酒乱する師匠
「協力ぅ?」
腕を組んで視線を向ける師匠は、なんとなくいやそうだった。
赤く染まった顔に、とろけた眼をしている。
普段がきちっとしてクールなだけに、このギャップは強いと思う。
「そうです。僕が抱えている事件と師匠が抱えている事件、二つは、むずびついている。それがどれほど深いものなのかはまだわかりませんけれど、でもつながっていることは確かですよ」
「まあ、それはそうらけどね」
おや、あまり乗り気ではなさそうな表情。
あんまり露骨な表情をすることはない師匠だが、アルコールが入ると分かりやすい。
すぐに酔うような人ではないけど、酔うとめちゃくちゃにわかりやすいのだ。
普段は飲まないくせに、飲むときは鯨のように飲むからなあ、師匠。
ていうか、この人僕が帰ってくる前から飲んでたな?さては。
「でもなあ。私の方も行き詰ってるし、あんたの方だってそうでしょ? いまんところ有力な情報なんてほとんどないじゃらいの。ドッペルちゃんらっけ? その子の行方も分かってないんじゃないの」
「それはそのとおりですけど。だからこそですよ。僕ら二人で捜査を進めるんです」
「捜査って、あたしたちは警察じゃあないんらぞ。公権じゃない一般人がそんなことしちゃあだめだよ」
「今更何言ってんですか。そんなこと言ったら、今まで師匠がしてきたことは大概何かしらのなにがしかに違反してるんじゃないですか?」
「なにがしかってなんらよ。ふわふわしすぎだ、ぐでし」
いまふわふわしてんのはあんたの方だよ。呂律廻らなくなってきてるし。
強くないくせにいっぱい飲むからいけないんだ、まったく。
僕は立ち上がって水道の方へ向かうと、コップを取り出して水を注ぐ。なみなみに。
途中でおしゃれな文字の入った瓶が何本かと、いくつかのアルミ缶が見えたような気がするが、見なかったことにする。
コップ一杯の水を持ってきて、師匠の前に置く。
ぐびっと一気飲みすると、師匠はぶるると頭を振って顔をたたいた。
気のいい音がリビングに響く。
しばらくうつむいていた師匠だったが、いきなりがばっと顔を上げた。
表情は先ほどよりシャキッとはしていたが、顔はまだ熟れたリンゴのように真っ赤だった。
「ふう、ごめん。飲みすぎた。んで? あらしは何すりゃいいのかしら?」
呂律が回復していなかった。
「協力してくれるんですか?」
がっつり酔っていたくせに、きちんと話は聞いていたようだ。
いったいこの人の脳はどうなっているのだろうか。
「まあ、ね。あたしもそのドッペルちゃん気になるし。あ、でもあんまり外での活動はしたくないわね」
「……みほちゃん(仮)がいるからですか?」
師匠の懸念はもっともで、師匠が家を離れた際に、もしみほちゃん(仮)に何かあったらと考えると、その可能性はつぶしておきたい。
すくなくとも、師匠が一緒にいればそれで安心ではあるだろうが、それでも外に出すのは危険だろう。
「でもそうすると、美作のことはどうするんです? ずっと追ってきたんでしょう? 家から出られないんじゃあ、調査もできないんじゃあないですか?」
「うん、それなんだけど」
あ、いやな予感。
妙案を思いついたような顔の師匠をみて、僕の胸に不安がよぎる。
「あんたに任せちゃおうかなって」
にっこりと、いい笑顔で丸投げ宣言をされてしまった。
巻き込むと決めたらこうなんだから始末が悪いよなあ。
「本気で言ってます?」
「言ってるよ? 私がこういう時嘘つかないのはあんたが良く知ってるでしょう」
そのとおり、良く知っていた。
だからこそいやなのだが。
「ていうか、協力してくれって頼んできたのはあんたなんだから、こっちの要求も呑むべきだとは思うけど」
「その主張はごもっともですけどね! 要求の規模が違いますよ! 結局僕一人で全部やれってことじゃあないですか! 無理難題ですよブラックですよ!」
「あんたは個人事業主なんだから自由裁量でしょ。探偵くん」
「ここぞとばかりにその設定を引き出してこないでくださいよ! 協力ってのはもっとこう、役割を分担してですね」
「だから分担してるじゃん。私はみほちゃん(仮)の護衛、あんたは事件に関しての調査。ね?」
「ね? じゃないですが?! 僕一人の負担が大きすぎますよねえ! 脚を動かすのは僕の方なんですよ!」
ああこの感じ、これがいつもの振り回される僕と振り回す師匠の図。
横暴で理不尽で喧しくて騒がしい。
それでいて、すこし楽しいこの感覚。
「私はあの子についてやらなきゃだし、外に出て美作について調査するのは難しい。あと、私だと多分警戒されてるから今以上の情報を得るには別のアプローチをする方がいいし」
「警戒って、美作にですか?」
「そう、向こうさんも、どっかの機関が探ってるってことはわかり切ったことだからね。警戒するのは当たり前よ」
「だから、警戒されない学生の僕がやれと」
「そういうこと」
片目をつむって見せる師匠。
「それに、どうせ
「……そうですね」
その通りだった。
みほちゃん(仮)やドッペルちゃんが美作と関係しているのなら、結局のところ僕はそこに行きつくしかない。遅かれ早かれ、そこに接触することになるだろう。
探偵としての勘ではなく、それはそういうものであるという法則のようなものだ。
関係する事象には、いずれたどり着くのが探偵……だと僕は思っている。
たどり着くように情報を得るのか、情報を経るからたどり着けるのか。
その二つの道は同じなようで全然違うけど、結論は一緒だ。
「まあ、私もできることはするつもりよ。みほちゃんのことについてもいろいろ調べられればいいんだけどね」
「それは、ありがたいです」
そこで、僕は思いつく。
師匠に一つ調べてもらいたいことがあることを。
無数に絡まった糸の、一つが解けるかもしれない。
「ん~。どうしましょうね。私がこれまで調べた美作の資料はあとで渡すとして、あと何か必要なものは——」
「師匠」
師匠がいろいろと準備についてしゃべろうとしたのを遮って、僕は身を乗り出してお願いする。
「おおう、なによそんなに身を乗り出して」
「ええ、早速で悪いんですけど、調べものしてくれません?」
「ほんとにいきなりね。別にいいけど。でももう遅いから、明日でもいい?」
時計をみると、明日どころか今日になっていた。
まあいい。寝るまでが今日だ。うん。
「かまいません。でも、できれば明日の、いや、今日の午前中には結果が知りたい」
「ふうん。急を要するってことかしら」
「そうです。できれば早い方がいい。もしかしたらその結果で状況が一気に変わるかもしれない」
師匠はじっと僕の目を見つめていたが、やがて小さくうなずくと
「——わかった。できる限りはやくするわ。で?調べてほしいことって?」
「それは——」
僕は師匠に語りながら、これでもし、師匠が明日何も覚えていなかったらどうしようかと、今更ながらに後悔したのだった。
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