1−5 紅の上着、黄金の花紋
「ポルド、どんだけ酒癖悪くても他人には手出しちゃダメって言ったでしょ!?」
店内の大騒動を一瞬で鎮めたテレーズが、明らかに年上のポルドにツカツカと歩み寄り彼の態度を強く非難した。団長に代々引継がれる赤の上着が酒場の光を反射させ、低身長ながらも近づき難いオーラが放たれる。
「お、おう、そうだったな。すまん」
数秒前まで気が高揚して本気の殴り合いをしていたはずのポルドが、冷静で反省気味な口調で年下のテレーズに謝罪する。
「でもこいつぁ、俺ら上級をバカにしてきたんだぞ姉ちゃん。すぐに許せるわけねえ」
「許せないからって、すぐに殴っていいわけじゃない」
ポルドは俯いて黙り込んだ。彼とテーブルを共にしていた仲間たちも、テレーズの言葉で一言も発せずにいた。
テレーズは、今度は壁にぐったりともたれかかったヒルベルトの方へと近づき、顔を顰めて質問した。
「あんたね、ポルドを馬鹿にしたってのは」
顔がすでにアザだらけのヒルベルトはピクリとも動かず無言を貫く。
「見る限り下級で、うちの団所属でもないね」
すると、「下級」という言葉に感化されたのか、ヒルベルトは顔を上に向け、酔いがまだ抜けないまま鋭い目つきでテレーズを睨んだ。
「あ……? なんだ姉ちゃん、やる気か?」
「お、おいっ!」
思わず遠くで見ていたユーリが親友を止めようと声をあげる。
「黙りなさい!!」
「あぁ!?」
テレーズは相手に対話の意志がないと見るや否や、即座に剣を鞘から引き抜いてヒルベルトの鼻に先を向ける。
「ひぇっ……」
喧嘩腰だったヒルベルトも、彼女の迫力で怯んで萎縮した。ユーリはどうにか助けたい一心でヒルベルトに助け船を出そうと思い立ったが、彼も恐怖のあまり言葉が喉から飛び出してこなかった。
「あのね、」
テレーズは一度大きくため息をついて話し始める。
「私を馬鹿にするなら好きにすればいい。でも他の人に手を出さないで。アペレフト鎮魂士団の団長として、私が許すわけにはいかない」
短いお説教にヒルベルトも周囲も、一声も出せずに聞き入っていた。
ーー テレーズ…… 生きてる、テレーズが、まだ生きてる……!
ユーリの目を通して見える映像で、脳内に宿るナーシャは感極まりながらテレーズの生存に安堵する。
ーー あの人って……
ーー 私の…… 親友です……!
姿こそはないものの、ナーシャの顔面はすでに涙でずぶ濡れになっているようだった。
「そこのキミ!」
「は、ハイッ!!」
テレーズが180度振り向き、かなり遠くから様子を見守っていたユーリに声をかける。突然の指名に、ユーリは緊張が自分の中で高まるのを感じながら返事した。
「君がこの子の連れ?」
「え、あ、はい、そうですが……」
一体あのテレーズさんが何を俺にしてくるのか、そんな不安がユーリの体内を駆け巡る。ヒルベルトもろとも殺されるのか、監督責任で勾留されるのか……
「この子、頼んだよ。」
「……え?」
「暴れさせないようにちゃんと監督すること」
「あ、はい……」
ユーリの不安は杞憂に終わったものの、緊張で固まった口を上手く動かせず、ユーリは返す言葉に困った。
「おい、あれってアペレフト鎮魂士団のフェドラン団長だろ?」
やっと店内の緊張が徐々に溶け始めた時、近くにいた客のヒソヒソ話がテレーズの耳にわずかながら届く。
「ああ、見るからに強そうじゃねえな」
「……っ」
ーー なっ……!!
テレーズは黙りこくる。言い返したいが言い返せない。
数分前に、自分を馬鹿にするならまだ良いと豪語していたが、それでも陰口を本人の前で叩かれるのには我慢するのも苦と感じていた。同時に、ユーリの耳にも聞こえた同じ言葉に、ナーシャは安堵から一転、相手に聞こえない怒りの声を発する。
ユーリは侮辱されたテレーズの姿を確認する。団長のみが着られる上着、そして酔っ払ったヒルベルトさえも黙らせた剣をつけて、人を寄せ付けにくくしているオーラを放っているにも関わらず、確かにそこには団長のテレーズを団長たらしめていない何かがあった。
「この団長に変わってからガーラロアの領土はことごとく侵害されてる。エウカリスティアも奪われちまって俺らの酒がのめねくなっちまったじゃねえかよ」
だんだんテレーズの中で悔しさが込み上げてくる。抜いていた剣を握る力が強くなっていった。
「そうだ、スパース団長の時の方がよっぽどマシだったよ」
「……」
この言葉で、テレーズの中の自尊心がガラガラと崩れていった。自分が親友よりも力がないことは自認していたものの、もはや自分には何も期待されていないのではないかという絶望が彼女に襲いかかる。
「……貴様ら」
ポルドの低く無感情な声が店内に響き、客の喋り声が再び消えた。
「姉ちゃんを馬鹿にすんのも大概にしろぉ!」
ポルドは怒りの籠った歩きで誹謗した客に近づき、その客の胸ぐらを掴んで威嚇した。
「姉ちゃんだってお前らが知ってる以上に頑張ってんだぞ! その努力を否定すんのかてめえらぁ!」
「ポルド!!」
テレーズの発した懸命な一言で、ポルドははっと気づいて一瞬黙り込み、その後、悔しさを残しながら仕方なく胸ぐらから手を離した。
「うはっ!」
ポルドの力強い手から解放された客は、その勢いでテーブルにぐったりと仰向けになった。
「馬鹿にすんなら俺だけにしろ。姉ちゃんなんかに悪口言う権利は絶対に握らせねえ」
そう静かに言い残して、ポルドはまだ壁にもたれかかったヒルベルトの前に立ちはだかった。
「酔いが覚めたら本部に来い。今度こそたっぷりシバいてやる」
ヒルベルトはただ無言でポルドの言葉を聞き入れた。
「…… 本部に、戻るよ」
そう言うと、テレーズは客に背を向けて入り口の方へと足速に去っていった。ポルドとその仲間たちは、数枚の硬貨をテーブルに残してテレーズの後を追いかけた。
✴︎
一連の騒動があったせいか、酒場の周りには多くの野次馬が外に集結して事の一部始終を見守っていた。やがてテレーズが店の中から姿を現すと、騒ぎが終わったことを悟った通行人は一人、二人、と離れていきやがて普通の平穏が通りにもたらされた。
通りはすでに薄暗く、軒を連ねる店の僅かな光が大きな道の一部を明るく灯していた。
「テレーズさん、本部に戻りますか」
店の外で待機していた小柄な少女が、憂鬱な顔のテレーズに声をかける。
「うん、先に戻ってて」
テレーズはわざとらしい微笑みを作って答えた。少女はテレーズを心配しながらも一人本部へと帰っていった。
店の前でポツンと一人で残されたテレーズは、先程の事件を思い返しながら自分の足元をじっと見つめていた。誹謗中傷が頭の中で何度も再生されてしまう。聞こえてきた声がさらにエコーとなり、悪魔の囁きのように自分を飲み込もうとする何かに変わっていっていくのをテレーズは必死に否定しようとした。
「姉ちゃん、大丈夫か」
店から出てきたポルドが、テレーズの肩を優しく叩く。
「ポルド……」
「お前ら、さき帰ってろ。俺は後から行くから」
ポルドは仲間にそう伝え、その場から立ち去らせた。
「……あんな奴らの言うことなんか気にすんな」
落ち着いた声で、ポルドが呟く。
「所詮俺らとか姉ちゃんのことを知らない、たかが素人野郎だ。姉ちゃんがどんだけ頑張ってるかなんて、近くにいる俺ら幹部が一番よく知ってる」
慰められながらも、テレーズはいまだに下を向いた顔を上げることができずにいた。
「私…… やっぱりダメなのかな?」
そうだ、お前なんか辞めてしまえ、そんな声がテレーズの心の中で大きくなっていってしまっていた。
「自信無くすな、姉ちゃん」
「前はさ、ずっとナーシャがいてくれたから頑張れた」
テレーズの目がだんだん溢れてくる悔しさで潤んでくる。
「でも、ナーシャがいなくなっちゃってから、エウカリスティアも奪われて、私の指揮も全っ然上手くいかなくて! しかも連合軍がもうそこまで来てるっていうのに! なのに、私は…… 私はっ!」
「姉ちゃん……」
ポルドの大きな手が、テレーズの頭を優しく撫でる。目から溢れた涙が、頬を伝って地面に水滴となってポタポタと落ちていった。
「辛い思いをしてるのは姉ちゃんだけじゃねえ。俺ら幹部だって、ずっと頭痛めながらやってきたんだ。姉ちゃんだけの責任じゃねえ」
テレーズの握っている手がプルプルと震え、その拳をテレーズはぐちゃぐちゃになった思いを込めて、何かを叩く前のように突き上げた。しかしその行き場のない怒りは拳に込められたままどこかに当てることもなく、テレーズはただ膝を抱え込むようにうずくまった。
「私なんか…… ナーシャと比べたら…… !」
誰にも見られないように顔を隠している脚に、テレーズは力一杯握った拳を何度も叩きつける。
「助けて、ナーシャ……!!」
一時も忘れた事のない親友の姿。その姿は、自分の知る限り、もうこの世にはない。
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