポットを持つ。銅が落ち、くずんだ色あいのポットだった、細く湯を注ぐと香りが漂ってきた。
濃い珈琲を飲み干し、店前で煙草を吸っていると、新庄が出てきた。西山川でも見ませんか?と。
公園を横切り川の畔(ほとり)へ続く階段をおりると、土の上に苔が厚く生えていた。踏み歩くたび、柔らかに沈む感触がする。鳶が鳴き声を上げ、空を優雅に舞う姿をみていた新庄にきく。
「昼時だけど村人は店にこんのか?」
腰に手をあてた新庄が、川に向かい少し大きな声で話しはじめる。
「きいて下さいよ、わざわざ店覗いて噂するババァがいるんすよ」
さっきみた老婆のことを話すと、「そいつが、店で食ってる村人は家で飯作ってるのか?とか、わざわざゴミ袋漁ってカップ麺出てきたら、あの女は料理できないとか、それで出てった子がいるんすよ?マジでぶっ飛ばしてやろうかなと思いますよ」
唾を飛ばし口を尖らす新庄の拳が強く握られていた。
「怒って判断したことって、後々後悔することばっかだったて。ほれ、この様だ。俺はいまだにやっちまうけどな」
手を空にかざすと、欠けた指の向こうで太陽が煌めいていた。
「気をつけます、でもいつもやれないんすけどね」
気持ちが和らいだのか、対岸を指さしながら新庄が説明する。
「あっちまで六十メーターぐらいありますね、ここから少し下流で夏になると丸太を組んだ筏(いかだ)で川を下るんすよ、観光客で村も賑やかになって、店も助かる」
顔に光が当たり、表情が余計に明るくみえた。
どこからか犬の鳴き声がした、声は反響し川を抜け、また耳に戻ってきた。
「すごい木霊(こだま)でしょ、この響きを嫌って獣が村には降りてこないって聞きました」
そうか、とうなずいてから、平らな石を拾って川に投げる。水を切って石が跳ねていった。
「おまえ、どこ出身なんだ」
「静岡っす、ずっと工場にいましたけど、三年前にきちゃいました」
「飲食店かと思った、おまえの飯はうまいよ」
頭を下げ新庄が礼をいった。
「今、ヤクザって人が減ってんすよね?この村みたいに」
「似とるな。高齢化に人口減少」
「戻りたいっすか?ヤクザに」
返答に迷ったが、素直に口をひらく。
「本音をいうと戻りたい、若頭が引退する時、一緒に辞めようって決めとってよ」
「好きなんすね、その人が」
鼻で笑って答え、川に目をやると風が吹き抜け水面に筋を作る、その横を白色のコイが泳ぎ、尾をふるたび太陽光がキラキラと連続反射した。
「加藤さんってシノギって何してたんすか?」
「同じヤクザに恐喝だよ」
「捕まらないんすか?」
「ニュースで恐喝の被害者がヤクザって聞いたことないだろ?」
新庄が首を横にふったきり、口を閉じてしまった。夜飯も大丈夫か?ときくと。
「今から手塩にかけて夜の仕込みします。暇だったら珈琲でも飲みに来て下さい」
そういうと、小走りで階段を登っていった。
一旦民宿に戻ろう、そう思い後を追いかけるように、その場を後にした。
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