1−11 青の魔剣、黄金の花紋
「ちょっとどういうこと!?」
机をバンッと荒く叩く音とともに、テレーズの大きな怒りの声が響き渡る。
「協力できん。何度も言ってることだが?」
座り心地の良さそうな革の椅子に腰掛ける男が、偉そうに頬杖をついて呆れたように答える。テレーズ以上に高貴そうな服を身に纏う男の死んでいる目は、まるでテレーズたちを見下しているように見えた。さらに男の後ろに掲げられた青い剣の放つ妙な光が、まるで男を神たらしめているようにも見え、テレーズの腹をさらに立たせていた。
「その理由をずっと聞いてるんだけど」
「何度も話させるな。貴様らに協力する義理はない」
テレーズの詰問にも応じず、彼女の中では次第に焦りと怒りが募っていく。
ナーシャの提案通り、アペレフト鎮魂士団の幹部たちは「あいつら」に協力を申し込みにこの場所までやってきた。しかし、そんな彼らの前代未聞の依頼に、「青魔剣同盟」の代表、オーギュスト・ロドリア=フリッツホルン総司令官は一言も耳を貸す気を見せない。
青魔剣同盟は、エレフセリアに本拠を置く2大鎮魂士団のうちの一つであるが、アペレフト鎮魂士団とは長年相容れない関係が続いていた。歴史的にこの同盟は、鎮魂士団の「とある事件」によって成立、分離した組織であることから、互いを敵視し、同じ町に存在するにも関わらず全く関わりを持とうともしてこなかった。いわゆる「もう一つのアペレフト鎮魂士団」である。
そのような背景も相まって、今回の協力要請はテレーズにとってはライバルに土下座をするほどの屈辱、そしてオーギュスト側からすれば、「何を今更」と言わんばかりに、ただ自分たちの足を引き摺るだけの余計なお世話だった。
「それって、私たちがそんなにも憎いってこと?」
「だんちょー……」
テレーズがムキになりながらオーギュストに詰め寄る後ろで、レオニーが心配そうにテレーズを見つめる。
「憎いとも憎いとも。あー憎い」
オーギュストはテレーズのますます強硬になっていく態度にビクともせずに、相手への悪口を平気で漏らした。テレーズは両手をこれでもかと握りしめ、いっそのこと目の前に座る偉そうなヤツをぶん殴ってやろうかとも考えたが、なんとかその気持ちを抑えた。
「そもそも俺らが貴様らに協力するなんぞ青魔剣同盟の利益にもならん。我々はすでに、連合軍襲来のための準備を大体完了させている。我々は我々で相手と戦う。貴様らができることといえば壁内の家の中で布団に包まりながら、我々の勝利の一報を待つことだけだろうに」
冷笑的な口調のオーギュストの話はまだ続く。
「此方としてはこんな負け続きの軍団の幹部と、そこの後ろに突っ立っている前団長もどきなどに手を貸すなんぞ時間の無駄だ」
オーギュストは幹部たちと、その後ろにひっそりと立っているナーシャを指差してそう言い放った。
「あのナーシャは本物なんですけど!?」
前団長「もどき」とバカにされた親友を、テレーズは庇いながらオーギュストにその点を厳しく指摘した。
「…… ほう、それは良い知らせだな、歓迎する」
オーギュストは少し目を細める。
「ともかくだ。敗北する見込みのある奴らには肩は貸せん。さあ帰った帰った」
オーギュストは右手をひらひらさせて、アペレフト鎮魂士団を追い出すような仕草を見せた。
「こんのっ……!」
テレーズはオーギュストの机に置いた両手に力を込めながら、窮地に立つ客人を容赦なく追い払おうとする彼を睨みつけた。
「オーギュスト殿」
そんなテレーズの横から、真剣な顔のナーシャが数歩歩み出た。
「どうした。意見があるならば、この部屋の空気を汚さん限り許可するが?」
「感謝します」
ナーシャは尊敬と慎重さのこもった声で礼を述べた。
「我々が今大変な危機に瀕していることは、オーギュスト殿も十分ご承知のことでしょう。歴史上や理念上、貴方がたが私たちに非協力的であることは、私たちも尊重しなくてはなりません。しかしながら青魔剣同盟も共闘することによって、この攻防戦に勝利した暁には、我々にも貴方方にも、この首都を守り抜いたという名誉は大きな利益になるのではないでしょうか」
ナーシャの説得力のある言葉を、オーギュストは机に頬杖をつきながら聞き入る。
「フッ、利益ねえ」
青魔剣同盟の団長はその力説を鼻で笑うと同時に、客人の語る理想論を少し貶した。
「もどきにしてはなかなかうまい具合に力説するではないか。本物に相当すると認めてもよかろう」
オーギュストはナーシャをそのように認定したものの、その言葉にはまだまだ疑いが拭いされていないのは幹部たちの目からも明らかだった。
「もういいじゃろ、オーギュスト」
その時、ノックもなしに執務室の扉が開かれ、数人の付き人が一斉に部屋の中になだれ込んだ。一人、車椅子に座り杖を手にした老人は、座っている車椅子をメイドに押してもらいながら、付き人たちが作った中央の通路をゆっくりと通っていく。
「ち、父上……!」
オーギュストは突然現れた父親に驚きを隠せず、咄嗟に椅子から立ち上がって緊張したように背筋を伸ばした。アペレフト鎮魂士団の幹部たちも、威厳ある父親に少し引き腰気味になる。
「なぜここに…… 治療の方は、大丈夫なのですか!?」
「少しの間なら構わん。なんせ鎮魂士団の一行が見えとると聞いたもんでな」
オーギュストの父親、アルバス・ロドリア=フリッツホルンは、おどおどする息子に向かってはっきりとした声で答えた。
息子が生まれる前から、まさに20年以上も総司令官を務めてきた前総司令官アルバスの体は、息子にその地位を譲って以降急速に痩せ細り、当時の面影を全く残さないほどにまでなってしまっていた。長らく切られていない純白の白髪と、かつてハリのあったはずのシワシワの肌がそれを痛々しく物語る。
「父上、この輩どもは我々の……」
「よく聞け、オーギュスト」
息子が主張しようとするところを、父は威厳のこもった声で牽制した。流石の現総司令官もこれ以上の言葉を続けるわけにもいかずに黙りこくった。
「お前が彼女らの協力願いを断る理由もよくわかる。この同盟がそういう歴史を歩んでいる以上、簡単に肩を貸すわけにもいかんな。だがオーギュスト、今はこの街の運命を決める瀬戸際におる。侵略され奴隷の身となるか、この街、そしてエウカリスティアなども解放して自由の身となるか」
オーギュストは何も答えられず、真剣な面持ちで悩み始めた。
「ワシは断然後者の方を選ぶが。お前はどうする」
「……」
さすがに尊敬する父親の前では、変な口答えや安易な判断は下せない。しかしそれでもオーギュストは、長らく不仲だった団体との共闘を承諾することをまだ躊躇していた。そこに父親が、先手で王将を取りにこの言葉を口にした。
「お前の母親は、何て言うじゃろな」
「……っ!!」
突然発せられた父の言葉によって、オーギュストは吹っ切れたかのように、自分の中の糸がプツンと切れたような気がした。と同時に、優しかった母が最後に残した、暖かい言葉が蘇る。
「ええか、オーギュスト」
15年ほど前。白いベッドに気弱そうに横たわる母が、幼いオーギュストの小さな手を握りしめる。
「あんたはきっと、こっから同盟を引っ張ってくことになる。たくさん苦しいこともあるやろうし、逃げたくなることもきっとある。せやけどな、これだけは覚えとき」
母は一度咳き込んでから語気を強めた。
「あんたは一人やない。兄弟もおらんで、友達もろくにおらんあんたやから、なんでも自分一人でって考えてしまうやろ? でもな、あんたの周りにはな、ぎょうっさんの、優しい味方がおるんやで……」
そう言った瞬間母親の咳がひどくなり、喉を通り越して乾燥した咳の音が部屋に響き渡る。
「は、母上……!」
幼いオーギュスト少年は辛そうな母親に手を差し伸べつつも、幼さでは勝てなかった溢れる涙が、すでに目に浮かび上がっていた。
「私、だって、そうやったんや。意外な人に、何度も、助けてもらったんや。やけんな、オーギュスト、協力や。力を、合わせればな、できんこと、なんて、ない」
涙を浮かべながら力強く手を握る我が子を見て、母親の目にも自然と涙が溢れてくる。
「父さんの、言うこと、聞いて、立派に、なって」
母親の言葉はもう詰まりかけていた。
「この同盟を、率いて、くんやで、オーギュス、ト……」
そして母は、再び苦しそうに咳き込み始めた。
「はいっ……」
オーギュストは、弱りゆく母親のそばで静かに跪き、頬を流れんばかりの涙を垂らしながら幼い声で宣言した。
「必ずや……!」
「協力」。力を合わせればできないことはないと、あの数時間後息を引き取った母は教えてくれた。大好きだった母親。今そのことを思い出した瞬間、そんな彼女が天国から自分に話しかけてくれているような気がした。
「……父上がそうおっしゃるのだ。意見を聞かんわけにもいかん」
オーギュストは小さな声で呟いたのち、目の前に立つ客人たちに目を向けて堂々と宣言した。
「どうしてもこの由々しき事態から脱したいと、貴様らが頭を床につけるほど熱望しているのであれば、手を貸さんわけでもない」
「ほんと!?」
「頼むのであれば頭を下げろ。それが規範だ」
「なんかムカつくけど……」
テレーズは、相変わらず横柄な総司令官の態度に少し不満を見せながらも、深く頭を下げた。
「青魔剣同盟総司令官、オーギュスト・ロドリア=フリッツホルン」
執務室に緊張が走る。
「貴公に今回の侵略戦に対抗するための協力をどうか願いたい」
「お願いします、オーギュスト殿」
テレーズに続いてナーシャも同じように頭を下げる。その光景を見た幹部たちは、彼女らに倣って深々と頭を下げる。
先刻まで牙を剥いて対立していた相手が、全員自分に向かって礼をしている状態を目の前にして、オーギュストはしばらくしてから、大きく満足げな笑い声を上げた。
「ハハハハッ! 愉快愉快! よし、どれ一つ戦いに加わってやるとしよう!」
オーギュストは自分の革椅子にドカッと座り込み、ライバルに対する優越感に浸った。それでも内心では、エレフセリアを守り切れるかもしれないという希望を見出したことに少し安堵している部分もあってか、どこかでオーギュストの緊張がゆっくりと解けていた。
「感謝するよ」
オーギュストにこれほどまでに笑われたことに少しカチンときていたテレーズはやっと頭を上げ、感謝の意を述べる。
「そうと決まったからには、貴様らにはアレを見せておかねばならんな」
笑いの止んだオーギュストは、何かを思い出したように椅子から立ち上がった。
「ついて来い」
オーギュストは執務室の立派な扉の方に向かって、幹部たちを誘導する形で歩き始めた。父についている付き人たちが両端に移動し、真ん中に広めの通路を作る。
その通路に残された彼の父親は背の高く、威厳のある息子を見上げながら、彼としばらく向き合った。
「……立派になったもんだな、オーギュスト」
かつての自分、そして昔総司令官を務めていた父親の姿を照らし合わせながら、アルバスは弱々しい体で感傷に浸った。
「それじゃあ私も戻るとする…… うっ」
アルバスは車椅子を押しているメイドにハンドサインを出す。しかし同時にアルバスの胸に少し圧迫感が感じられ、胸に置かれたシワシワの手が必死にそれを押さえつけた。
「アルバス様、大丈夫ですか!?」
「父上っ!」
すぐに複数人のメイドが駆け寄り、前のめりになったアルバスの老体を支える。オーギュストも、自分の胸を押さえるアルバスの手に優しく触れて支える手助けをした。
「何、心配には及ばん」
アルバスは何事もなかったかのように体を起こし、メイドたちが差し伸べた手を払った。息子の手も自然と父の手から離れ、元の状態に戻る。
「オーギュスト」
アルバスの指示でメイドが車椅子を出口の方へ向けた時、アルバスの口から再度息子の名前が呟かれた。
「やってくれ。期待しておるぞ」
アルバスは息子の方に顔を見せないままそう言い残すと、大勢の付き人たちを従えて執務室を後にした。オーギュストはその場で跪き、出て行く父の背中を見送りながら言葉をかけた。
「はい、必ずや!」
幼い頃のオーギュスト少年とは違い、彼の目には猛烈な意志が煮えたぎっていた。
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