第6話 破門者 加藤清宗 二月十八日 火曜日 夕方

 和歌山市内に着いて城北通りを進む。アロチのメイン道路、柳通りに入るため、十字路交差点で止まった。長時間運転をして、かすんだ目で通りを眺めると道行く人は少ない、自分が十代の頃、まだアロチも活気があり人通りもあった、脳裏に当時の光景が甦る。

 初めて小指を飛ばしたのは十九歳だった。

 理由は、兄貴分を殴り飛ばしたからだった。

 その兄貴分は、人を選んで威張り散らし、多組織とのトラブル、抗争になると人が変わったように口数が少なくなり、事務所にも顔を出さなくなる。若い人間から、ヘタレ野郎、と影で呼ばれていた

 ある夜、アロチを夜回りをしていると、前からヘタレ野郎が女を連れ立って歩いてきた、気付かないふりをしやり過ごそうと、歩く酔客に紛れていると、挨拶ぐらいせいやと怒鳴り声が聞こえ煙草の箱が飛んできた。引き波のように人々が離れて行った。

 立ち止まって成り行きを見守る人もいる。ここで自分が謝れば噂が広がる気がした、ヘタレの加藤と。

 ―喧嘩は絶対に引くな・・・

 念仏のように辰川にいわれてきた言葉が頭の中を駆け巡った。

 しかし身内同士の喧嘩は厳禁、そのうえ加藤に非がある。

 処分されるかもしれない。

 カタギの前で、ヘタレ野郎に頭を下げた自分と、処分された自分を天秤にかけ重さをはかる。

 気付くと、足下に血まみれのヘタレ野郎が転がっていた。

 次の日、ふてくされ部屋で寝ていると辰川がきた、左手小指が包帯でグルグルと巻かれていた。指を落としていた。

 指は人のために落とすんや、おまえもケジメで小指飛ばせ。一緒に親分のとこ謝りにいくぞと。辰川は自分の為に小指を落としてくれたのだ。

 その日以来、実の両親以上に自分を思ってくれる辰川のために、ヤクザをやろうと心に決めた。

 露木組内で実力者辰川の擁護もあり、今回の件は謹慎という大甘な処分が決まった。

 それ以降、辰川の命令は絶対になり、一緒に暴れ回った。

 ハンドルを握る手をみる、残った指は両手三本ずつ。自分のメンツやプライドを重んじた結果落とした指ばかり、人の為に指を落としたことは一度もなかった。  

 ラウンジやキャバクラが入るビルの前で見知った顔があった。何かトラブルなのか、若い男と、くたびれた中年の黒服が言い合いをしている。黒服は露木組、若い男の一人は大阪のヤクザ。車を左に寄せ止め降りる。無料案内所の前で様子をみていたキャッチに話しかける。

「揉めてるのか?」

 笑顔を浮かべキャッチが答える。

「なんか因縁つけてるみたいです」

 肩を揺らし引き笑いをしながらキャッチが続ける。

「何もできないんすかね」

 他県の組織にもカタギにも舐められたものだと思い、舌打ちをし近づいていく。

 黒服は露木組幹部荒木の店で使われている。荒木は市内でスナックや居酒屋を経営していた。食えない露木組の人間はその店で働いている。黒服もその一人。

 若い男のほうは布瀬直也、二十代後半。大阪の西成に本家を置く組織の組員だった。

 その組織の若頭とは、歳が近い事もあり昔から付き合いがあった、現役時代、義兄弟の杯を交わしていた。破門されてからも、変わらず付き合いがある。

 布瀬は元々組長の運転手を勤めていた。組長に付いて他組織への顔見せ期間で、若手のエリートが担う。喧嘩もできないシノギも無い半端な黒服では相手が悪い。

 兄弟は元気か、と後ろから声を掛けると、布瀬が振り返って息を飲んだ。

「加藤さん・・・」

 黒服を怒鳴りつけていた声が静まった。

「兄弟に久々に連絡しよかな、会いてぇな。それより揉めとんの?」

 そうたずねると、布瀬が最悪な店だと吐き捨て、腕を組む。

 詫び入れてるじゃないか、と黒服が口を挟み、またいい合いになった。

「俺よ」

 口を開くと、二人が黙った。

「昔兄弟にいわれて、ハッとした事があんだよ。二人でおるとき大阪のヤクザと揉めてな、俺は相手の謝り方がなってねぇ、って怒鳴りまくったんだよ。そしたら兄弟が、相手の対応を誠意と見るか悪意と見るか、それも器量じゃねぇか?ってな。そういわれたんだよ。別に、お前に器量が無いってわけじゃねぇぞ?その事ずっと頭に残っとってよ。おまえいい兄貴もったがや、羨ましいて」

 作り話だった。もし布瀬がこの話を兄弟にしても、俺そんな事いったかな?と笑っている姿が想像できた。

 押し黙り目をそらした布瀬の顔は、計算しているようだった。自分の兄貴分を褒められて、ましてや兄弟分の人間に突っ張っていいものか。

 こっちで話そうといい、三人で路地を一本入ると、右に廃墟と化した病院、伸び散らかした草の隙間から、安っぽいステンドグラスの窓が覗いている。対面にコインパーキングがある、八番と地面にペイントされたスペースに、一台だけ商用バンが止まっていた。人気が無い事を確認して立ち止まり、布瀬にいう。

「悪いけどよ、ここは一旦持ち帰ってくれ、兄弟には俺から電話しとくでよ」

「なんで俺が引かなあかんのですか?」

 顎を軽く上に向け、見下すような表情で布瀬がいった。

「なんだて、その目つき」

 蔑むような見方に、頭の中で火が燃え上がる。

「もとからこういう顔ですけど?」

 いい終わった瞬間右足で地面を蹴って頭突きを口元に食らわす。低い声が漏れ、尻餅をついた、間髪いれずに顎をボールに見立て右足でおもいきって蹴り上げる。     

「加藤の兄貴、ナイスシュート」

 黒服の声があたりに響いた。布瀬がいびきをかいて、天を仰いでいた。蹴り終えた足の甲に重しを乗せられたような感触がする。

「ここはまかせた、荒木って店におるか?」

 はい、と返事した黒服が、胸ポケットから二つ折り携帯を出し耳に当てた。足を持たれたコメツキバッタのように、ペコペコと頭を下げながら荒木に事情を説明していた。

 一分ほどで話終えた黒服が、口元をほころばせながら、密漁寿司の三階にあるスナックに居ると告げてきた。

 密漁寿司と聞いた瞬間、吹き出した。昔辰川に密漁をさせられた記憶が甦った。盗(と)ってきた魚介類を店主に売っていた寿司屋だった。

 歩いて十分ほどでビルについた。どこか昭和の雰囲気の抜けない、煉瓦造りの螺旋階段を上り店の扉を開ける、薄暗い店内にボックス席が二つ。カウンター内に二十後半、パーカー姿の女が一人灰皿を拭いていた。話を聞いていたのか愛想笑いをし、奥にあるドアを指さした。

 奥の部屋まで続くカーペットの中央部分が踏みならされ、毛足がへたり潰れていた。

 ドアノブを回し扉をあけると、簡素な平机の上で荒木はパソコンに向かっていた。黒のライダースジャケットにデニム、額に深い皺が入っていた。瞼を二度痙攣させてから、無理に作ったように口元だけで笑う。見ようによっては、動揺、迷惑ともとれた。

「ちょっと聞きたいんだけど、西山村って知ってるか?」

 予想外の質問だったのか、目を泳がせながら、どうぞ、とソファーをすすめてきた。壁側を背にして座ると、荒木は対面に腰掛けた。

「オヤジが遭難した村ですよね?」

「一緒に行ったんか?」

「自分は行ってません、二代目と押田と安藤です」

「なんで安藤だけ処分されたんだて?」

「三重に熊野一家って組あったでしょ?そこに急用があるって、二代目と押田は山に入ってなかったみたいなんです」

 熊野一家は三年前に解散したと耳にした。

「総長に会いに行ったの?」

「それは知りませんけど、どうしたんです?」

 荒木が前のめりになって聞いてきた。

「いや、なんとなく」

「まさか、遭難じゃないと?」

 勘のいい奴だと感じる、荒木をみつめ笑った。

「誰が西山村に行くなんていったんだて?」

「二代目です。先代が村長と兄弟だか弟分とかで」

 村長の顔が脳裏に浮かんだ。

 ―あいつ先代とも縁をもってたのか・・・

テーブル横にある冷蔵庫に荒木が手を伸ばし、ミネラルウォーターを取り、渡してきた、キャップをひねり、一口飲んでからきく。

「安藤と押田はどこにおるんだ?」

「押田は去年脳梗塞で死にました、安藤は知りません」

「押田死んだんかて」

 荒木のスマホが鳴った。慌てて耳にあて、お疲れ様ですといった。

 やりとりから、辰川からのようだ。

 ―さっきの喧嘩の事か・・・

荒木が頭ですと、端末を差し出した。

「おまえ、何しとんや」

 電話口から辰川の呆れた声がした。無視して安藤の件を聞く。

「それで、ヤサ見つかったのかよ」

 馬鹿野郎、と辰川がいってからライターを擦る音が聞こえた。

「安藤やろ?京都方面を探しとる」

「なんでそっちなんだよ?」 

「勘やな」

 聞いた瞬間、出そうになった溜息をこらえた。

 ―勘で見つかるわけないがや・・・

 これ以上話しても無駄だと思い、通話を辞め端末を返しながら荒木にいう。

「見ざる聞かざる言わざるだ」

 無言で荒木が頭を振った。

 わかれば問題ない、といい残し席をたち、自分のスマートホンをタップして須本洋司の連絡先を探しながら、事務所を出る。

 須本とは大阪刑務所で知り合った、加藤は傷害で三年、須本は自動車盗で四年の刑期だった。大阪刑務所は犯罪傾向の進んだ人間が収監されるため、同じ部屋で人脈を広げ、出所した後も一緒に悪事を働く事が多い。刑務所の中では派閥があり、和歌山出身の人間は同じ部屋を割り当てられ、和歌山グループと呼ばれていた。

 須本は和歌山の新宮市出身で同じ部屋だった。出所後、露木組が卸すシャブを扱う売人におさまった。

 店を後にして、螺旋階段を下りた所で発信する。三コール目で、ご無沙汰してます、と酒に焼けた声の須本が出た。

「元露木組の人間で安藤って人間、客にいないか?」

「知り合いに当たってみてもいいです?」

 頼む、そう一言だけ告げると通話を終えた。

 布瀬を蹴飛ばした路地に戻るが誰もいない、足を止めてポケットから煙草を取り出し火をつける、柳通りを走る車のロードノイズが耳に入った。

 ―布瀬のガキ報復しにくるかな、一応拳銃もってくか・・・

 用心にこしたことはない。そう思い自宅へ足を向けた。

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