穢れなきこの世界では愛を紡ぐことができない

浅羽 信幸

第1話 聖女ラフィエット

「新婦シオリは、タクトさん、あなたを健やかなるときも、病める時も、豊かな時も、貧しき時も、あなたを愛し、あなたをなぐさめ、命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


「新婦シオリは、タクトさん、あなたを健やかなるときも、病める時も、豊かな時も、貧しき時も、あなたを愛し、あなたをなぐさめ、命ある限り真心を尽くすことを誓います」


 新婦がやわらかく微笑んだ。

 されど、目じりには涙が浮かんでいる。


 間に立っている清廉な聖女はそんな二人をほほえましく見ると、二つの指輪が入ったケースを持ってきた。祝詞を述べ、指輪に祝福をかけている。


 祝福をかけ終わると、たどたどしく、新郎新婦が指輪を交換した。

 ほほえましい限りの光景である。


「誓いの証を」


 心を洗われるような声の後、聖女が離れた。


 徐々に男女の距離が近くなる。緊張した面持ちの新郎と、少しだけ落ち着いている様子の新婦。ゆっくりと、傍から見たら本当に先ほどの誓いを封じ込めるために唇を合わせたのか、それとも合わせていないのかわからなくなった。


 たっぷり二秒。

 二人がおもむろに離れる。


「ここに新郎タクト、新婦シオリの結婚が成ったことを宣言いたします。聖女として、お二人の門出を祝福いたします。二人の前途に幸多からんことを」


 佳麗な声に続いて、拍手が二人を包み込む。

 この後は新郎新婦が誓書に署名して、『神』に捧げる。それで、聖女の仕事は完成するはずだ。

 後は、二人と二人に親しい者たちで。


 拍手が止む前に、音を立てないようにして会場を後にする。


 眩しさは無い。やわらかな風が花と土の匂いを運んできて、街外れの穏やかな景色を嗅覚的にも感じさせてくれた。池も幾重にも陽光を反射して、澄み渡っている。埃一つない街の、理想形として完成されたような広場。結婚式場と言う『穢れ』から最も離れたと言っても過言ではない場所を際立たせるような環境。花も魚も鳥も穏やかに笑っているかのような場所。


 全くもって、信じがたい街だことで。


「お待たせいたしました」


 眉間の皺を消すイメージで顔面から力を抜き、表情を整える。振り返れば、薄い青紫の髪を風に遊ばせながらラフィが式場からこちらに向かってきていた。

 髪よりも濃い色の眼を細めて、髪を押さえている。だが、口は緩んでいた。


 先程までの『聖女ラフィエット』としてではないと言うのが良くわかる。


「全然待ってないよ。そもそも来たいと言ったのは僕の方だからね」

「『ラフィがいつも楽しそうに話すから見に来たかったんだ』ですか?」


 にこにこと笑いながら、ラフィが僕に並んだ。


「よくお分かりで」


 頭一つ分低い彼女を見ながら笑顔で返す。

 聖女様に馴れ馴れしい、なんて雑言も聞こえてきそうなものだが、周囲には人がほとんどいないためそんなことはない。だからこそラフィも、聖女としてではなく一人の人間として振る舞っているのだろうし、僕もそう扱いたいとは思っている。


「結婚式は良いですよね。多くの場合皆さん喜んでいますし、『穢れ』を気にする必要もない『清浄』な儀式ですから。今日も幸せそうで、私までほんわかしちゃいました」


 ラフィがやや幼くも大人の色香が存在すると言う彼女特有の笑みを浮かべて、歩き出す。


「本当にきれいだったね」


 追いかける形で、僕も足を動かした。暖かな風が心地良い気分にさせてくれる。


「私も、そのうち結婚したいなー、なんて思うのですけれど、どうですか?」


 ラフィが足を揃える形で止めて、僕の方へ少しだけ体を折って顔を近づけてきた。

 彼女が風に遊ばれた長髪を手に取り、耳にかけながら宝石のような瞳に様々な色を浮かべている。


「聖女様の結婚は、誰が立会人として祈りを捧げるの?」


 むう、とあからさまに頬を膨らませた後、ラフィが反対側を向いた。


「それは聖女です。ヴァージンロードも、別の聖女が一緒に歩いたという報告がありますよ」

「じゃあ、この街では誰がヴァージンロードを一緒に歩いて、誰が祈りを捧げるの?」

「もちろん私です」

「そりゃ大変だ」


 ラフィは怒ってますとアピールしながらも、僕が横に来るのを待ってから足を動かし始める。


「ああ結婚したいなー。どこかに好い人いないかなー」


 ちら、ちら、とこちらを見ながら白々しくラフィが言う。

 こういうところが、見た目の割に幼いと言うか、顔に出ているから幼さも少しあるのか。

 美人系の顔立ちなのに美人特有の『きつさ』よりもかわいさが前面に出ているというか。


「ああ、聖女じゃない私も見てくれる、好い人いないかなー。あー、さみしいなー。一人寂しくこの街しか知らずに朽ちていきたくはないなー」

「流石に余所者が自分の街の聖女と結婚すれば、みんな怒り心頭でしょうよ」

「余所者じゃないですよ! あかつきさんはこの街に色んなことをもたらしてくれたじゃないですか。歯ブラシとか」

「あまり普及しなかったけどね」

「水路を街中に張り巡らせて、運搬を楽にした街の話とか」

「ここの土地は水はけが良い訳じゃない上に平らな土地だから水の逃げ場が無く広がるだけだから駄目だったけどね」


 あそこは立地条件がそれに適していたから、船という最速の移動手段を使えただけで。

 使えないと知ってラフィは落ち込んでしまったけれど、噴水を中心にした街の話をしたら喜んでくれたから僕としては話したことに満足しているけれども。


 多くの歳を重ねた聖女が治めているあの街は、僕も好きだし。


「よく飛ぶ銃の仕組みとか」

「技術が追い付いていない上に、誰が忌み職のためにって言われちゃったけどね」


 ラフィが、ではなく僕が、言われたわけではあるが。


 銃は猟師が使う。猟師は街の外に出て命を奪い血に触れるため、重要にも関わらず忌み嫌われてしまっているからねえ。『穢れ』を恐れている以上は仕方がない事とは言え、彼らも安全に狩りをしているわけではないのに。


「すみません」


 しゅん、とラフィが目に見えて萎れてしまった。


「ラフィの所為じゃないよ。それに、一番つらい思いをしたのは猟師さんだから。猟師さんたちも、『アレ』らを街に入れず、『穢れ』を祓って笑顔で出迎えてくれるラフィには感謝しているよ」

「暁さんにも、感謝していましたか?」

「一応?」


 全く感謝されていないどころか「余計なことを」と言う感じが強かったのが本当のとこだけど。ラフィには正直に言えるわけがない。


 別に慣れちゃあいるけどさ。僕がやっていることも自身の考えではなく別の街の誰かの技術を伝えているだけ。横流しと見られて良く思われないことも多々ある。でも、狩りとか他の街の技術を伝えると言う忌み事をやらないと使穢者しえしゃは食べていけないから。何とも思わなくもなってくるよ。


「では、結婚しましょう」


 ラフィが両手を合わせて、顔の横に持って行った。


「そうくるかぁ……」


 お茶を濁したら、街の一部の人に認められていると思ったかぁ。


「暁さん。結婚話をのらりくらりとかわす男性は、はっきり申し上げますとクズですよ」


 本当にはっきりと言うね。


「ラフィ。僕らはまだ若いんだ。同年代でも、結婚している人が居たら「早いね」って声を掛けるくらい、まだ結婚からは遠いと思うんだけど、どう思う?」

「それだけ若いうちから居れば、あと数年もすればすっかりこの街の人ですね」

「結婚は人生の墓場とも言うし、まだ墓に入りたくはないよね?」

「墓場なんて……。暁さんは私が嫌いなのですか?」

「まさか!」


 顔を下げて暗くなったラフィに、思わず声を張り上げてしまった。

 慌てて周囲を確認する。人はいない。大丈夫。人はいない。


「そうですよね。暁さんは『聖女の助けになるため』だけに私に近づいただけ。そこに『愛』だの『恋』だのはなくて当然です」


 言葉だけなら悲壮感が増したが、あからさまに悲劇のヒロインを過剰に演じているように、どこかくすりと来るものすら漂っている。


 あ、流れてもいない涙を拭う仕草もした。


「ラフィ、そういう感情だけで僕みたいな人が一年以上も一つの街に居ないよ」

「じゃあどういう感情でいてくれたんですか?」


 ひょい、と演技のベールを脱ぎ去って。ラフィが下から覗き込むようにしてきた。


「ラフィが……ね。わかるでしょ」

「わかりませんので、行動で示すしかないですね。結婚しましょう」

「……好きだから。女性として」


 ああ顔が熱い。


「男性として女性の私が好きなのですね。では、もう結婚するしかないですね」

「どっちにしろ、結論は同じなんだね」

「はい」


 うきうきとした声でラフィが頷いた。外では極力抱き着かないようにしてくれてはいるが、ぴとり、と横に着いてくる。腕にやわらかな熱が当たり、彼女の匂いが脳をくらくらと揺らしてきた。


「この街は好きですか?」


 ラフィの長い髪が、さらさらと、僕の右手に当たる。


「綺麗な街だよね」


 街は聖女に守られ、聖女と共にある。


『穢れ』を祓えるのは聖女だけであり、『穢れ』を放置すると異形の『アレ』らが発生するので、当然と言えば当然か。だからこそ、この街はラフィと共にあるわけだし。


「壁が排他的に見えるかもしれないですけれど……」


 ラフィが遠くを見た。


 この街の特徴は、その大きな壁だろう。


 多かれ少なかれ、ありとあらゆる街には外界との仕切りがある。この街は、その壁が非常に高いのだ。その代わり、壁はラフィの力を容易に伝導させ、『ソレ』らの侵入を許さない。許したとしても、第二波第三波を封じて、壁の上にあるラフィの家から一望することで入った『ソレ』らの位置を知り、迅速に祓える。


「良いんじゃない? ラフィの街の特徴なら」


 つまるところ。この壁はラフィの力を最大限活かすための装置であり、この街の特徴なのだ。


「そうですよね。私に似て、絶壁、で……」


 最初は輝いていたのに、後半は文字通り絶壁から落ちるように降下した。


「ラフィに似て、綺麗な街並みだからね」


 急いでフォローを入れる。

 絶壁に関して、僕からコメントできるわけがない。


「ふふ……。どうせ私は絶壁の聖女様……。婚約者をばいんばいんの若い聖女に取られちゃうんですよ……」


 今度の悲劇の様相は本気度が増して来たぞ。


「それは『穢れ』を入れないから『絶壁』なのであってね」


 あと、勝手に婚約者にしないで。


「でも、使穢者の間でも有名なのですよね……」

「あの街には『穢れ』が無いからやることが無いよって意味でね」

「良いのです。みんな、どうせ追い払われるにしてももっと体型の綺麗な聖女様を拝みたいですよね」

「街に入るために狩りをしたり他の街での技術を持って移動したりはいるけどさ、僕らの本懐は『穢れ』の力を使って『穢れ』を消すことだからね。ラフィの街だとそもそも補充できないまま戦う可能性もあるし、本懐自体が遂げられないからみんな中々来ないだけだよ」


 それに、使穢者の中で一番人気なのは噴水の街の老聖女だ。

 あの街自体、居心地が良いのが一番大きいのだろうけれど。


「いくら力があっても一人きりでは戦えないものです。育児もそうです。暁さん、私、暁さんとなら十人まで頑張れますけど、何人が良いですか?」

「急にテンションと話題が変わったな」

「照れますね。二十人ですか。いえ。頑張りますけれども。ふふ。育児の間は旦那様の手料理食べ放題ですね」

「話聞いてる?」

「二十人も産めば、あの家だと手狭ですね。え? 長男と一緒に拡張してくれるんですか?」


 ラフィが肩から垂れる髪の毛を撫でつけながら、てれてれとしている。


「どうしよう。ラフィが誰と会話しているのかわからなくなってきた」

「暁さんに決まっているじゃないですか」

「ここは会話が成立するんだ」

「? ずっと成立していましたよ」


 嘘つけ。可愛いから許すけど。嘘つけ。

 目を丸くして、小首を傾げるなんて、美人にしか許されないからな。


「最初は男の子が良いのですよね?」

「そうだね。顔はラフィに似た男の子になると思うよ」

「ほら、会話が成立したじゃないですか」

「さっきまでは成立してないって認めるんだ……」


 脳を介さずに返答したらこの流れか。


「それはそれ。これはこれです」


 佳麗な声でラフィが流した。


「でもねえ。僕が街の人にできたのは他人の技術を伝えることだけだから。他の街にもいかないと」

「そんなこと誰も気にしませんよ。私の夫に成れば」

「今日は一段と押しが強いね」

「結婚式が良いものだと、おっしゃってくれましたから」


 記憶の声と、ラフィの声が、違うのに重なる。重なってしまう。


「……結婚式は、いつ見ても良いものだよ」


 どこで見ても、でもあるか。


「あ、すみません……」


 ラフィが項垂れて、足を止めたかのように緩めた。

 歩く速度に差が出ることによって、距離が離れる。


「ヴィーネさんの街に戻りたいのなら……。その、わたし、は」


 我ながら、こういうラフィの良心に付け込んでとっととこの街を出るべきだったと思う。


 僕が別の場所に行くにしても、街から離れられない聖女に外界の情報を積極的に得る術などないのだから。僕がどこに行こうと、ラフィは何もできなくなる。


「ラフィ」


 手を伸ばしかけて、途中で止める。

 どこに降ろすべきか。ただ何度か指を動かすのが精いっぱいで。彼女の薄青紫の髪に触れることは無く、ぎこちなく元の位置に戻した。


「大丈夫。ヴィーネ様の街に戻っても、もう何もないから」


 あそこは、もう燃え尽きている。


「撫でてくれても良かったのですよ?」


 悪戯な調子に近づけようとやや無理をした笑顔をラフィが浮かべた。


「家に帰ったらね。……昨日の夜は、一メートルのザリガニを釣り上げたところまで話したっけ? 泥臭くて奏雨かなめと一緒にハスタやラーミナに押し付けたところまでだっけ?」

「ああっ。そこまで聞いてないです。いえ、私が水切りのための石の選び方や投げ方を事細かに聞いたせいですけれども。でも、外は苔が生えて緑一色になった森や、池とは比べ物にならないほど広い湖に地中の生き物が出てきたときの穴と興味が惹かれることが多いのですもの」


 声を弾ませて、ラフィが顔を綻ばせた。「この街で再現したいですね」などと、笑いながら。


 本当に、可愛らしい女性だと思う。それでいて、僕らのような鼻つまみ者ですら優しく出迎え、正体を隠すことに協力してくれているのだ。


 露見すれば、自分も危ういだろうに。


「ラフィの家に帰ろっか」

「そうですね。『私達の』家に帰りましょう!」


 もう何も突っ込まないぞ。

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