1−4 発泡酒と片腕
「ぷはぁぁっっ!! やっぱエウカリスティア産の酒しか勝たぁん!!」
臭う吐息を撒き散らしながら、頬を真っ赤に火照らせたヒルベルトが周囲の騒々しさを凌ぐような大声で歓喜の声をあげる。同時に、ジョッキをテーブルの上に勢いよく叩きつけ、鈍い音が屋内に広がった。他の客からの視線が一気に浴びせられる。
「やめろヒルベルト、俺が恥ずかしいから……」
「ふぁっ!? どうせ周囲なんて俺らドベのカタルシストにゃ振り向きもしねえ」
「だけどぉ……」
雰囲気から浮いてしまっているように大人しいユーリは、周りの客の目線を気にして理性を無くしつつあるヒルベルトをどうにか落ち着かせようと試みる。しかしそんな「戯言」を酔っ払ってしまった人間が受け入れるはずもない。
「俺ら下級はよぉ、」
ヒルベルトが急に悲しそうな口調で語りを始める。
「どんだけモンスター倒して凍心臓いただいても、これっっっっっぽっっちしか金が貰えんのよ! モンスターいっぴきで怪しそーな赤い木の実2つしか買えんし、中型とか大型も、俺様ヒルベルト・ゼド様が、ブッコロぉす!!」
意気込みを語り終えたところで、酔っ払いはジョッキの中にまだ半分は残っていたエウカリスティア産の発泡酒を一気に飲み干す。気持ちよさそうなため息と同時にジョッキが空っぽになり、テーブルに置かれるとカタッと軽い音を発した。
ーー ヒルベルトはいつもこんな感じなのですか
ユーリの脳内からナーシャが話しかける。
ーー いや、ただ酒に弱すぎるだけ。なのにたくさん飲む奴で……
ーー まるであの人みたいです
ナーシャが呆れた様子ながら納得する。
「最愛の友ユーリくん! ヒクッ」
「うわぁぁっ!」
突然ヒルベルトがユーリの肩に腕を回し、喉が閉まりそうな力でユーリの体を強引に引き寄せた。
「くっ、さっ……」
彼の口元に近づけられたユーリの鼻にアルコール臭が大量に侵入し、ユーリはゲホゲホと咳き込んだ。
「聞いてくれ…… 俺はぁ、今日、」
ヒルベルトが哀愁に満ちたような口調で途切れ途切れに言葉を繋いだ。その後数秒間沈黙が二人の間を通り過ぎていき、やがて鼓膜が破れてしまいそうな大声でヒルベルトが叫んだ。
「恋をしてしまったぁぁぁぁーーーー!!!!」
「はぁ!?」
思いもよらなかった唐突すぎる告白に、ユーリは親友の酒臭さを忘れて戸惑わずにはいられなかった。
「森の中彷徨ってたらよ、なんかキレーイなお姉さんいてよ、めっちゃ強そうだった! ジョーキューみたいなカッコーしてて、でもユーリの剣持っててぇ…… ってあれ、なんでユーリの剣持ってたんだあの女の子は?」
「さあ? 錯覚、だろ…… エホッ」
さらに言葉のチョイスが幼稚になってきたヒルベルトに適当に返事を返しながら、ユーリは頭の中の彼女に問いかけた。
ーー なんかキレーイなお姉さんって、もしかして?
ーー 情報からして、ええ、私のことですね
ナーシャはどこか少し恥ずかしそうにユーリに答えた。
ヒルベルトが自分語りを堂々と続けている中、理性を保っていたユーリの目には、ただわめき騒ぐだけのヒルベルトの姿にこまめに目を向けつつ、仲間と一緒に下級の酔っ払い迷惑客について話している周囲の客の姿が多く映っていた。
「おい見ろよ、」
隣のテーブルに座っていた中年の商人のグループがヒルベルトの方を指さして話し始める。
「あそこのテーブル占拠してるあの野郎、もうエウカリスティアの酒を3杯も飲み干しやがった。下級のくせにいい面して話してんじゃねえかよ」
さらにいろいろな方角からヒルベルトについての悪口が聞こえてくる。カウンター席に座っていた中級のカタルシストと思わしき格好の男は、2人に軽蔑の視線を向けつつ、ほとんど絡みがないであろうカタルシストを巻き込んで陰口を叩いた。
「なんかあそこの坊主が素晴らしい飲み方をされてらっしゃるけどよ、あんなに飲めるんだったらきっとエウカリスティアもガーラロアのこれまでの土地も全部取り返せる自信があるんだろうなぁ、ハハハハ!!」
いつもであれば散々に中傷される親友を見れば恐怖に怯えながらも反論するはずのユーリであるが、ヒルベルトのスリープホールドで固定されてしまっている状態ではどうすることもできなかった。
彼は周囲に反論することができなかったものの、内心ではこのようなバッシングの嵐に巻き込まれてしまっている羞恥心、酔った友を馬鹿にするような発言を繰り返す周囲に対する怒り、そして自分が何も出来ずにただその状況を見守るしかないでいる自分の無力さが渦巻いていた。
すると、自分トークに飽きたのか、ヒルベルトは近くを歩いていた若いウェイトレスを大きな声で呼び寄せた。
「お姉ちゃぁん! この酒もう一本くれ!」
そう言ってヒルベルトは、さっきまでエウカリスティアの発泡酒が入っていたジョッキを高々と掲げてみせた。この注文を耳に挟んだ他の客がさらにざわつき始める。ヒルベルトの腕の力が緩み、ユーリはなんとか固定状態から抜け出すことに成功した。
「勘弁してくださいっ!!」
堪忍袋の緒が切れたウェイトレスが、珍しく客に強い態度を見せた。
「エウカリスティア産の発泡酒はもうこの国のものじゃなくなったんです。うちでも仕入れられなくなってもうあと数本しか在庫が残ってないんですよ」
「そんなのいいから、持ってきてくれよぉ」
「できません」
ウェイトレスが毅然とした態度をとっているにも関わらず、ヒルベルトはそんなことも容赦なしに酒をせがもうとする。
エウカリスティアといえばガーラロアの北東に位置する地方の街で、歴史上交易で栄え、現在では発泡酒の生産で著名な場所である。しかしエウカリスティアが隣のイストラク王国に攻略されてしまって以降、酒など名産品の物流はおろか、人までもが行き来することのできない状態が続いていた。
この酒場は発泡酒を多く仕入れていた甲斐あってか、かろうじてまだ在庫が残っていたものの、時が経つに連れて残りも底が見えるほどまでになっていた。
「おいやめろ! もう帰るぞ!」
もはやモンスターカスタマーと化してしまったヒルベルトをユーリは必死に宥めようとするが、そんな親友の叫びが酔っ払いの髄にまで届くはずもなく、ヒルベルトの態度はさらに悪化していった。
「あぁもう頭きたぁ!! 他の店で飲んだっくれたるわ!」
ヒルベルトは勢いよく席を立ち、足がふらふらなりながらも持論を展開し続けた。
「まずあんなうめえ発泡酒をなんで出してくれねえんだよ? あと数本残ってんだろ? ならなんで……」
ここまで言いかけたとき、ヒルベルトはふと他人の足を踏んでしまい、危うかったバランスをさらに崩しかけた。ベラベラと続いていた言葉が切れ、踏んだ足の持ち主に目が行く。
「あ? 足ぐらい引っ込んどけよジジイ」
垂れ目で怒り心頭の下級がジジイと侮蔑的な呼称で呼んだのは、左腕のない中年の男だった。彼は股を開けたまま凍りつき、数秒経ってゆっくりと体をヒルベルトの方に向けた。ついさっきまで騒がしかった店内が一気にしんと静まり返る。
「おい貴様、今何つった?」
反論されて、ヒルベルトはさらに気が高揚していく。
「おぉ言ってやるよぉ! 足ぐらい引っ込ませとけやこの片腕死に急ぎ!」
「そんなこと、よくこの上級に向かって言えんなぁ、おぉん?」
さらにひどい言葉を被せられた中年男はニヤリと歯を見せながらゆっくりと立ち上がり、ヒルベルトとほぼ同じ高さに視線を合わせた。腕につけられた小さな紋章からして、上級のカタルシストであることにユーリはすぐに察しがついた。しかも鎮魂士団の幹部であることも。
「おいまずいぞヒルベルト! 上級のカタルシストとか喧嘩売れるような相手じゃない! しかも鎮魂士団の幹部だからもっとまずい! もう帰るぞ!!」
「うっせぇ! 俺がムカついてんだからムカつかせろぉ!」
ユーリの制止は全く意味をなさず、むしろヒルベルトの負けず嫌いがますます強くなっていった。ヒルベルトは男の方を向き、無敵そうな笑みを浮かべる。
「へっ、おりゃあ口だけの男じゃないんでなぁ!」
「ほう、言うじゃねえか小僧」
険悪なムードに、両者はさらに乗り気になる。もはやこの状況を自分一人ではどうにもできないと判断したユーリは、一歩、二歩と後ずさる。
「言っとくけどこっちは本気でいくかんな?」
「おぉ、腕一本ないからって舐めんじゃねえぞガキ!」
ヒルベルトは両手の指をパキパキと鳴らすと、勢いよく男に殴りかかった。
「おーらぁー!!」
拳は鈍い音を立てて男の胸に直撃した。しかし男は一切動じず、むしろ笑みが顔面に現れる。
「チョロいな貴様ぁ!」
そう言い放つと、男の一本しかない腕でヒルベルトの腕をガシッと掴み、怪力で2つ隣のテーブルの方に投げ飛ばす。一般客のテーブルにヒルベルトの体がダイブし、置かれていた料理やジョッキ、グラスが次々と落とされ、割れる鋭い音が店内に響き渡った。
「うぉわぁ!」
周囲の客は突然の出来事に驚きながらも、男の強い力に感嘆して声を上げる。その声はすぐに大きくなり、店内は熱狂に包まれた。
「いいぞーポルド!!」
「下級野郎なんかやっちまえー!」
周りからはポルドに対する熱いエールが続々と贈られる。
既に三度もテーブルの上に叩きつけられたヒルベルトはそれでもギブアップしようとせず、片腕の怪力であるポルドに立ち向かい続けた。
「まだまだ!」
客の熱狂はさらに大きなものになっていった。
「どうしよう、どうすれば……」
どうにもできなくなってしまった状況で、ユーリは頭を抱えながら親友の無謀な殴り合いから目を逸らして頭を抱えていた。
ーー …… やめて
ふと頭の中から小さな呟きがユーリに届いた。
ーー え?
ーー ポルド、やめて
ーー ポルドって、知ってるの、あの人?
頭の中から聞こえるナーシャの声はとても痛烈な響きを持ってユーリに聞こえていた。
果敢に殴りかかり続けているヒルベルトは、今度は胸ぐらを掴まれたあと投げられて壁に強く背中を叩きつけられ、既に服の一部が剥がれてしまうほどに体はボロボロになっていた。破れた穴からは赤く腫れた肌が所々見え隠れしてしまっている。壁によたれかかって動けない下級の新米に、ポルドは一歩ずつ近づいていった。
「ヒルベルト!」
どうにもできないユーリには、ただ親友の名前を遠くから呼ぶことくらいしかできなかった。
ーー お願いだから
ユーリの脳内で、一生懸命ナーシャが祈り続ける。
ーー やめて、やめて!
その声は届くはずもなく、ヒルベルトの体を大きな影が覆った時にはポルドがヒルベルトの胸ぐらを掴み、最後の一発を下そうとしていたところだった。
ーー やめてーー!!!!
「そこまでにしなさい!!!!」
熱狂に沸いていた店内に、ドアを勢いよく開ける音と若く威厳の籠った女声が響き渡る。一気に店内が再び静まり返った。
その入り口に立っていたのは、一人の若い女だった。
「姉ちゃん!」
ーー テレーズ……!!
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