少女と並行世界ラボ 

「そもそもどうしてあの子を見つけたかって言うと、それを説明するには私が何をしていたのかってところから話さなくちゃいけない」


 とぽとぽ、と並々に注がれた黄金色の液体を口に運びながら師匠はポツリ、と言葉をこぼす。

 あまり飲みすぎると肝臓に悪いから控えるようにといってはいるのだが、それを聞くような人でもないし、今はそんなことを気にしているような場面でもないので、グラスを取り上げたくなる思いを僕は心の中にしまっておく。

  

「きのう、私は美作みまさかテックの内情について調べるために街に出てたんだけど……。あ。美作がなにかは知ってるわよね? さすがに」

「まあ、知ってますよ。昨日もテレビに出てましたよね」

「そうなの?」

「ええ。確か、並行世界どうとか、宇宙の構造がどうとか」



 昨日はそれどころじゃなかったし、正直聞いていてもその内容はよくわからなかったので、部分的な単語を覚えているだけだが、確か泡がどうとか、観測がどうのといっていたような気がする。

 此処でも泡か。


「そ、美作はそもそも物理的な分野のエキスパートが集まった研究所でね。量子力学から天文学まで、結構幅広いことやってはいるんだけれど」


 黄金色のそれをぐいと一飲みして、声のトーンを落としながら続ける


「最近になって、美作が提唱した世界理論が、かなりの注目を浴びてんのよ。これは宇宙の大規模構造をもとにそれを宇宙だけではなく、それを内包する我々の世界そのものにあてはめてるっていうものなのね」


 宇宙の大規模構造っていうと、確か宇宙の中で銀河が示す泡のような構造のこと……だったか。

 無数の星々が集まって形成される銀河。それがいくつもに集まって群れを成したのが銀河団や銀河群、銀河の分布が低密度のボイド。

 そしてそれらをつなぐフィラメント構造。

 それらを大きく含んだ構造が、石鹸の泡のように見えることから、そう呼ばれている。

 それを、世界そのものに適応する? 

 いったいどういうことなのか。

 

「私は専門家じゃないし、詳しい理論まではわからないのだけど。ある一個の世界……宇宙すら内包した一世界は、その他の世界と流動的に密接に、あるいは折り重なって存在している……つまり、われわれの世界と並行世界とはある領域までは重なっていて、そのさまを外側から観測すると、やはり泡のような構造になっているのだ……というね」

「それは……なんというか」

「そうねえ、大胆を通り越してばかばかしさすら感じる理論だわ。そもそも世界の外側ってなんなのよ。とか、どうやって外側から観測するんだ。手段は。実証は可能なのか……みたいな批判もあって、提唱された当初は一笑に付されてたみたいなのだけど」


 空になったグラスの縁をすい、となぞりながら師匠はなおも続ける。


「それじゃあ美作は、その手の研究者たちからはつまはじきにされていたわけですか」

「というより、腫物扱いね。正直言って、エキスパートの中でも変人扱いされてるような奴が集まったところだから。つまはじきにはされてなかったにしろ、敬遠はされていたと思うわ。だから数年前まではほとんど一般的にも無名だったのだけど……」

「でも今は、この街では知らないものはいませんよ。立派な研究所もありますし」


 ××市といえば美作テックと壱国堂学園だ。

 そう言われるほどに有名なランドマークにもなっている。


「そうね、その理由としては……最近、といってもここ2、3年にくらいでという情報が世界中の研究機関に送られたのよ」


 神妙な面持ちで、師匠は肘を立てるしぐさをする。


「たった数行のその報告が、美作を注目の的にするきっかけだった。あらゆる分野のあらゆる機関が、表も裏も関係なく美作に注目した」

「じゃあ、美作は並行世界の観測に成功したってことですか!」


 そうだとしたら、それはとんでもないことなのではないだろうか。

 此処ではないどこか、違う次元。違う世界。

 かつては空想であった事柄が、かつて夢想した幻想が、現実となる。

 その高揚は、計り知れないものになるのでは。

 僕自身、今の話を聞いていて、少し興奮してしまう。


「……そうね、それが真実なら」


 歯切れの悪い言い方だった。

 

「平行観測の成功という前代未聞の偉業が本当になされたのなら、それは人類史に残る大事件になる。だから、みんな慎重だった。裏付けをとるために様々な調査機関が美作を訪れた。でも、美作は決して内部の情報をそとに漏らそうとはしなかった。ただ、『観測は成功した』の一点張りで、どんな方法を用いたのか、どんな機械を用いたのか、というのも明かそうとはしなかった」

「……それじゃあ、結局嘘だった、ってことですか?」


 興奮から一転、失望が僕を襲う。

 きっと、世の研究員もこんな感じだったのではないだろうか。

 テレビに出演していたビジネスマン風の男のことを思いだす。

 そんな虚偽をマスコミで堂々と垂れ流すなんて、どんな神経をしているのだろうか。

 ああいや、テレビでは観測に成功した。とは言ってなかったんだっけ?


「そうね、虚偽の情報だったのではないかって話も出て、一転、美作は非難の対象になった。それでも彼らは主張を変えなかった。観測は成功している。しかしその詳細を諸君らに渡すことはできない……ってね」


 それでは虚偽だと思われても仕方がないのでは無いだろうか。

 明確なソースのない情報はただのデマゴギーだし、科学分野ならば再現性と実証実験は必須だろうに。

 なぜそこまで頑なに拒んだのだろう。


「それはわからない。結局真偽不明のまま、でも学会からは偽証であるって意見が多く出て、そのまま調査はお流れになった。いつまでもそこだけに金と人材を掛けていられないってことでね、外部の調査機関を頼ることになったのよ」

「つまりそれが……」

「そ、私の所属する『イェツレヘム機関』。ひいてはそこの監査部門ね。もともと私がこの街に来たのは、それが理由」


 なるほど、師匠の仕事をきちんと把握したのは、これが初めてのような気がする。

 そんな仕事を抱えながら、他の面倒ごとにも巻き込まれるだなんて……。

 とんだ事故誘発性体質である。

 しかし、その美作テックとみほちゃん(仮)がどういうつながりにあるのだろうか。


「ま、美作についてはとりあえずここまで……。そういうわけで、私は昨日も美作テック周辺の調査をしていたのだけど、やっぱり研究所内には入れなくてね。近くまでいって様子を窺ってたのだけれど……。そこで妙なことに気づいたわ」

「妙なこと?」

「ええ、普段より研究所内部の……というより研究者たち自身の様子がおかしかった。必死で、慌てた様子で敷地内を駆け回る何人かの研究者を見てたら、ちょっと笑えたけれど。彼らにとっては笑えないことが起きてたんでしょうね。しばらく様子を窺っていたら警備兵が何人か出てきたから、さすがにまずいって思って退散しようとしたところで……彼女を見つけた。ブルトンハットを目深にかぶって、草陰でぶるぶると震えながら隠れてるその子を見て、私はさすがに放っておけなかった」


 それは、誰だって放ってはおけないのではないだろうか。

 しかし特殊な研究所に、少女という組み合わせは、なんだかちぐはぐでそれ自体がもう違和感の塊だと思う。

 そして、研究者たちが慌てていたというのは、みほちゃん(仮)を探していたから、ということなのだろうか。

 

「それで、家に連れ帰ってきたんですか」

「そう、あのまま放っておいたらいけない気がしたし、もしかしたら、美作につながるかもしれないって思ったから」


 でも、とそう言いながら師匠は寝室の方に目をやる。


「記憶がないんじゃ、どうしようもないわね」

「……そうですね」


 僕はそう答えながら、脳髄をフル処理させて情報を精査する。

 一つ課題がクリアできたかと思えば、またもや命題が発生するとは。

 みほちゃんが美作と関係しているなんて、茶野ちゃんは一言も言わなかった。

 知らなかったのか、隠していたのか、それは明日本人に聞くとして、みほちゃん(仮)が美作と関係しているのならドッペルちゃんもそうであると考えるのが自然だ。

 ドッペルちゃんの目的は美作に関係している。

 ならば、それはやはり並行世界に関係しているのか? 

 さらに疑問もある。

 外に出られないはずのみほちゃんが何故、美作テックの付近にいたのか。

 そして、クロスリンクスのライターについてもまだ解決していない。

 やっぱり情報ばかりが集積していく。

 どこからほどいていいのかわからない糸を扱ってるみたいだ。

 ……あ、そうだ。

 

「師匠」


 腕を組みながら、グラスを見つめて考えるように黙り込んでいる師匠に僕は唐突に話しかける。それに対し、師匠は目線だけで「なに?」と問う。


「協力しませんか?」

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