ドッペルゲンガーについての考察 1

『此度ミスオールグリーンから頼まれました美作研究所に関する初期調査報告書ですが、深夜に突然連絡をよこして雑事をやらせるのはもはやパワハラなのではないかと。部下使いが荒いの承知の上ですが——(中略)。——あの研究所に対する調査はほぼ形骸化してい——(中略)。——そもそも初期調査は貴方様が指揮をとり行っておられたというのにどうして資料を把握していないのですか——(中略)。——さらに言えばその街の郊外の一住宅のことを明朝までに調べ、住人を空にしておけというのは無理があります——(中略)。――いえ、貴方様のお願いとあらばこの雪埜、死力を尽くすところではありますが、停職中の貴方様からこんなお願いが来たということが知られたらさすがに首が危のうございますので——(中略)。——というわけですので以下に資料を添付させていただきます。私のささやかなお力添えが貴方様の助けになることを祈っております』


 資料を開いてすぐに飛び込んできたのは数十行にも及ぶ実に丁寧な、かつ湿気のにじみでた文句だった。不満の声を上げながらも、書き手の受け手への尊敬が垣間見えて、すこしほほが緩む。

 こんなやり取りを、あの人もするんだな。

 でも、送られてきたテキストをそのままコピペして送ってくるのはいかがなものか。

 リテラシーとか機密とか大丈夫なのか。そんな不安が胸をよぎる。世代的に言ったらインターネットネイティブ真っ只中だと思うのだけれど。それとも、これは僕のこと信頼してのことなのだろうか。もちろんこれを外部に漏らすつもりはないので、その信頼事態は嬉しいものではあるのだが。

 つらつらと書き連ねられている慇懃な文章の下に(書き手の苦労が垣間みえる)、数ページにわたって件の研究所についての情報がしたためられていた。

 重要そうな箇所をピックアップしていく。


・正式名称 美作みまさか広域学術研究所

・責任者 美作令史郎みまさかれいしろう

・研究成果 ヒトゲノムの3次元的構造についての新たなる解釈、アインシュタイン・ローゼン橋を拡張した新ワームホール理論、美作・ドゥイットレー位相界位角方程式の理論構築、宇宙の泡構造についてヘンデル数を用いた拡大理論。

エトセトラエトセトラ……。


 A5サイズにびっしりと敷き詰められている文字列は、すべてこの研究所の研究員から発表された成果らしい。

 すごいな、物理学がメインと師匠は言っていたけど、遺伝子についての研究もしているのか。名前の通り、広い領域で研究しているのだろう。

 んじゃあ、あのことについても書いてあるのかな、どうも時系列順位並んでいるらしい。下から見ていくと……あった。


『並行世界の観測についての考察と実証結果について』


 という、SF的文字列。

 ……ふうん、師匠は「真偽不明」といってはいたけど、実証研究のできないものを発表するだなんて、よほど自身があったのか、それとも、やはり虚偽だったのか。

 僕は少し考え、そしてドッペルちゃんについても思考する。

 ドッペルちゃんとみほちゃん。

 美作とみほちゃん。それと美作の研究。

 その関係性が、決して浅くないものであろうことは、容易に想像できる。

 であるならば、ドッペルちゃんの正体も、おのずと想像がつくものだ。

 いささか突飛すぎる推理ではあるけれど……。

 いや、いい。多分これでいい。

 今は、これで。

 どれだけあり得ない可能性だとしても、可能性であるならば考慮しろ。

 

「で? いつになったらその推理とやらを聞かせてくれるんだよ探偵」


 その声に、僕は資料を見るために覗き込んでいた端末から顔を上げると、茶野ちゃんが気だるげに、しかし急かすように腕をつきながらこちらを見つめている。

 場所は変わって、再びの茶野ちゃんずルームである。

 低めのテーブルを囲みながら、さながら円卓会議の様である。

 そう、いまからこれまでの情報を精査して一応導き出した一つの推測を披露するのだ。

 まあ、得意げに言ってしまった手前、下手なことは言えない。


「ごめんごめん。もう待たせないから」

「ここまでさんざん引っ張っておいてしょーもないこと言ったら、怒るからな」


 茶野ちゃんの口調は落ちついたものだが、目が笑ってない。

 栢野さんと汀くんも、品定めをするように目を光らせている。特に栢野さんの眼がやばい。完全に発表者を吟味する教授のそれ。

 こわー。なんでこんな論文発表前の大学生みたいな気持ちにならなくちゃいけないんだ。

 変なこと言ったらその瞬間に喉元にかみついてやるという気迫を感じる。ちょっと口角上げてんじゃないよ。楽しそうにしやがって、まったく。

 背筋が伸びるね。


「ん、まあそこまで変なことは言わないよ」


 ちょっと突拍子もないけど。


「結論から言うと、さっき捉え損ねた彼女……ドッペルちゃんが、ライターX。つまり、あの記事を作成したんだ」

「それはさっき言ってたよな。で?なんでそういう結論になるんだよ。おまえ、ライターXなんていないって言ってたよな?」


 眼孔がすう、と細められる気配を右斜めから感じる。

 あう、まあこれはしょうがない。僕の言い方が悪い。それは反省。


「あのクロスリンクスの記事を書いた人間は確かにいる。それは確定だ。実際に記事が存在している以上、それは紛れもない事実だ。勝手に記事を作って投稿してるBotとかでなければね。じゃあどうしてライターXは存在しないなんて言ったのかっていうと、って言いたかったんだ」

「それって、どういう意味になるんだ?」

「うん、ライターXが未知の第三者でない場合、ここで考えられるのはいくつかあるけれど、僕がまず考えたのは、そもそもあの記事の内容はフェイクなのではないかということ」

 

 不服そうな目線。

 まあ、親友のことを嘘つき呼ばわりされているようなものだから、そうなるのも仕方ないのかもしれない。

 

「まあ、これは茶野ちゃんの供述から、一度は捨てたことなんだけど、とある事情で再び考慮せざるを得なくなった」

「その事情ってなんだよ」


 茶野ちゃんは少しばかり語気を荒げて先を促す。


「みほちゃんの存在だよ」

「……」


 沈黙があたりを包み、ただ静寂に傾聴している。


「今、僕のお姉ちゃんが自宅で身柄を預かっているみほちゃんは、どうも……こういう言い方があっているのかわからないけれど、ドッペルちゃんのオリジナル……なわけだよね、いうなれば。そして現在記憶喪失だ。これが、いつからそうなってしまったのかは分からなかった。なにせ自分の名前以外ぽっかりと抜け落ちてしまったんだから。そんなみほちゃんだけど、彼女を保護したのは2。茶野ちゃん、もう一度確認なんだけど、ドッペルちゃんを学園で見かけたのは?」

「3日前の昼頃だ」

「それは確実?」

「当然。……と言いたいがそのあたりだったと思うってだけだ。あんときはほんとにパニくってたからな」


 こういう発言に対して、自身の認識の曖昧性をきちんと自身で認められるものは、いままでの経験からそう多くはないことを僕は知っている。

 やっぱり律儀だ。


「でも、3日前なのは確実だ。流石に日付を間違えたりはしない」

「うん、そこは僕も信じてる。そしてここで、一つ疑問が生じる」

「……ドッペルちゃんはどのタイミングでみほちゃんと入れ替わったのか。だよね」


 栢野さんが実にタイミングよくパスを出していくる。

 ありがたいね。


「そう、入れ替わったとして、いつ入れ替わったのか。どう入れ替わったのかっていうのが問題だよね。そういえば、三日前に入れ替わったドッペルちゃんは、そのまま家には帰ってこなかったんじゃない? さすがに」 

「ああ、そうだ」

「じゃあ、あのアパートに戻ったのかな。それとも他に行動していたのか……それはわからないけど……ていうかそもそもさ」


 一拍おいて、目の前に置かれたグラスの中身で喉と唇を潤す。


?」

「それは……」


 言いよどむ茶野ちゃんは、そこはあんまり考えていなかったようだ。


「うん、面倒だよ。確かに!」

 

 栢野さんがこくこくと頷く。


「だって、ドッペルちゃんはわざわざ、みほちゃんと入れ替わって、なおかつ学園に顔を出してる。考えてみれば、これだって怪しすぎるよね~。なんで学園に顔を出す必要があったのかな。ドッペルゲンガーであることって、普通バレたくないものだとおもうんだけど。それに、みほちゃんの状態を知っていたのなら、ドッペルゲンガーとして動くのは無理があるんじゃないかな~。めちゃくちゃ怯えていたみほちゃんが、いきなりそんな行動に出たら、さーちゃんに怪しまれちゃうのは、分かると思うんだけどね~。そのまま姿をくらましてしまえば、こんなややこしくはならなかったよね~」

「じゃ、じゃあ、どうなるんだよ……どうしてドッペルゲンガーは入れ替わったんだ、どうやってみほと入れ替わったんだ!!!」


 こらえきれなくなったのか、声を荒げる茶野ちゃん。

 困惑の色が、濃く表れている。


、多分」


 そんな彼女に追い打ちをかけるように、僕は言った。

 



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