第2話

 ざば。

 水面を揺らして現れたのは細い目をした小柄な男。行ったね、と彼方を見つめた後立ち上がって、

「本当に幾ら潜ってても苦しくなかった! 凄いね! いや息をする必要がないわけだから苦しくないのも当然か!」

 あっはっは、と裏腹、苦しそうに笑った。

 以前──生前、死地に赴く直前に、私とぶつかったのだというその男は、現在太宰と同じ職場の先輩にあたるそうだ。あいつらが上手くやってくれないとそれも終わりなんだけどね参るよね!と、その辺りは太宰が来るまでに一通り聞かされていた、上に、そろそろ来るんだよね流石に顔合わせるのは気拙いんだけども如何しよう?と相談までされた。潜っていれば良いだろう、と答えると、一瞬きょとんとした後、そうか何故気付かなかったんだそうだよねそれにしよう、と破顔して、とぷんと水面に消える。

 どうやら口数が多くないとならない職場らしい。太宰ならば問題はなさそうだが。

 少しして現れた太宰は、先輩の存在には気付かずに無事帰って行った。ひどいよね、と先輩が呟く。

「あいつは異能者ありきの異能者なのに。僕は異能だと説明した方が受け入れられるほどの名探偵なのに。それが真実異能でない、というだけで、僕は皆と共には戦えない。僕の方が先輩で、読み合いだって絶対に負けないのに」

 こんな狭間で、信じていることしかできないんだ。

 苦しそうな、悔しそうな声に、思い浮かぶのは何故か太宰の背中だった。思い出しては後悔やら懺悔やら、決して前向きとは言えない感情が渦巻くが、だが、本当に伝えたいのはそれらではない。

「……信じていい、と思えるだけのものを、渡してきているのだろう?」

 貴方は太宰に。太宰は、あのこたちに。

 そうして、多分私も、太宰に渡せたはずなのだ。それは感謝とか、希望とか、後ろ向きな感情だけではないものでできているはずで。 

 むす、と先輩の眉間に皺が寄る。

「この! 名探偵と! 同じ職場にいて! 赤ん坊と同等なんて許されるわけないじゃないか!」

「赤ん坊?」

「僕に信頼されていて、それに応えない社員はいないってこと!!」

 でもそれと心配は別! と言い切って、先輩は拳を握る。

「そっちを選んだら間違いだってわかりきってるのに、よくわかんない理屈で間違いを選ぶ奴が大勢いるんだ」

(君みたいに。)

「うちの社員は大丈夫だって思うよ。思うけど、あいつらは僕じゃないから、うっかり間違ったりもするんだよ。

 万一そうなった時に導いてやれないなんて。悔しい」

(──君の命を守れなかったのが、悔しい。)

 俯いて、低く零す先輩に、どう返していいかわからず狼狽える。頭のひとつでも撫でてやりたい気持ちはあるのだが、如何せんこの距離では届かないのだ。

「……だから。」

「ん?」

 がば、と先輩が顔を上げた。ぎら、と光る瞳が、明ける直前の空の翠。

「だから、次からは途中退場してもあいつらが困らないように対策してこないとね! 異能なんてものに負けるようなやつがうちの社員になれるわけないんだもの!」

 今回は太宰が頑張ってるから譲るけど! 敦だって屹度ちゃんとやれるし!

 寛大に言い放った先輩は、こちらを見据えて不敵に笑った。

「君が示した未来は、ちゃんと僕らで繋げてるから。」

「……ああ。」

 払暁の最初の光が、導いてくれているなら安心だな。

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束の間の 風月 @t_orangemoon

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