第3話 移住者 新庄幹男 二月十七日 月曜日 夕方

 客一人いない店内、耳鳴りがするほどの静けさから逃れるため、乾いたタオルで窓を撫でる。拭くたびにピシピシと音が鳴った、力を入れて叩けば簡単に割れるガラスと自分が重なり、手が止まった。

 薄い人生だ、この村でなにも変えることができなかった。そう考えると、自分を変えようと決断した高校の卒業式が頭に浮かんだ。

 卒業式当日、携帯電話を捨てた。学校生活に不満があったわけでもない、友人関係も悪くない。ただ自分が何者でもないことが気に入らなかった。リーダー格の取り巻きの一人、騒いで目立ってるグループの一人、化粧が濃い女子生徒の彼氏、それが学校での自分のポジション、他の生徒からの認識だった。

 式が終わり、涙する者、記念撮影する友人達、好きでもないのに付き合った彼女を横目に学校を去った。嬉しかった、もうこれで顔を合わせることがない、グループの一員から抜け出せた。

 帰り道を爽快な気持ちで自転車を走らせる、太陽光を乱反射し、輝く川の橋上にくると着信音、彼女から。振るえる携帯を握りしめて、

「童貞卒業ありがとよ!」

 そう叫んで、おもいっきり投げ捨てた、着水した瞬間に沸き立った波紋をみて、熱い気持ちが胸に燃えた。社会に出て必ず何者かになってみせる。

 熱い思いを抱いたあの日から十五年以上たった今、何も積み重ねることなく、誰からも認められない、そんなガラスに映る自分の顔が情けなく写り、大きく息を吐いた。

 もう誰もこないな。そう思い、店を出ると夕暮れの合図、童謡夕焼け小焼けが屋外スピーカーから流れた。

 何故定時に音楽が流れるのか村長に聞いた事がある。防災無線の試験放送で、本来は夕暮れを知らせるためではない。今度、俺のラップでも流すか、というので愛想笑いで返した。

 村長は登庁前店に寄り、経済誌を難しい顔で見ながら珈琲を飲む。村人から坂本さんが村長になってから、ジャバライの売り上げがさらに伸びたと耳にしたので、村営能力は高いのだろう。

 店前の国道一六九号を渡った先には、周りの山々をモチーフにした、三角形が連なる屋根のコンビニと、日帰り温泉が隣接している、コンビニとはいっても九時から十九時まで営業の土産物屋だ。

 駐車場に工事関係のトラックが止められ、煙草の箱ぐらいの太さをした長い木材が、荷台からはみだし積まれている。

 現在、温泉は改装工事中で、三月末にリニューアルオープン、とガラス張りの自動ドアに張り紙されている、それに合わせ宿泊施設も休業していた。

 四十台ほどの車が止めれる駐車場を抜けて、左右確認もせずに道路を渡ると道の駅も兼ねた公園だった、こちらの駐車場も広く、八十台ほど止めれるスペースがある。右に瓦屋根の観光センターがあり、枯葉が風に乗り地面を走っていた。

 このままセンター裏にある西山川を見に行こうと歩を進める、濃い翡翠色の川は上流下流にあるダムに挟まれて人造湖としての役割を果たしている。この色の美しさに惚れて、この村に移住したのだ。

 観光センター前で、後ろからクラクションを鳴らされ振り向くと、エコカーセダンの助手席に村長が乗っていた。

「店ほったらかして、何してんよ」

「暇なんで散歩でもしよかと」

 車から二人が降りてきた。村長が隣に立つ、細身で少し大きめの黒ジャージを着た男を紹介する。

「加藤清宗や、両手合わせて六本しか指がない」

 そういいながら加藤の両手をとり、見ろといわんばかりに、手を近づけてくる。

 両手の小指と薬指が無い。欠損した指先が骨の形をかたどって丸みを帯びている。加藤の顔をうかがうと額に目がいく、縦に線が入っていた。木刀で叩かれ古傷だと思えた、口元に笑みをみせているが眼光は鋭い。目が据わっているとはこういうものか、と初めて感じ気軽に年下の自分が、タメ口を使うことを躊躇させた。

 センター横にある自販機から、学生服を着た山岡翔斗が目を見広げ、手に持ったスマホをタップしていた。村長が翔斗に声を掛け、話終えると翔斗は自転車を立ち漕ぎしながら走り去った。

 加藤の指を見つめながら尋ねる。

「ケジメってやつっすか?」

「行儀悪い事したからだて」

「こいつはな、もう落とす指がないから、なにやってもケジメ無し、おとがめ無しの加藤いわれてるんやで」

 唾を飛ばして村長は説明するが、それが良いのか悪いのかわからなかった。 

「詰めた指、右の方が長いんだて、左手は短くやりすぎたわ」

 少しでも長い方がいいだろ?とでもいうように、加藤が両手を合わせみせてきた。若干欠損した右指のほうが長い。

 名古屋弁だろうか、イントネーションが怒った感じを受け、肩に力が入り奥歯を噛み締めていることに気付いて、深呼吸しながらうなずいた。

「おい、こっちこいや」

 村長が邪祓(じやばらい)神社を指さし歩いて行く。

 ジャバライはこの村にしか自生していない、柑橘類の一種で村の特産品として、ジュースや飴などに加工され、主にネットで販売されていた。

 邪を祓う、という意味を込め、村おこしの一環として、この神社も立てられた。

 二メートルほどの鳥居の額束と、境内に祀られた御神体の石には、邪祓大明神と書かれている。小ぶりの神社だった。

「この神社はな、俺が作ったんよ」

 そういうと、鈴緒をガラガラと揺らし鳴らし、手を合わせた。

「邪祓って漢字で書くと物々しいな」

 御神体を見ながら加藤がつぶやいた。

「御朱印代わりに観光センターで、邪祓スタンプ押してもらえますよ」

 村長の手前、一応ガイドの仕事をする。

「邪を祓えって意味で邪祓よ。昔、木を切ってな新宮まで川を下って、持ってく筏師の安全を祈って、ジャバライの果汁をふりかけたんよ、それを俺がジャバライミストっていうて、消臭スプレーにまぜて売ったら、除霊効果もあるって噂になって、大ヒットやで」

 手柄を上げた事に満足そうな村長は満面の笑みを浮かべた。

「そういう歴史があると売れるだろうな」

「俺が作った嘘歴史やけどな?」

 嘘?加藤と同時に声をあげた。

「よくいうやろ、この村の歴史は選挙に勝った奴が書くんや、そんな果汁振りかけて意味あるわけないやん」

 大声で笑い飛ばす村長に、開いた口がふさがらないが加藤は嬉しそうだ。

「新庄、俺の家に車をまわせ、宴会や」 

普段なら運転してくれよ、というが加藤の迫力に気圧され、鍵を受け取った。


国道を挟んで南は西山川、北側に三角形屋根のログハウスが村長の自宅、歩道と敷地の境にコニファーが植えられていた。庭に入ると着色材が散布された、艶やかな緑色の芝生の上に、煉瓦を敷き詰め作られた小道が玄関まで続いている。

 ドアが開き、村長の妻、君恵が迎えてくれた。まくりあげた袖から伸びる腕は細く、指の骨が浮き出て、痩せすぎだと会うたび思う。村長から嫁とは同い年だときいていた。

 最後に入りドアを閉めると、何故か君恵にハイタッチで挨拶をされ、食事の準備をしていたのか手が少し濡れていた。

 リビングには暖炉があり、それを囲うよに置かれたソファーに三人は座った。テーブルには焼酎、ウイスキー、レモン色に熟れ半分に切られたジャバライが置かれている、一見すると、時期の早いみかんに似ている。

 ふと、部屋の隅にレイアウトされた水槽に目が行く、小魚が泳いでいた。

「なんの魚?」

「ブラックバスよ、大きい個体は二階におるで」

 は?と息を飲んだが、加藤は表情を変えずいう。

「違法だがや」

「俺がダムに放してから、釣り客が倍に増えたんやぞ」

「ヤクザな生き方はやめたんだろ?」

「生き様捨てても、芸は捨てるなっていうだろ」

 腹を押さえて加藤は笑い、君恵がニコニコしながら相槌を打ってから立ち上がり、キッチンに向かった。どこが良くて結婚したのか聞きたくなった。

 トレイに料理を乗せている君恵が加藤に勧める。

「焼酎にジャバライ絞るといいですよ」

 手早く村長がガラスコップに氷をいれ、水、焼酎、水の順で入れてから果汁を搾り、マドラーで一度だけ混ぜた。これがベストだ、と加藤に手渡すと一口飲んでから目を何度も瞬(はばた)かせる。

「不思議な味だな、レモンやライムより、重い・・・いや深い」

「やろ?これがジャバライよ、この村で百トンは収穫できる、年間三億タッチの売上げが見えてきた」

 そうか。と加藤がうなずくと、ふいに視線をこちらに向けいう。

「移住して、住人とは上手く行っとんのか?」

 聞かれた瞬間に、憎たらしい敏江の顔が浮かんだ。村長夫婦の顔色を伺いながら、良好っすと答えると、君恵が口を開いた。

「みんな顔見知りでしょ、嫌味な人とも仲良くせなと思って、みんな愛想良くして、話合わせるんよ、そしたら何も問題ないの」

「おかしい奴のためにみんな我慢しとんのか」

 大げさに大きく首を縦に振ると、チャイムが鳴った。

 だれや?と村長が玄関に向かいドアを開けると、背中越しに翔斗の顔が見え口が動く、加藤さん、と小さく聞こえた。は?と加藤の間の抜けた声が耳に届く。

 翔斗を部屋に招き入れると、テーブルの上に色味の抜けた週刊誌を置き、見出しを指さした、露木組最新人事。

「本部長の加藤清宗さんですよね?」

 翔斗がペラペラと雑誌をめくり、加藤の映った写真のページを開く、新本部長と書かれていた。

 駐車場で加藤を見かけ気付いたのだろう、何故こんな雑誌を持っているのか疑問だった。ヤクザに憧れを抱くとは到底思えない、いたって普通の中学三年生。

 加藤が頭を掻きながら、口を開く。

「何年前の記事だて」

 頬を赤らめた翔斗が古本屋で買ったといい、加藤を真剣な眼差しで見つめ、深く息を吸いこんでから話はじめる。

「僕の父さんを知りませんか?露木組だったんです、山岡俊希っていいます」

 一度言葉をきってから続ける。

「僕が小さい頃にいなくなったみたいで、会ってみたいんです」

 暖炉からパチパチと木が焼ける音だけが部屋に響いている、誰も口を開かない気まずさに耐えられなくなり翔斗に聞く。

「お母さんは何ていってるの?」

「知らないって、でも知ってると思うんです」

 翔斗は唇を内側に入れ、口を一直線にしてから小声でいう。

「母さん働いてないのにお金あるんですよ、だから、父さんが送ってくれてるのかなって。それでお礼を」

 恥ずかしそうにうつむいた翔斗をみて、何とか合わせてあげたいなと思う。加藤はジャバライを見つめている、表情からは読めないないが、知ってるのではないか?と感じたずねる。

「知り合いなんすか?」

「ちょっとまて、思い出す」 

 村長と目が合うが無言だった。加藤はスマホの画面を翔斗に向けながら口を開く。

「期待して欲しくねぇが聞いたるわ、これ番号だ」

 口元を緩ませた翔斗が、表示された番号を読み上げながら画面をタップしている、ほどなくすると加藤の端末が鳴った。

「お願いします」 

 そういうと翔斗が頭を下げた、何故かつられて自分も下げていた。

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