1−3 体の中の居候

 ーー 声に出さなくて大丈夫です、あなたの頭の中から語りかけていますので


 突然聞こえた声が落ち着かせるようにユーリに話しかける。


 ーー 頭の中……? どういうこと!?


 ーー 落ち着いてください、快楽草による幻聴などではありません。全てお話ししますので、取り乱さないで聞いていただきたいのです


 ユーリは何が起こっているのか全く掴めないことにひどく困惑していたが、落ち着いてくださいと促す声に従って、自分の感情をなんとか抑え込んだ。


 ーー わ、わかった…… それで、あなたは何なんですか


 ーー 率直に言えば、あなたの体に取り憑いた魂です


「魂!?」


 驚きでユーリの口から声が飛び出てしまい、彼は即座に自分の口を押さえて部屋中を見回す。右、左、右と注意深く部屋を囲む白い壁を注視して誰からも見られていないことを確認すると、ユーリは一度目を閉じて深呼吸した。


 ーー そうです。悪霊などではないのでご心配なく。私だって3年前まで一人の人間として生きていたのですから


 ーー それはー、つまりもう死んでるってことじゃ……?


 ーー ええ、肉体としては死んでいます。しかし私の肉体は死んだ時に浄化されませんでした。普通お葬式の際には亡くなった方に目掛けて浄化魔術を撃ちますが、私の場合は、少しいろいろあって撃たれなかったのです


 ガーラロアでも周囲の国でも、誰かが亡くなって最後に冥土に見送る際には、死体には必ず浄化魔術を撃つことが慣習となっている。亡くなった人の残した未練が何かに憑依して将来暴走するのを未然に防ぐのが今となっては主な目的とされる。


 また昔からの死生観に基づいて、神が決めた限りある命が浄化されないことによって、神聖な限界を超えないようにするという意味も込められている、というのを孤児院の院長から小さいころ教えてもらったのをユーリはふと思い出した。


 その時の院長の泣きそうな目。脳裏から引き摺り出される記憶によって、彼は危うくその時から少し前の忌々しい事件を思い出しそうになったが、自分に言い聞かせて頭の中の謎の声との対談に意識を戻した。


 ーー それでもこの世に残した未練もありましたし、現世に戻って来れたのはとても光栄なことです。しばらくの間、あなたの体を借りて生活することになるのでよろしくお願いします


 ーー 借りるってちょっと…… しばらくの間って、どれくらい?


 ーー そうですね、5年、とか


 ーー 5年!?


 ユーリの目が大きく見開いた。


 ーー 目的が果たせなかったら、10年でも30年でも居座り続けますが……


 ーー 勘弁してくれ……


 彼は突然見知らぬ人間と共有して暮らさなければならなくなった体を眺めて、はぁ、と大きなため息をついた。


 ーー それで、あなたの目的ってのは?


 ーー 目的はいくつかありますが、一番はこの国を救うことです


 ーー この国を救う!?


 ーー ええ、救うんです


 ーー ガーラロアを?


 ーー はい、このガーラロア王国を、です


 ーー またスケールのデカいことを……


 ーー あとは、そうですね、この大陸の統一でしょうか


 ーー ああ、もうわかんない……


 ユーリはシャットダウンしたように、顔をふわふわの掛け布団に埋めた。


 ーー こんなことで倒れていては一人前のカタルシストにはなれませんよ


「こんなことで」という言葉に引っかかったユーリは、取り憑いた魂の言葉に段々と腹が立ってくるのを抑えられなくなってきていた。まるで舐めているような口調で語りかける魂に、ユーリは怒りを込めて攻めた質問を投げかける。


 ーー そういうあなたは何者なんです


 ーー そうでした、まだ名乗っていませんでしたね。親しき仲にも礼儀あり、というものですし


 ーー 急に親しき仲にされるのも癪だけど。で、名前は


 ーー アナスタシア。アナスタシア・スパースと申します


 ーー スパースって……!


 どこかで聞いたことのあるような名前が、ユーリの心臓の刻むビートを一気に加速させた。


 ーー ええ、第96代アペレフト鎮魂士団の団長です


 アナスタシア・スパース。その名は孤児院にいる時から鼓膜がすり減るほどに聞かされてきた。不敗のカタルシスト、救国の少女、神の子。


 国内最大のカタルシストの集まりである、アペレフト鎮魂士団を率いて周辺国への遠征を何度も成功させ、弱小国だったガーラロアを一大王国へと押し上げた功労者として、この名を知らない者はいるはずがない。この国の領土を2倍以上に広げ、しかも被支配地の住民たちを一切傷つけずに寛容に受け入れたことで多くの市民からの熱烈な支持を受けていた。


「あら、聞いて! スパース団長がまた快進撃ですって」


「うちらは未来永劫安泰だよ。聖女様のおかげだ」


 数百年前の始祖のカタルシスト以来最強と言われ、周辺国との戦いに勝つたびに、街中の人たちは女神以上の賞賛をもって彼女に関する話で持ちきりだったのをユーリは鮮明に覚えていた。


 それが3年前、急に彼女の訃報がこの国を縦横無尽に飛び交って以降、ガーラロアの景色は時が過ぎてゆくたびに急速に色褪せていっていたのは子供だった彼にも明確だった。


 それからは、どこどこが奪われた、というような王国には耳の痛い話ばかりが入り、この機会をまたとないチャンスと捉えた周辺国による侵入や略奪が繰り返されるたびに、街のどこからか悲痛な叫びが聞こえてくるのがもはやこの国にとっての通常運転となっていた。


 しかしそのいなくなってしまったはずの聖女が、今こうして自分の中に宿り、直接自分に話しかけている。そのことは言葉に表せないほどの光栄ではあるのだが、なぜこんな下級カタルシストの体の中に入ってきたのか、ユーリには驚きと歓喜よりも頭の中のハテナが渦を巻いていた。


 ーー さ、先程からの無礼、大変申し訳ございませんでした!


 恥ずかしさで合わせる顔もないユーリが心の底から謝罪する。物理的に合わせる顔がないにしても、言葉だけは最大限の敬意を込めるように彼は言葉を選りすぐった。


 ーー そ、そこまでかしこまらなくても大丈夫です


 想定していなかった丁寧すぎる謝罪に、アナスタシアは少し困惑した様子だった。


 ーー 同居人ですし、私はそこまで敬語を使われることが好きではないのです


 ーー ところで、なぜスパース団長は俺の体に……?


 ーー 私の呼び名も、ナーシャで構いません。友達からもそう呼ばれていましたので


 ーー じゃあ、なんでナーシャは……


 恐る恐るユーリは質問を投げかける。


 ーー そうですね…… ただ単に、倒れているあなたを見て助けたいと思ったからでしょうか


 ーー 助けたいって、こんな俺、を?


 ーー やはり困っている人を見ると助けたくなってしまうのが私です。誰か一人の命が虚しく奪われるよりは、手を差し伸べるべきだと判断しました


 アナスタシアは少し気恥ずかしそうに答えた。


 ーー ちなみにあなたは、ユーリ、さんというのですか


 ーー え、あ、はい、ユーリ・ヴァーレント、っていいます…… まだ駆け出しの下級のカタルシストだけど


 ーー やはりユーリという名前でしたか!


 アナスタシアはすごく興味津々そうに話かけた。


 ーー 先程の少年に、森の中で何度も名前を呼ばれていましたから。あなたがユーリという名の少年なのだろうと信じていました


 ーー ヒルベルトのことか。っていうか俺が見聞きしたことが聞こえるの?


 ーー はい、視覚と聴覚は共有されています。そのため、あなたが今見えている景色も、聞こえている話も、全て私が聞くこともできるのです。でも森の中では、私の体に勝手に変身させていただきましたよ


 ーー 変身!? それって、その、どういう……


 変身という聴き慣れない単語に、ユーリは少なからず困惑を見せる。


 ーー これは説明するよりもお見せしたほうが早いでしょう。百聞は一見に如かずといいますし


 ユーリの脳裏に嫌な予感が漂う。


 ーー いきます。<変身メタモルフォシス>!


 アナスタシアが魔法を唱えるやいなや、ユーリの体が光の帯に包まれて変形し始めた。戻ったばかりの彼の意識は、真っ白な景色に視界が覆われるとともに一瞬だけなにかに吸い込まれるように薄まっていった。


 しばらくしてユーリがはっとして意識を取り戻す。しかし視界は至って良好、軒を連ねる正面の通りの音も十分に聞こえた。


 ーー なにか、変わったかな……?


 ーー そうおっしゃるのであれば、私の手を見てみてください


 そう彼女が言うと、真っ直ぐを向いていたはずの視線が掛け布団の上に置かれている2つの手に落とされた。動かそうとしていなかった視界がグラっと揺らいだことに彼は奇妙さを覚える。


 先程まですべすべしていて怪我の影響で少しひりっと感じていた手が、もはや全く別の物に変わってしまっている。直に皮膚が出ておらず、黒色の薄い布生地の上に硬そうな、ところどころが日光に当たって金のような煌びやかさを醸し出している薄い金属片が、関節以外の全てを覆っている。


 もう片方の手にも、腕にも、そして体にも、重そうで強そうな装備が身体中を頑丈に覆っていた。


 ーー それでも信じていただけないのであれば、顔をご覧ください


 そう言って、今度は日の光の差し込む部屋の唯一の窓へと視線が向いた。正面の通りが向こうまでよく見える窓には、ただ可憐な、でも勇敢そうな、どこかで見たことのある顔が反射して視界に映っていた。数秒の沈黙が流れた後、少年ユーリ・ヴァーレントはようやく状況を理解した。


 ーー 嘘だろぉぉぉぉ!!??


 彼の叫びは外に響くことなく、静かな表通りはその静寂を邪魔されず平穏を保っていた。


 その時、階段を一段ずつ、コツ、コツとこちらに向かって上がってくる音が壁を伝って聞こえてきた。魂としての存在のユーリは咄嗟に焦りを見せる。


 ーー まずい、帰ってきた! えーっと、戻んないとぉ……


 ーー <変身メタモルフォシス>


 ユーリが彼女の頭の奥でバタバタしていた間に、アナスタシアが囁き声ほどの音量で例の魔術を詠唱した。


「帰ったぞーユーリ! ってあれ、どうした、お前?」


 やっとユーリの体に戻った時、彼は黙ったまま、さっきまで頑丈そうな防具で覆われていたはずの両手に視線を向けていた。

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