ナニカを告げる鐘

「おかえりなさい」


 シンプルな白いワンピースを風に躍らせているラフィが、僕の様子を見て一度だけ眼球を右上にやってから穏やかな笑顔を見せてくれた。


「ごはんにしますか? お風呂にしますか?」


 開いた口を、そのまま閉じる。

 何と説明する? どう言う?

 素直に全部吐露するのか? 『穢れ』を形にさせかねないことを?


 違うな。


「ごはんで。ラフィも、おなか減ったんじゃない?」


 汗をぬぐいながら答える。手が一気に汗にまみれた。

 こんな有様にも関わらず、ラフィが何も聞かずに振る舞うと決断したのだ。落ち着いた方が良いのだろうとは、サルだって分かる。


「私ですか? 私は起きたばっかりですので、どちらでも大丈夫ですよ」


 どちらの準備も済ませるとなると、明らかに起きたばっかりではない。

 静かに出たつもりだったが、起こしてしまった可能性すらある。


「いや、それでもご飯で。そっちの方が人心地つけるし」


 言い終わったタイミングで、ラフィのお腹が可愛らしく存在を主張した。

 ラフィが慌てて両手でお腹を押さえる。一瞬のうちに頬も耳も真っ赤に。


 何となく目を逸らしてしまったけれど。ラフィの可愛さに醜く蠢く汚泥がさらさらと流れていった気がした。


「可愛いから、良いんじゃないかな」

「触れないでください……」


 目を濡らしながら、ラフィが小さくなった。

 すっかり毒気を抜かれてしまったのもあって、ラフィを愛でるように慰めつつ家に入る。手を洗ってから、手伝いへ。


 今日はサンドウィッチとスープらしい。折角天気が良いから外で食べようと思い、作ったとのこと。


 机と椅子を出し、拭き掃除をすればラフィがテーブルクロスを持ってきた。二人で引き、上にランチボックスと小さな鍋を置く。ラフィがカップにスープを注げば、良い匂いが漂ってきた。おなかが鳴る。ラフィが、少し嬉しそうな顔をした。


「モノ・ハスタさんとジ・ラーミナさんも呼びますか? お二人が好きなリキュール入りのチョコレート菓子も用意したのですよ」


 薄ピンクの、主張の激しくないエプロン姿でおたまを持ちながらラフィが聞いてきた。

 もうこれは、呼んでほしい、ということだろう。


「ハスタ、ラーミナ、おいで」


 大きな声を出さずとも、二人が向かって来た。ラーミナは一直線で、ハスタは太陽を背にするように軌道修正して。

 大きく羽根を広げて太陽を浴びてからハスタが着陸した。


 二人用の底の浅い平皿にラフィがスープを注ぐ。サンドウィッチも置かれた。小皿には、チョコレート菓子。ハスタもラーミナも、味の好みは同じだ。


「食べたら運動しないとね」


 ラーミナとハスタから、むっ、とした雰囲気を感じる。

 肩をすくめると、ラフィが笑みをこぼした。


「私達も食べましょうか」


 手を合わせ、食材に感謝を捧げてから口にする。

 相変わらずの旨さだ。

 サンドウィッチが口内から消えてから、スープも飲む。


「おいしいよ。濃さも丁度いいというか、サンドウィッチに合っているのはもちろんだけど、運動量も見ていたんじゃないかなってぐらい」

「本当ですか? 嬉しいです」


 華を咲かせて、ラフィが両手を合わせた。


 すごく『幸せ』だと思う。ラフィは可愛いし、ご飯もすごくおいしい。空気も綺麗で、邪魔をする者は誰もいない。どんな話でもラフィは目を輝かせてくれる。ハスタとラーミナもおいしそうに食事を続けているし、なによりもラフィが可愛い。

 これを幸せと言わずして何になるのか。


 そんな時に、わざわざ暗くなる話をしなくてはいけないのか。


 ラフィの輝きに癒されつつも、時折手が止まりかける。


 彼女は聖女だ。曇ることなき光り輝く存在であり、神の力を揮って『穢れ』を『祓う』存在だ。この街の護り手であり、この街の人からすれば神のように遠い存在である。


 そう考えれば、間違いなく話すべきだろう。

 でも、ラフィも一人の人間である。迷うし、傷つくし、聞きたくない話だってあるはずだ。

 聖女と言えど人間なのだ。神に全てを捧げ、力と名前を賜ったのだとしても。

 恨みつらみを聞けば、自身が標的かも知れないと聞けばこの笑顔も陰るだろう。


「いけません」


 ラフィが口に真っすぐに指を伸ばした手を当てて、目を少しだけ大きくして呟いた。


「どうかした?」

「また食べ過ぎてしまいました。暁さんと話していると、ついつい食べ過ぎてしまいます」


 大真面目にラフィが言う。


「僕も一緒だよ。作る量、少しだけ減らしてみる?」


 作っていただいている立場で言うのも何だけど。


「でも、一杯食べる暁さんを見るのも好きなのです」

「そうかい」

「豚さんも好きですよ」

「……そうかい」


 具材として使うのが、と思っておこう。


 そうやって顔を逸らそうとしたのに、薄紫の目に真剣な光を宿したままラフィが僕との距離を詰めるかのように前に出てくるから。つい目を奪われてしまった。


「でも、一人で抱え込もうとする暁さんは好きではありません」


 お見通しですか。

 いや、大急ぎで帰ってきておいて「何もありませんでした」は通じないよな。


 カップを持ち上げてスープを飲み、ゆっくり机の上に戻す。無駄な抵抗、引き延ばしだとは重々理解しているとも。それでも、という奴だから。呆れた視線を見せないでよ、ハスタ。僕もちゃんとやってるんだから。吞まれないように信念をもって向き合ってるんだから。


 息を吐きだして、見守るように僕を見続けているラフィと目を合わせた。


 折角開いたのに、喉に何かが詰まったかのような感覚を覚えたが、無理矢理気道を広げるようにして言葉を作り上げる。


「地面に落ちた翼の絵は、聞いたことがある?」


 ラフィの顔つきが変わった。

 ハスタもこちらを窺い続ける形になり、ラーミナは困惑したように顔を上げる。


「不吉の印、ですよね。『カンパーナ』、聖女に寄せた明らかな偽名の持ち主が彫っていると。聖女が堕ちて、街が潰える前兆と私は聞いておりますが、私の街の人が知っているかは分かりません」


 優しい熱を感じた。

 目を落とせば、硬く握ってしまった右手に、ラフィの左手が重なっている。


「大丈夫ですよ。この街は他の街よりも交流が随分と少ない街ですから。知っていたとしても少数。それに、皆さん私を信用してくれております。どのような手段で来ようとも、私が祓って見せます。太陽の街の悲劇のようなことは、起こさせません」


 ラーミナが頭部を下げたのが、横目に見えた。ラフィからは見えてはいないだろう。


「そうじゃないんだよ、ラフィ」


 目を戻す。

 ラフィの後ろの家が、黒い炎で燃え上がったのを幻視した。

 あの日のように。そんな訳が無いのに、静寂と熱を感じてしまう。


「あいつは、あの絵を彫った奴は唆すんだ。街の人を。こんだけ人がいれば、意味の分からない人もいる。理解できない奴だって大勢いる。そんな、自分が悦に浸れれば良いだけの連中を扱うのが上手いんだ」

「暁さん」


 今度は、ラフィの手がやや強く僕の手を握ってきた。


「暁さんからすれば、この街の人は欠けている部分が多いのかも知れません。でも、皆さん根は善い人達なのです。太陽の街のことやヴィーネ様のことを悪く言うつもりはありませんが、私は私の街の人を信じております。あまり、悪く言わないでください」


 本気、なのだろう。

 信じ難いが、こういう精神の在りようだからこそ聖女なのだろう。


 だからこそ厄介なんだ。奴は、聖女の人の良さに付け込んで人々をつけ上がらせるのだから。守るための当然の行動を「お前は差別された」だのと吹き込み、聖女を批判させる。聖女は聞く姿勢を取りつつも説得を繰り返すはずだ。そうしているうちに、聖女の擁護をする人が現れる。派閥になる。集団になったところで、聖女を擁護する人との対立を深めさせる。対立が深まれば擁護した人が優遇されていると適当な証拠をそろえて難癖をつけてくるのだ。


「ラフィ」

「太陽の街では聖女のやることに難癖をつけた人がいることも知っています。『穢れ』などついていないのに、祓いを待たなくてはいけないなんて差別だと、果ては人格を否定されたとまで大声で言った人がいるのも知っております。人を晒して言葉の石を投げ、有名で力があるからと聖女を叩いても良いと言う風潮を作る人がいたのも知っております。その上で申しているのです。大丈夫。理解してもらえると傲慢なことは言えませんが、皆さん、聞く耳は持ってくれますから」


 聖女が居ないと街は維持できない。『穢れ』に覆われて、異形の存在が闊歩する世界へと変り果てる。だから街の人は聖女に感謝し、同時に聖女も街の人を無償で慈しむ。


 そう知ってはいるけれど。うまくいかないことだって多々あるんだ。

 ラフィを、そんな目には合わせたくない。


「ラフィ。せめて、街の人を外に出さないで」

「無理です」

「ラフィ」

「外で狩りをして生計を立てている人だっているのです。その人たちに、何もできないけれど稼がないでくださいと言うのですか? 私は何も保証しないけど、皆さんは働かないでくださいと。飢えて亡くなれば良いとおっしゃるのですか?」

「そうじゃない。もし外に出た人が唆されたら、この街全体が危ないんだ」

「出た出ないで済むことでは無いと思います。それに、ここまで有名になるほどに街を落としてきた人なら、外に出なくても何かしらのコンタクトを取ってくるのではありませんか?」

「でも出なければ当座は防げるんだ。その間に、僕が奴を」


 殺す、と続けたかった。


 でも、ラフィの前で「殺す」と言うのは、情けないことではあるが、憚られる。


「奴を追い払うから」


 結果、ラフィに嘘を吐くことになってしまった。

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