10円玉の謎
散々な推理ショーの後、僕らはアパートの部屋で戦場に横たわる屍のように転がっていた。
嵐のように過ぎ去っていったドッペルちゃんは、それでいて立つ鳥跡を濁さずといったふうに部屋をきれいに空にしていった。
その大風は、どっと僕らの力を抜けさせる。
みんながみんな、疲れ果てていた。肉体的にも、精神的にも。
もうみんな座敷に突っ伏して、虚ろな目で天井や壁を見つめている。俯瞰したら死んだ金魚が水槽に浮いてるみたいな光景だろう。
脱力感と、疲労感が、重石のように僕を押しつぶそうと強いている。
正直、ここを突き止めた時点であとは何とかなるんじゃあないかという期待を抱いていたのだが、それも泡の如く弾けてしまった。
最良は彼女をここで捕まえて、洗いざらいはいてもらうのが近道だと思ったのだけどなあ。
そんな探偵らしからぬことを言う僕だが、これは許してほしいところだ。安楽椅子探偵のようにはいかない。ショートカットがあれば、それを使いたくなるのが人間ってもんだろう。楽するために文明は発展してきたようなもんだし。
とはいえやっぱ、人生うまくいかないね。
はあ、と何回目かのため息をついて部屋を見渡す。
ほかの3人も同じような感じで、茶野ちゃんは壁に背を預けて天井を眺めているし、汀くんは
もんどりうってうずくまっている。彼が今感じている苦痛はきっと、男子にしかわからない苦痛だろうなあ。そっとしといてあげよう。茶野ちゃんはショックが抜けきれていないようで、頭を抱えてうなっている。
それで栢野さんは、栢野さんは……。
「……何してんの?」
「ん~? なにって、捜査だよ捜査。探偵ってこういうことでしょ~?」
窓のサッシをじっと見たり、洗面所の収納スペースを調べたり、部屋のあちこちを物色している。あっちこっち隅々を観察してる彼女は、たしかにこの場に限って言えば一番探偵らしかった。僕よりも。
てか心なしか楽しそうな表情をしているような。なんかウキウキとした顔じゃん。
うすうす感じてたけど、栢野さんこの状況を割と楽しんでるな?
浮かれてやがる、この女子高生。
いいのか、きみの連れは今下半身が大変なことになっているというのに。
いまだに苦痛から抜け出せていない哀れなイケメンのことはどうでもいいという風に、観察を続けている。
なんというか栢野さんは、意外とこう図太い精神をしているというか、遠慮がないというか、空気が読めないというか読まないというか……。
いや、意外でもないのかな。
今までの彼女の言動を思い返して、苦笑が漏れる。
「……なにか、めぼしいものはあった?」
どうせないだろうと思いながら、立ち上がりつつ尋ねる。
ドッペルちゃんの行動を鑑みるに、僕たちが来る前には概ね片付けを終えていたのではないか。
「んーとね、あったよ」
「そっか、やっぱりね……って、ホントに?!?!」
うそだろバンビーナ。
ほんわりとした調子で差し出されたものは、見覚えのある円い赤銅色の物体だった。全体的にくすんでいて、年季を感じさせるそれは、明らかに日本で使われてる硬貨の一つで、実は平等院鳳凰堂が刻まれている方が表側であるということがもはや有名な、寺社でお賽銭に投げ入れることもしばしばある、十円青銅貨そのものだった。
僕の驚いた声に、うずくまっていた汀くんがのそのそと顔を上げ、よろよろと体を起こす。その顔からはいまだに苦痛の跡が残ってはいたが、気丈にふるまって、栢野さんの手をのぞき込む。彼女の手のひらから取り上げた硬貨を、じろじろと裏返したり光にかざしてみたりしていた汀くんだが、「ん?」と訝し気な顔をすると、
「ただの十円……じゃ、ねえな」
とこぼした。
「なんか変?」
「ん、これ」
10の周りに常盤木の葉があしらわれている方を向けて、銅貨を渡してくる。腐食の進んだそれは、窓から差す昼光を呑み込んで、暗く光ってそのサイズのわりに重いような気がした。
ぱっと見ただけでは普通の十円玉でしかない気がするが、汀くんは何が気になったのだろう。
劣化がひどくて、年号のところが読みずらい。平成の文字が若干かすれているし、数字もかろうじて認識できる程度だ。どれ、何年発行かな。平成31年とかだとちょっとテンション上がるんだけど。
んーと、平成……20、いや30? あ、違うなこれは……43?
年号が彫られているべき箇所には、そう書いてある。
へえ、平成43年ね。
「……って平成43年んんん???」
素っ頓狂な声が自分の咽喉から飛び出て、部屋の中を暴れまわってアパートの外へと吹き抜ける。
いやいやいやいやいやいや。ありえないだろ。なんだよ43年って、34の間違いか? いやだとしてもおかしいし。平成は31年で終了して今は令和のはずだ。
製造の際の誤植か? だとしたら製造時のエラーでこうなってしまったということもあり得る。でもそんなことがあるのか?
もしそうだとしたら、これ以外にも、もっと製造されているはずで、それでいて話題になっていないのはおかしいんじゃないのか。
僕がおかしくなって、まだ平成が終わっていないのに令和などという新元号を脳内ででっちあげているのでなければ、こんなことはあり得ない。
……無いよな?
「安心しろよ、お前はおかしくなんてなってないから。なんなら俺も少しはそう思っちまった」
汀くんはポンと僕の肩に手を置いて、苦笑する。
それともこれは偽物の硬貨という可能性? しかしそれならどうしてそんなものを彼女が持っているんだ?
こんなものが存在していいていいのか?
数々の疑問が脳内を駆け抜けて、僕を釘付けにする。
確か硬貨の偽造自体は不可能ではない。だがそのほとんどは500円玉が周流になっていると聞いたことがある。そもそも10円を偽造したところで使い道はたかが知れているだろう。わざわざ危険を冒してそんな手間のかかることをする必要性があるのだろうか。
「栢野さん。これ、どこで見つけたの?」
「ふっつーに床の隅っこの方に落ちてたよ。床の色と似てたから、一瞬気づかなかったけど」
そうか。じゃあ、この部屋の主か、あるいはこの部屋に出入りしていた人物のものであるの間違いない。が、それを特定するには方法が……方法、が……。
あるじゃん。
僕はポケットから慌ててスマホを取り出すと、師匠から送信されたこのアパートの一連の情報に目を通す。
位置情報から此処にあったパソコンからクロスリンクスのあの記事が投稿された形跡が見つかったことや、美作についての資料が数メガバイトのファイルに収められている。
見ると、この建物はこの街が作られた当時からあるもので、築32年、5年ほど前までは入居者が居たがそれ以降は住宅区の開発が進んだこともあって閑古鳥が鳴いていたらしい。
取り壊そうにもオーナーの高齢なお爺さんがそれを渋っていたらしく、管理会社と建設会社が交渉を続けていたという。
しかし、つい2か月に、不意に一人の人物が入居したいと言い出して、オーナーはそれを了承。
契約者は
須磨久で切るのか、須磨久津で切るのか。どうでもいいようなことが気になってしまうのは僕の悪い癖だ。どれどれ、性別は男性、年齢は20代前半ね。偽名かなとは思ったけど、身分すらも偽ってんのかね。まあ、ドッペルゲンガーだしなあ。
と、そこで手書きの注釈が入ってることに気づく。
『調査の結果、須磨久津氏なる人物は過去に至るまで日本国内に存在せず、偽名、あるいは身分詐称である可能性が高い。また、オーナーの黄瀬氏によると現在この人物以外にこの住宅へ出入りしている住人はおらず、須磨久津氏を訪ねる人物もいないとのことである』
わかってたことだ。
てかそこで切るのね、ふうん。
それにしても、これだけの情報収集能力持ってたのか、師匠。というよりはイェツレヘム機関の方なのかな? 詳しくは知らないけれど、あんまり敵に回したくないところだというのはわかる。
そういえば、そのオーナーっていうのは居ないのか。ふつーに敷地内にも入れてしまっているのだが。
と、資料に目を落とすと注釈の下に
『愚弟子へ。
調査の邪魔になると思うのでオーナーのお爺さんにはちょっとバカンスに行ってもらうことにしました。ご老体とのことで温泉旅館をご用意したので、心配しないで。というわけなので心置きなくを探偵してきなさい。師匠より』
……抜かりないなあ。
僕が家を出たのが10時過ぎで、師匠から連絡がきたのがお昼ごろ、このアパートについたのが2時くらいだったから……。
その午前中の間に諸々済ませたのだろうか……。
いやまあ、お爺さんは大丈夫だろう。
多分。
「結局、これはドッペルちゃんのものってことでいいのか? なごっちよ」
「そうだね。そういうことでよさそうだ」
「存在しないはずの十円玉か……。なんつーか、絶妙な数字だよな43年って」
僕の衝撃をよそに、汀くんは腕を組みながら感慨深げに言う。
「そう? 特に意味なんてないと思うけど」
「いや、そりゃ数字に意味なんてねーよ。数字なんて結局のところ、ただの記号だからな。そうじゃなくてよ。43であることが絶妙だってこと」
なんか、あんまりキャラじゃないこと言うな。
いや、僕が汀くんに抱いている印象なんて一側面から受けとったバイアスのかかったものに過ぎないのだから、そんなこと言う筋はないのだけれど。
なんとなく、意外な感じだったから。
「43ってさ、ちょうどいい感じがしないか?」
「はい?」
訂正、案外そうでもなかったかも。
「あ~ちょっとわかるなあ、それ」
栢野さんまで? うんうんと同意するように頷く。
「なんかね~、しっくりくるんだよね。あ~なんかありそう~って感じなんだよ。この十円玉がもし、別の世界の日本で作られたものなんだって言われたら、信じちゃうくらい位には。この世界じゃあ平成は31年で終わったけど、これが作られた世界では43年続いてるっていう想像に、妙にリアリティがあるんだよね。これがもし極端な数字で、例えば平成99年とか書いてたら、私は多分性質の悪いいたずらだなあ~って思う。でも、平成43年ていう極端に先でも前でもないこの数字は、妙な説得力があるんだよね。まあ、だから拾ったんだけど」
それはすべてが感覚で語られる、まったくもって非論理的な言葉だった。あやふやで、感情的なものだった。
けれど、その瞬間僕の脳髄は、複数の事柄が無数の
ドッペルちゃん。
瞬間移動。
その現象。
みほちゃん(仮)と美作。
ドッペルちゃんの不可解な言動。
ドッペルゲンガー。
瓜二つの存在。
あり得ないはずの十円玉。
そして、美作の研究。
言葉が、融合し、ねじり、弾け、脳髄の深奥で閃光を放って、そして。
「うがーーー!!! おい探偵!! いい加減さっきの説明の続きをしてくれないか?!」
頭を抱えながら座り込んでいた茶野ちゃんが、しびれを切らしたように立ち上がる。
「……え? ごめんなんだって?」
「だからよお、ライターXが存在しないっていう可能性だよ! なんかドタバタしてうやむやになっちまったからさっきまで自分で考えてたんだけど全然わからない!」
おおう、忘れてた。次から次へと新情報やら謎やらが増えてくるもんだから失念してた。
ていうかそれずっと考えてたんだ。律儀だなあ。ならそれに応えないとね。
「んじゃあ、そうだな。ここらで一つ、推理ショーとでも行きますか」
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