探偵、再始動

 そんなわけで、翌日……依頼発生からのべ2日後の午前10:30、僕らは再び『はいぱあ・ぼりあ』でテーブルを囲みながらだべっていた。

 いろいろあったような気がするのにまだ2日しかたっていないことに驚きが隠せないが、それぐらい昨日が濃い一日であったということだろう。

 あのあと、結局机に突っ伏してしまった師匠をどうにか寝室まで連れていき、遅めのご飯を食べたりシャワーを浴びたりなんだりとしていた僕だったが、やはり気になるのはみほちゃん(仮)のことだった。

 確証があるわけではないが、みほちゃん(仮)が美作研究所の近くで見つかったことと、美作が何かを探しているという事象が無関係だとはとても思えない。

 美作はなぜみほちゃん(仮)を探しているのか。

 なぜみほちゃんはあそこにいたのか。

 研究所から逃げてきたのか、そうだとしたらいつからいたのか。

 何をされていたのか、もしくはしたのか。

 彼女に記憶がない以上、推測……というよりも妄想しかできない。

 なんにせよ、彼女をそのまま美作に引き渡すのは危険だと思う。それは師匠も承知だし、そういった勘は師匠のほうが強いので、師匠が彼女を家に連れてきた判断は正しいだろう。

 記憶の回復には時間がかかりそうで、今朝もまだ眠っているようだった。

 少し不安ではあるが、うかつに動かれるよりはましだろう。

 病院に連れて行った方が安全なのではと思ったが、それは師匠が反対した。

 『どこでどんな奴が美作につながってるかわからないし、そもそも病院には美作の技術者も出入りしているから危険が高すぎる』

 とのことだった。

 そりゃあまあ怪我とか病気とかしたら病院を使うのは当たり前なのではと思ったが、どうやらそう言うことでもないらしい。

 『美作内部につながっている病院関係者が何人かいる』

 なるほど、それは危ない。

 そんなこんなで家を出て、現在である。

 んで今何僕らが何をしているのかというと、情報の共有だった。

 みほちゃん(仮)については、美作のことについては触れずに、保護の経緯と記憶喪失のことだけ話した。


「んじゃあ、あいつは、みほは無事なんだな!?」


 がたりと音を立てて椅子が倒れる。

 その音を聞いてか、マスターが衝立ついたての向こうからひょいと心配そうに顔を見せてくる。

 幸い、今日も貸しきりでほかに客はいないので迷惑になることは無いだろうが、人のいいマスターを心配をかけるのも気が引けるので、なんでもないと伝えると彼は穏やかな笑みを浮かべながらカウンターの奥へと戻っていった。

 口数は少なく、洒脱という単語を思わせる振る舞いだった。

 ああいう大人になりたいね。


「すまん、興奮して……」


 茶野ちゃんは紫のメッシュが入った長髪をかき上げながらそう謝る。

 

「いいよ、茶野ちゃんの気持ちもわかるしね」

「や、でもあの店員さんにはあとで謝っとく。……私たちの所為で、二日連続店を閉めてんじゃ商売あがったりだろうし、それについても」


 マスターの場合、あんまり利益を求めてこのお店をやってるというよりは、来る人の話を聞いて、その交流を楽しんだり、交流が生まれること自体を楽しんでるところがあるから、それについては気にしなくてもいいとは思うのだが、茶野ちゃんに言ったところで彼女はそれをやめる人間ではないだろう。

 

「……まあ、なんにせよそのみほってこは無事だったんだから、よかったんじゃねーの?」


 汀くんが立て肘をついて言う。

 そういえば、栢野さんはまだしも彼がここにいる理由はほとんどないのだが。

 栢野さんと汀くんはいつもニコイチでいるところばっかり見るから、僕はそれを当然のように扱っていたけれど、茶野ちゃんの方はどうなのだろう?

 今更ながら、面識の少ない汀くんがいるのは彼女にとってストレスなのではないか、そう思う。


「おいおい、ひどいななごっち。俺はなんだ? さながら従弟のお母さんのお姉さんの旦那さんか?」

「うん。行事なんかで集まったときに距離感が分からなくてなんだか微妙な空気になっちゃう関係性だね。ていうか普通に叔母さんの旦那さんでいいだろ」

「そうそう、ほぼその時にしか会わねえから毎回関係性がリセットされてギクシャクすんだよな。まあ俺には従弟も叔母さんもいないんだけど」

「それは僕もだよ……っておい」

「なんだ? なごむくん」

「僕らいつから漫才コンビになったんだ?」

「さっきだよ」

「はーん。じゃあ早急に解散だな」


 緊急コンビは可及的速やかな解散となった。

 ……あんま面白くなかったかな。

 栢野さんは微妙な顔をしているし、茶野ちゃんは若干引いている。


「……別にあたしはそいつのことは迷惑とも思ってないから。協力してくれるんならなんでもいいし」


 引き気味の表情で気を使われてしまった……。

 

「大丈夫だよ~。きーくんには『さーちゃんに迷惑かけない』、『なーくんに協力する』、『なーくんの命令には従う』ってちゃ~んと言い聞かせてるし、破ったらそれなりに罰は受けてもらおうかなって思ってるから」

「そう、だから他に情報漏らしたりとかしてないぜ」


 ふんわりとした笑顔でなかなかどぎついことを言っておられませんか? 栢野さん?

 そしてそんなさわやかないい笑顔をしているところ悪いけど、今僕の中で君のM疑惑が浮かんできてしまっているんだが、汀くん。

 いや、他人の性癖や、趣味嗜好にとやかく言うもんじゃないな。うん。

 しかし俄然この二人の関係性が気になるな………。


「え? その話今しちゃう? しちゃう?」


 栢野さんがキラキラとした目で訴えかけてくる。

 そんな話したいことなのかよ。

 あ、でも汀くんはすげえ苦虫を嚙み潰したみたいな顔してる。イケメンがそんな顔したら台無しだろ、だと思うくらいに。


「いや、今はやめとくよ。……いい加減、依頼人をほったらかしすぎてるし」


 みると茶野ちゃんはさっきよりひきつった顔で「鳴ってそういう……? マジ……?」とショックを受けているようだった。

 ま、その気持ちはわからないでもない。

 外見と中身が必ずしも一致するわけではないし、栢野さんの乖離はもしかしたらすさまじいものなのかもしれない。

 ……昨日も思ったけど脱線しすぎだな、ほんとに。

 こほんとひとつ、咳払いをする。


「とにかくね。みほちゃんは無事だ。いま僕の家でししょ、あいや、が世話をしてるから。当分の間は安全を保障できると思う」

「そう、か、そうかあ。よかった。ほんとに」


 茶野ちゃんは心の底から安堵したような顔でほっと胸を撫でおろす。

 目尻に浮かんだものを指摘するほど、僕も野暮ではなかった。

 

「でも、よかったっていえるのかな? さーちゃん。みほちゃんは記憶喪失になっちゃってんのに?」

「それは……」

「それはいい。あたしのことを覚えていなくっても、みほが生きててくれるなら、それで」


 なかなか意地悪なことを言うな、栢野さん。

 それに、幼馴染に対してそこまでの友情を抱く茶野ちゃんは、それはそれでかなり勢い余っている感じがした。

 問題ではある……が、師匠が言うには心因性の記憶喪失は治る可能性が高いので、時間が解決してくれるだろう、とのこと。

 案外もう戻ってたりして。

 昨日のことを思い出しながら、僕は考える。

 悪いことしちゃったなあ。無理やり思い出させるようなことして。

 師匠も師匠だ、あんなことして。

 頼んでいたことも、まだ連絡は来てないし。


「ん~? そうすると、これからどうするのかな?」


 唐突に栢野さんが、かわいらしく首を傾げて見せる。


「どうするって?」

「だってさ、ドッペルちゃんは逃がしちゃったけど、みほちゃんの無事は確認されたし、ドッペルちゃんとみほちゃんが別人だってことも分かったんだよね?」

「そうだね」 

「だったらさ、もういいんじゃない?」

「いいって?」

「みほちゃんの記憶は、戻る可能性が高いんでしょ?」

「そうだね」

「ドッペルちゃんの目的がいまいちよくわかんないけど、それは正直どうでもいいんじゃない? もしかしたら、ないのかもよ? 私たちをひっかきまわしたいだけとか」

「それは……」

「ねえさーちゃん。さーちゃんの依頼はドッペルゲンガーを捕まえてって依頼だったけど、どうしてだったのかな?」

「……」


 茶野ちゃんは答えない。


「さーちゃんはさ、もしかしたらこう思ってたんじゃない?『あれはほんとうに逆佐原みほかもしれない』って」

「栢野さ」


 僕の介入をびしいっと人差し指を突き出して制した栢野さんは、まるで蛇のように茶野ちゃんを見つめている。

 隣の汀くんをちらと見るとふるふると、諦めろ、とでも言いたそうに首を振った。 


「多分無意識だったんだろうけど……。でもその無意識が『捕まえてほしい』っていう言葉として出てきたんだよね? 捕まえて、どうしてこんなことしたのか聞きたかった。でなきゃ、『本物のみほを探してほしい』みたいにいうはずだもんね?」


 じりじりと壁際に獲物を追い詰めるように言葉をかけていく。

 茶野ちゃんはそれから逃げるように視線を背ける。


「で、いまそのみほちゃんはもう無事であることが確認されたわけだけど、どうする?」

「ど、どうするって……」


 可憐な蝶が、雀蜂を圧倒している。

 なんだ?栢野さんは何がしたいんだ?


「ここで終わりにして、みほちゃんの記憶が戻るのを待って、その後は前みたいに日常を過ごす……みたいなのもありだよねっ?」


 にっこりと、いつものようにかわいらしく笑う栢野さん。

 しかし、今はその笑みが、まるで悪魔のようだった。

 ただ、栢野さんの言うことももっともではある。

 ここで切り上げて、これ以上の介入をせず、今までどおりの平凡に戻る。

 いつもどおり、何も変わらず。

 それは在る意味、幸せなことで……。


「んなの…んなことできるわけないだろっ!!!!!」


 茶野ちゃんは大声を張り上げて、栢野さんに向きなおる。


「そりゃあ、確かに、ここで終わることだってできるだろうけどよ……でもそれじゃあ、あたしはずっと、この先ずっと! あいつに、こんなモヤモヤしたものを抱えたまま過ごさなきゃいけない!! ああそうだよ! 確かにあたしは心のどこかで『やっぱりみほが心変わりして、あたしをすてたのか』ってそう思ったよ! でももしそうじゃないなら、この状況はいったい何なんだ!??! こんな変な状況で、わけわかんないドッペルゲンガーなんか現れて、わけわかんないまま終わるなんてできるか!!!!」


 今度は明白に、誰の眼にもわかるくらい、目尻に大粒の水滴を溜めて。


「あたしはずっと、みほとは友達でいたい。あいつの一番の親友でいたい。このまま終わったら、多分そうできなくなる。それは、嫌だ」

 

 親友への疑心と、それを抱いた自分への失望と、状況への混乱。

 おそらく茶野ちゃん自身ですら理解していなかった淀みを、栢野さんは無理やり吐き出させたのだ。

 何という荒療治。

 一歩間違えれば、破滅ものだ。

 叫んで、胸にたまったものを吐き出して落ち着いたのか、ぐいと顔をぬぐった茶野ちゃんは「見んなバカ」と悪態をついた。


「で、どうするの?」

「うっせえよ、鳴。そんなん分かり切ってる」


 少し腫れた眼をこちらに向けて、茶野ちゃんは僕に向かって頭を下げる。


「依頼を、変更したい」


 こんな彼女に、誰が断れるというのだろう。

 その気もさらさら、ないけれど。 


「うん、いいよ」

「ありがとう。内容は——」

「ドッペルちゃん含めたみほちゃん周辺の謎の解明と、みほちゃんの保護、でしょ?」

「……ああ」

「おーきーどーきー、了解だ。整然として解決にとりかかろう」


 そのとき、僕のポケットから低い振動音がする。

 スマホを取り出すと、師匠からだった。

 まったく、タイミング良すぎですよ。師匠。

 数行の文句と、いくつかの画像ファイルが張り付けられた画面を見る。

 その中の一つは、位置情報が示された地図だった。

 なるほど、これだけの情報をたった2、3時間で手に入れられるのか、すごいなイェツレヘム。


「おん? どうした、なごっち」

「よし、早速行こうか」

「ええ?」

「ちょ」


 僕は立ち上がって、マスターに退店する旨を伝える。 

 すると、マスターはカウンターの下から、人数分のアイスティーと、サンドイッチを取り出して手渡してきた。

 時計を見ると、もうすぐ12時を過ぎる頃だった。

 小粋すぎる!

 ありがたく受け取って、代金を手渡そうとしたが丁重に返されて、マスターは店の裏に行ってしまった。

 さすがに悪いのでカウンターに置いておこう。


「おいおい、どこに行くんだよ!」


 汀くんと、その後ろからついてくる二人を待ちながら、僕は送られてきた画像を確認する。

 ふうん、案外平凡なアパートだな。


「どこってそりゃあ、情報提供者とこに行くんだよ」

「情報提供者ぁ? いたか? そんな奴」

「うん、最初にね」

「最初って……まさか」


 茶野ちゃんのまさかに、僕は答える。


「そ、クロスリンクスのライターに会いに行く。汀くんは当然来るとして、二人はどうする?」


 栢野さんは「きーくんが行くならついてくよ」と言い、茶野ちゃんは「当然!」と声を上げた。

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