1−8 ブラッド・アンド・プロスペリティー

 ウールスヴァルテンの森。


 天を刺し貫くように伸びた高い針葉樹が、木からすれば蟻のような小ささの人間を見下すように乱立する。日の光があまり差さず、枯葉や土で埋もれてしまうはずの地面は、長い年月をかけて苔とシダのみが広がっていた。


 そんな決して人間の活動に適さないような森の中心部、薄暗く草木が生い茂る中に、一人黒いマントを被り、頭巾を目が見えなくなるほど深く被った男が木の根に腰掛けていた。じっと静止し、寡黙を貫き、地面に合わせた視線を左右上下に動かそうともしない。


 風の調べか、肌を優しく撫でるようなそよ風が木々の間を通り抜け、男のマントを靡かせながら通り過ぎていく。やがてどこからか、生い茂るシダの間をごそごそと動き回る音が男の耳には聞こえた。男はやっと顔を上げ、僅かに頭巾の覆わない部分から見える、草木の間から現れた白い野うさぎのような生き物と睨めっこする。


 可愛らしげな様相で現れた野うさぎは人間を認識するとしばらくは興味があるかのようにじっと男を観察いていたが、突然キリッと目つきを変えると、白く鋭そうな長い牙を剥き出しにして威嚇するように全身の毛をピンと立たせた。数秒の間強烈な睨みを効かせたあと、野うさぎは人に喰らいつかんと強い脚力を使って男に飛びかかった。


「<風刃ラマエール>」


 鋭い牙が男の心臓を抉ろうかという瞬間に、男は呪文を唱えて目の前にいたはずの野うさぎを一瞬で真っ二つに切り裂いた。野うさぎは哀れな鳴き声を最後に響かせ、頭部と脚部が別々に地面へと着地した。


「<浄化カタルシス>」


 さらに続けて男が放った魔術で、2つに分かれた野うさぎの体は段々と空気に溶けていき、やがて小さな凍心臓だけが、血に染まった草木の上に残された。


 ーー 面倒臭え


 男は心の中で愚痴をこぼしながら、野うさぎの凍心臓を指でつまみ、背後の斜面にポイと投げ捨てた。金に交換しても飯は食えないほど小さな凍心臓はコロコロと下に転げていき、やがて男の視線から消えていった。


 あと数分で西の方角にある山に沈むであろう太陽の光が、眩しく背後の木々を照らす。影が時間が経つにつれて伸長していき、ただでさえ昼間でも薄暗い森の中が暗闇へと近づいていった。


 やがて男の3時の方角から、赤いマントを纏ったもう一人の男が黒マントの男に接近してきた。黒マントはポケットから懐中時計を取り出し、秒針がチクタクと動いていく様子を観察する。


「6秒早いようだけど」


 黒マントの男はそう呟いたが、赤マントは何も返事せず黙りこくったままだった。


 カーン、カーン、カーン、カーン……


 エレフセリアの時計塔の、夕刻を示す甲高い鐘の音が、森の中心部にいる男たちの耳にもわずかながら届いた。これを合図にして、黒マントの男は懐中時計をしまい木の根から腰を上げた。


「時間らしいね」


 そう言うと、黒マントは赤マントの方向に体を向かせ、頭巾をめくり上げて赤マントに顔を見せた。


「久しぶりだな、アル」


 赤マント、アルはその返しにようやく沈黙を破った。


「知らんうちに老けたか、アントン」


「フッ」


 黒マントの男アントン、もしくはアペレフト鎮魂士団の執事は、アルに対する微笑みを挨拶の代わりとした。


「そんなアルフォンス・ゴーレン君こそ、さぞご立派になられたように感じるけど?」


 まるで長老のように黒く立派な顎髭を伸ばしたことを馬鹿にされたかのように、アルは少しだけ顔を顰めた。


「それは、何かに対する皮肉か何かかな?」


「いや、特段の意味合いはないよ。気にしないでくれ」


 アルはそれでも、もう少し深い意味があるのではとアントンの心中を疑ったが、深い追及は避けた。


「それで」


 アルは少しだけ声を小さくしてアントンに尋ねる。


「今日も美味しいモノは持ってきたか?」


「ああ、『とっておき』を用意した」


「興味深いな」


 アントンはニヤリと笑ってみせた。


「良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」


「じゃあ悪い方から」


 アントンは若干アルに近づき、周囲を一度見渡して囁いた。


「心して聞いてくれ」


 アルは静かに頷く。


「アナスタシア・スパースが復活した」


「何だと!?」


 アルは想定外すぎる『とっておき』に、思わず大きめの声を漏らした。


「ちょっと、声が大きい」


「おお、すまん」


 アルは一度自分を落ちつけた。


「でも、なんでったって、そんなおとぎ話みたいなことが起こるんだ」


「スパースは3年前、鎮魂されずに谷底へ落ちて死んでいる。だから鎮魂されなかったその魂がこの世を彷徨って、とある下級の少年に取り憑いたらしい」


「その下級の名前はなんて言うんだ」


「ユーリ・ヴァーレント、とかだった。面会を受け付けるときにもっと真面目に名前を聞いておくべきだったな」


 アントンは先刻の自分の不注意を後悔した。


「それじゃあ、ユーリ、なんとかって奴もろとも討たねえとまずいんじゃないのか」


 アルは自分が忠実な側に急に不利に働きそうな展開に少し焦りを覚える。


「うん、真面目にまずい」


 アントンもアル同様、ある程度の焦りを自分の中に認識していた。


「でもいいニュースもある。最近アペレフト鎮魂士団の団長支持率が大幅に低下している。このままどんどん低下すれば、いずれ誰もついて来なくなる。連合軍が攻めるなら、今じゃないのか」


「それに関しては心配すんな、アントン」


 アルが落ち着かせるようにアントンを諭す。


「エレフセリア攻略作戦決行が、3日後に決まった」


「やっと動いてくれるのかぁ。ボクもう待ちくたびれたよぉ」


 アントンが急激に幼稚な言葉遣いで、安心を示した。


「いいか、よく聞け」


 アルはここで一度改まり、伝言を伝えようとした。


「2日後の夜、時計塔の鐘が8回鳴るときにーー」


「しっ、誰か来た」


 急にアントンはそうコソコソ声で言うと、アルの口を塞いで音沙汰を出さないようにして周囲を警戒する。


「おーい、どこ行きやがったー?」


 見ると斜面の下に、一人いかにも下級の装備をした少年が、誰かを探すように声を出して歩き回っていた。こんな夕刻でこれから森が危険な時間帯になるにも関わらず、どうやら未熟者同士が逸れてしまったらしい。


「ったくあいつ、どこ消えやがったよ」


 そう言うと、また「あいつ」を探すために大きな声を出して、少年は木々の間を擦りぬけていった。やがてその姿が認識できないほど遠くに消えた時、アントンはやっとアルの口の封印を解いた。


「危ない、気づかれるところだった」


 やっと口を塞いでいた手がのけられ、アルは話を再開させた。


「続けるぞ、2日後の夜、時計塔の鐘が8回鳴る時に荷物をまとめてこの場所に来い。馬を連れてくるからそいつに乗って軍と合流する。そこから本国に戻れ」


「了解した」


 アントンは大きく頷いて、アルの話を頭に刻み込んだ。


「いいか、これは絶対に失敗できない作戦だからな。全てはお前の行動力にかかっている」


 アルは真剣な目つきでアントンの顔を見た。


「わかっているとも。必ずあんな町するっと抜け出してみせるから」


 アントンは陽気な口調でアルの不安を拭い去ろうとした。


「今日はこのくらいかな」


 日が完全に西の山の向こうに隠れたところで、アントンが呟く。


「この森までよく来てくれたね、アル」


「王の忠実な部下としてな。命令は何であろうが遂行する」


 アルはニッと笑う。


「イストラクのために」


 アルは右手で拳を作り、アントンの前に突き出す。


「血と繁栄を」


「血と繁栄を」


 アントンもアルの拳に合わせて左手の拳をぶつけた。


 アントンは先程の頭巾を再び深く被り、鐘が聞こえた方角へと歩き出した。


「気をつけてくれよ」


 帰り際、アルがアントンに向かって心配そうな顔をした。


「任せろって」


 アントンは楽勝そうな笑い顔で返す。


「せいぜいあと2日ほど、エレフセリアの運命を楽しんできてやるよ」


 アントンは視線を戻し、滅びゆく町へと戻っていった。


 そしてもう一つ、彼らから少し離れた木の裏に隠れていた人影も、その町へと急ぐように足を早めた。


「<忍足ライゼ>」

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