最終章17話『拒絶』



「――なんなんですか」



 そんな僕とエルジットのやり取りの中、ひどく冷めた声がウェンディスの元から聞こえてくる。



「なんなんですか、もう。私、馬鹿みたいじゃありませんか。考えたんです。悩んだんです。どうすれば私が自分というものを持てるのか必死に考えたんです。この矛盾ばかりの世界で一生懸命考えたんです。必死に自分の中で芽生えた違和感を消さないように、消させないようにと強く強く意識したんです。流されそうになる自分をそうじゃない。違うと何度も戒めてきたんです。それなのに――なんですかこれ? 私一人が必死じゃないですか。空回りじゃないですか。どうすればいいんですか? 何が本物で、何が偽物なんですか? ねぇ、兄さま。私は――本当に、真の意味で兄さまを愛しているんですか?」



 泣きそうな女の子がそこには居た。


 色々詰め込んで、自分一人で背負えない荷物を必死に、傷だらけになりながら背負ってきたんだろう。


 そうして必死に背負ってきた荷物を前にしてどうすればいいのか、なんのために傷ついて来たのかを自問自答する。


 それが今のウェンディスだ。



「何度も思ったんです。こんな痛みを背負ったままなんて嫌だって。他の皆さんのように変わらぬ日常を謳歌しようかとも少しは考えたんです。でもダメなんです。兄さま……兄さまを愛するこの心が本物かどうか、どうしても確かめずには居られなかったんです。そして――」



 ウェンディスが未だ地に伏したままの広河さんをキッと睨む。セバスさんが何かしら治療を施しているようだけどまだ回復していないみたいだ。


「もしこの感情が誰かに植え付けられた偽物なら――その方に地獄を見せてやろうと、そう決意したんです。この身を焦がす熱い感情が誰かに植え付けられたものだなんて……耐えられません。認めたくありません! いや……いや……イヤ! そんなの嫌なんです! だってもし偽物なら私はどうすればいいんですか!? 想像するだけで恐ろしい! それでも確かめには居られないんです! そして万が一偽物だったらと思うと私をこんな風にした神様が憎くて憎くて仕方が無いんです!!」



 癇癪かんしゃくを起こしていやいやと頭を振り回すウェンディス。まるで駄々っ子だ。認められない、認めたくない物から必死に目を逸らそうとしている子供。年相応の女の子の姿だ。



「だから兄さま! そこをどいてください! その方を……そいつを殺させてください! 今なら殺せるんです! 確かめられるんです! 私はこの愛が偽物じゃないという確信が欲しいんです! だから――お願いします!! そこをどいてください!! そして私を――助けて」



「嫌だね」



「え?」



「何を意外そうな顔をしてるのウェンディス? 僕が今の『助けて』って言葉に反応して言う事を聞くと思った? 女の子に『助けて』と言われたら助けたくなるってさっき僕が言ったから? ああ、確かにその理屈で言うなら僕はウェンディスを助けるべきなのかもしれないね。でもあえて言わせてもらうよ――甘えるな」



 いろいろと可哀そうだと思う部分はある。そしてウェンディスは凄いなと思える部分もある。


 この世界の人たちがみんな自分の設定になんの違和感も抱かずに生きている中、ウェンディスだけは自分で違和感に気づいてここまで来たんだ。その意志力は凄まじいものだと言わざるを得ない。そしてそこまで追い詰められた身の上は……ああ確かに可哀そうだと思える。


 でも、そこまでだ。




 ウェンディスが求めている物、それは端的に言ってしまえば自らが感じている愛の保証だ。その愛が自分から生まれた物なのか、そうじゃないのかをハッキリさせたいと――そう彼女は言っている訳だ。



「もう一度言おうか? 甘えるな」



 愛の保証? そのために誰かを殺す? なんて馬鹿げた話だ。ああ、そもそも――



「自分の感情が偽物なのかどうかなんて問題を君だけが抱えていると思うのかい? ウェンディス。そんなつまらない問題に他人の命を巻き込むなんて馬鹿げてる。そんな事、絶対に僕は許さない」



 ウェンディスの場合はいささか事情が特殊だけど、人間ならだれでも自分の感情が良くわからなくなる時があるはずだ。


 自分が何に怒っているのかが分からない。誰かを見つめていると感じる胸の高鳴りの意味が分からない。吊り橋効果というのだってある。危険でドキドキするのを、恋愛感情のドキドキと勘違いするというものだ。



 それで自分の感情を確かめるために他人を殺害するなんて話があるだろうか? 否、ある訳がない。極端な話、ウェンディスが言っているのはこういう事だ。少なくとも僕はそう認識する。だからこそ……許せない。



「何が……何がつまらないですか!? 知らないくせに! 何も知らないくせに! 私が何を思って、いつも苦しんでっ、振り回されてるのなんて知らないくせに! 何を知った風に……兄さまなんか……兄さまなんか……」



「そりゃあ知らないよ。ウェンディスが何を思ってるのか、何に苦しんでるのか、何に振り回されてるのかなんて知る訳がないでしょ? それを知るのは唯一、ウェンディスだけだよ。そしてそれに答えが出せるのもウェンディスだけだ。答えを他人に求めるなんて出来る訳がないし、そんなの信じられる訳がない。たとえ相手が神様だったとしてもね。だからウェンディス。君が神様――広河さんを殺したとしてもきっと答えなんて出せない。表面で納得できたとしても絶対にどこかで本当にそれが答えなのか? っていう疑問が付いて回る。だから、ウェンディスがやろうとしてることは無駄でしかないんだよ」




「うるさいです! うるさいうるさいうるさい! 兄さまの馬鹿! 黙ってください喋らないでください口をそれ以上開かないでください! 嫌い……そう――嫌いなんです! そんなことを言う兄さまなんて嫌いです! 愛してなんか――ええ、愛してなんかいる訳が無いんです! 嫌い嫌い嫌い! 兄さまなんて嫌いです!」



「そうやって答えが出せるのもウェンディスだけだよ」



「うるさいです! 喋らないでと言ったじゃないですか馬鹿兄さまぁぁぁぁ!!」



 振るわれる魔の一撃。真っ白で綺麗な色の光の線。それがウェンディスの手元から放たれる。


 避けはしない。なにも自分のステータスを鑑みて大丈夫だろうだなんて目算がある訳じゃない。もしかしたら心のどこかではそう思ってしまっているのかもしれないが、仮にこの一撃が僕に致命傷を与える一撃だったとしても僕は受け止めないといけない。打ち払うなんてことも今回はしない。真正面から受け止めてやる。



「ぐっ」



 光が直撃する。触れた胸の辺りを中心にちょっとした喪失感が感じられる。何かがなくなっていくような感覚。



「え……嘘……なんで避けないんですか兄さま! 馬鹿なんですか!? あぁ、早く治療をっ」




 攻撃を仕掛けたウェンディス自身が一番驚いている。僕が避けるか弾くかすると思っていたんだろう。そのまま受け止めるなんて予想外だったみたいだ。



「大丈夫だよ。ちょっと変な感じはしたけどどうってことはない。それで……こんなものなのかい? ウェンディス?」



「なっ!?」


 僕の元へと駆け寄ろうとしていたウェンディスの足が止まる。それだけ今の魔法は危険な物だったのだろうか。僕が五体満足でいることが信じられないみたいだ。ウェンディスは後ずさり、「なぜ」としばらくあっけにとられていたが、すぐあとに「いえ」と首を振る。



「例え結果が無事だったとしてもまともに受け止めるなんてどうかしています! 馬鹿ですか兄さまは!? 今ので死んだらどうするつもりだったんですか!? 馬鹿!!」



「馬鹿馬鹿って傷つくなぁ」


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