探偵、邂逅

 住宅街の中心から少し離れた場所にある、質素で地味なアパート。

 明らかに手の加えれかたが雑なそれは、くすんだ色を吸収して己の荒廃のさまを見せつけるように存在していた。

 塗装は変色して、階段の手すりも錆が目立つ。アパートを囲む塀には罅が刻まれていて、危うさを感じさせている。

 中心部のマンションや、一軒家に比べると、かなり状態が悪く、そこだけ切り取るとこの街の治安を疑いたくなるようなありさまだった。 

 そんな廃墟手前の構造物を目前にして、僕たちは立っている。


「で、ライターXが居ないってどういうことだよ。探偵」


 茶野ちゃんはアパートを見上げながら、納得いかない、という風に視線をよこす。

 そのライン上にからすっと、前に出て


「さっきも言ったけど、行けば分かるよ」


 僕はそう言う。


「いやいや、さすがに最低限の説明はほしいところなんだが」


 軽薄そうな出で立ちで手を向ける汀くんは、呆れたように笑う。

 うーん。見てもらった方が早いと思うんだけどなあ。


「なにかしら思い当たる節があるってことか?」

「というか、可能性としてあり得るなぁっていうのが一つ」

「あり得るなぁ、って。俺らはそれが知りたいんだけど」


 塀に寄りかかりながら、 不満そうに口をとがらせる。

 ほかの二人も気にはなっているようだ。

 そんなに言うならと、僕は自身の思考を言語化することを試みる。

 

「ライターXってさ、何のためにあんな記事を書いたんだろうね」

「あ? そりゃ注目浴びたいからだろ? 素っ頓狂な内容で目を引いて手っ取り早く手前の承認欲求を満たしたいからだ」


 鋭い口調でかなり尖ったことを言う茶野ちゃんだった。インターネットライターへの深刻な偏見がまろびでているじゃん。

 ちょっとわかってきたけど、茶野ちゃんがこういう時は神経をとがらせている証拠だ。

 いまも内心イライラしてたまらないのでは。理由は言わずもがなだけど。

 

「まあね、確かにそういう人もいるだろうし。でも、このライターXに限って言えばそれはない」

「どうしてだ?」

「もしこいつがそんな強烈な承認欲求の持ち主だったら、クロスリンクスなんて小っちゃいコミュニティで完結するはずないからだよ」

 

 人間の欲求というのはすさまじく再現がない。もしそんな目的があったとするのなら、その承認欲求を満たす場が小さいコミュニティだけで満足するかは、怪しい。


「そうか? 意外と内輪の中で籠ってたとかもあり得るんじゃねえの? 小っちぇコミュニティなら、信者も獲得しやすいだろ」

「そうだとしたらもっと好意的なレスポンスがついててもいいんじゃない?」


 そう言いながら、僕は彼らに例の記事のページを見せる。

 インタビューの内容が書かれた、いかがでしょうかの定型文で締めくくられた本文の下に、コメント欄がある。

 そこには、内容に対する根拠のなさへの指摘と、ソースのなさへの皮肉など書き込まれている。


「こりゃ確かに、人気があるってわけでもなさそうだな」

「でも、これだとあんたのライターXなんていないって推理は間違ってることになるじゃないか。こうしてちゃんと記事は存在してるんだ。書いた存在がいるんだから、ライターXだっているだろう」

「うん、そういうのももっともだと思う。けどそういうことじゃないんだ」

「あん?」

「うん?」

「???」


 三人の怪訝な顔をしり目に、僕はアパートの敷地内へと足を踏み入れる。そのまま足取りはまっすぐに、204と書かれた部屋へと向かう。

 かつかつかつと階段を上り、部屋の前へと急ぐ。

 ほかに住人の気配はない。


「おい! 最後まで説明しろ――」

 

 声を上げかけた茶野ちゃんを制しながら、呼び鈴を鳴らす。ビーッという音が周囲にこだまして、木々に泊まっていた鳥たちを追い立てる。依然としてほかの部屋から生活音などの人のいる気配は感じられない。

 それがひどく不気味で、僕は背筋が伸びるのを感じた。

 ドアノブに手を掛ける。

 ゆっくりと力を入れていくとドアノブはとても自然に回転し、それが防犯の役目をはたしていないことを示している。

 茶野ちゃんが小声で、「開いてる」と目を見張った。

 カチャリ。

 すう、手前に引かれる扉の先から、まず目に入ったのは、空っぽの玄関。靴が置かれていたであろう場所にはその形に埃がたまっていて、慌てて片付けたであろうことがうかがえる。

 その向こうに目を移すと、左手に簡素なキッチンが備え付けられているのが見える。そのまたさらに向こうには、3畳ほどの一間があり、奥にある扉は閉められている。

 部屋の中には何もない。驚くほどに寂しい部屋だった。

 剥き出しになったフローリングはきれいで、埃一つない。

 とても人が暮らしていたような空間には見えない。

 一瞬迷って、僕は靴のまま上がり込んだ。みんなも戸惑いつつ、続いくるのが気配で分かる。

 新品同様の床の上を音をたてないように慎重に進んでいく。扉の前に来ると、不意に汀くんが「……いるな」とこぼす。

 その言葉通り、隔たれた向こう側からは、かすかに活動する気配が感じ取れた。

 僕らの間で、緊張が走る。沈黙が急かすように広がっていく。

 予感を抱きながら、僕は扉を開けた。


「あちゃあ、もう来たんだ。存外早かったわね」


 背を向けながら淡々と荷物をまとめて言うその人物は、昨日家で見たあの子の後ろ姿とよく似ている。

 とぼけるような声は、聞き覚えのあるものだった。

 忘れるはずもない。あの衝撃はいまだに脳髄に残っている。あれが始まりだったのだから。

 声の主は僕らのほうを向くと、片目をつむっておどけて見せる。

 ドッペルちゃんは、余裕そうに嗤った。


「昨日ぶりね、探偵くん。どう? 推理のほどは進んでる?」

「まあね、お陰でここにたどり着いたし」

「それは十全ね。で、どうするのかな? 探偵とその取り巻きさんたち?」

「きみには聞きたいことが山ほどあるんだよ、ドッペルちゃん」

「ふーん。なにそっ……?!?!」


 その言葉が言い終わるか否かのところで、汀くんが駆けだしていく。目にも止まらない速さで彼女の後ろに回り込み、腕を背中にひねり曲げて拘束する。

 実にあっさりと、重要参考人が捕まった。

 あれ、もう終わり?

 正直もう少し抵抗を予想していたから、ある程度プランは考えてきてたんだけど。

 汀くんが優秀な脳筋でよかったぜ。


「だーれが脳筋馬鹿だよ。だれが」


 言ってないって。汀くんに締め上げられたドッペルちゃんは、不満そうに顔を歪ませている。存外早く来たのか、といったからには、やはり僕たちがここに来ることは予想済みか。

 もうちょっと遅かったら、完全に逃げられてたかも。

 まあ、それはドッペルちゃんが分からしたら手に取るようにわかることなのかもしれない。


「ど、どういうことだよ、探偵。どうして、ドッペルゲンガーがここにいるんだ?」


 茶野ちゃんが困惑を隠しきれない様子で僕のほうを向く。

 そうだね。不思議だよね。でも全然不思議じゃないし。むしろこの場合はそりゃそうだろうなあといった感じだ。


「頼むから説明してくれ……お前の悪い癖だぞ、それ」


 おっと、ついに言われてしまった。茶野ちゃんにまで言われるとなると、本格的に見直さないといけないかも。


「んー。まあ、簡単だよ。このドッペルちゃんが、あの記事を書いたライターXだったってわけさ」

「…………はあ?」


 お手本みたいなリアクションだった。いいね。


「最初から違和感は多かったんだよ。この街で噂になってるドッペルゲンガーについて、なんて題名を打ってるのにかかわらずほかのSNSでは全く話題になってないところとか、インタビューの対象であるみほちゃんとはどうやって接触したのかとか、そもそもあの記事以外にクロスリンクスでライターXが書いた記事はなかったこととか」

「……なかったのか?」

「なかったね」


 1日目に帰ってすぐに確認した。これは確実。


「僕は最初は、これはもしかしたら狂言なのかもしれないって思った。茶野ちゃんには悪いけどね。でも、よくよく話を聞いてみるとみほちゃんはその当時外にも出られない状態だった。だとしたら前提として、記事自体が捏造されたものなのかとも考えたんだ」


 そこで、僕はちらりとドッペルちゃんの方を見る。

 彼女はうつむいていて、表情は見えない。あきらめてしまったかのように脱力して、何もしゃべらない。


「でっち上げられた妄想。完全なる作り話。インターネットに良くあるフェイクニュース……実際、クロスリンクスのユーザーはそう思ったみたいだね。……でも、みほちゃんは実際にドッペルゲンガーに行き合ったことを恐れていた。この一致は何なんだろうって考えた時、僕は一つ、可能性を思いついた」

「それは、なんだ?」

という可能性だよ」


 僕の言葉に、茶野ちゃんは怒るでもなく、ただ理解できないという表情をする。


「あんた、それはないって言ったじゃないか……」

「まあ、言ったよ。でもそれは茶野ちゃんがみほちゃんを信じていたからで、僕は実際にドッペルちゃんに会うまで半信半疑だった」


 これに関しては許してほしい。流石に言葉だけでは信じきれなかった。


「で、ドッペルちゃんにあって僕は一度その可能性を捨てた。捨てたんだけど……みほちゃんの存在がそれを拾わせたんだ。……ちなみに茶野ちゃん、ドッペルちゃんを学園で見かけたのって、いつのこと?」

「え? あー。ええと、三日前、だな」


 先日っていうか前日じゃないか。てことは、わけがわからなくなりながら栢野さんに相談して、栢野さんが僕のところに持ってきた流れか。テンポ早いな。まそれはいい。


「三日前ね……ね、茶野ちゃん。みほちゃんがその日にドッペルちゃんと入れ替わったとして、どこで入れ替わったのかな」

「……そんなの、こいつ本人に聞けばいいんじゃないのか」


 茶野ちゃんは極力ドッペルちゃんのほうを見ないようにしながら言う。

 親友と同じ顔をしたものが拘束されてるところは見たくないものだろう。


「ま、そうなんだけどね……答えてくれるかい? ドッペルちゃん」

「それ、私の名前? ひどいネーミングセンスね、探偵くん。その質問には答えないし、それ以外の質問にも答えるつもりもない」


 予想通りの答えだ。

 しかし、さっきまで諦めたようにうつむいていたのに、その瞳には余裕がある。

 ……そういえば、昨日やってたような奴は使わないのか?

 瞬間移動も、する素振りすらないし、昨日みたいな現象も起きてない。

 汀くんも不審そうにドッペルちゃんを窺っている。 


「それより、いい加減離してくれない? そろそろ痛くなってきたのだけど」

「だめだ、また昨日みたいに逃げられたら適わねえよ」


 汀くんがさらにドッペルちゃんの腕を締め上げようと力をこめる。


「そう、じゃあ仕方ないかしら」


 その声と同時に、ドッペルちゃんは膝をがくんと沈ませる。


「うお!」


 その勢いに巻き込まれた汀くんは体勢を崩しそうになるが、持ち前の筋力で持ちこたえる。しかしそこに低い位置からの鋭い足払いが入る。

 ぐらりと長身が揺れて、締め上げられていた腕は解かれ、衆人は解放された。

 すべてが一瞬で、僕らの介入する余地はない。


「った、てめえっ!」

 

 悪態をつく汀くんが立ち上がる瞬間、足が振り上げられた。

 おそらくこのなかで、僕だけに聞こえるであろう衝撃音が聞こえた。ような気がする。

 あれは痛い。というか辛い。


「きーくん大丈夫!?!」


 栢野さんの声が室内に響く。

 そんな騒ぎをしり目に、ドッペルちゃんは窓に手を掛け、身を乗り出している。

 おいおい、そんなことしたら危ないぞ。


「ドッペルちゃん!」

「まて!!」


 僕と茶野ちゃんが同時に窓に駆け寄るが、そんな僕らをあざ笑うかのようにドッペルちゃんは重力に身を預けた。

 すぐに鈍い音がする。そう思ったのに一向に衝撃音なども聞こえない。

 瞬間悟る。

 やられた。

 窓から外を覗くと、そこには昨日もみた、泡のような、渦のような、奇妙な現象がそこに在った。


「なんだ、あれ」


 となりで茫然とする茶野ちゃんの声を聴きながら、僕は深くため息をついた。

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