探偵、聴取ス
学園からバスで2分。市の中心に位置する学園から見て南東に広がる第2住宅区の中に、ひときわ大きなビルディング。
10階建てのそれは伍堂アカデミーが所有するもので、内部には関係施設が内包されている。
その6階から上が、壱国堂学園の女子寮だ。
セキュリティは万全にして盤石、警備の面でも、プライベートなことも漏れることはない不落の牙城。学生の寮一つに少々やりすぎではないかとも思うほどの金がつぎ込まれた、もはやそれは砦ともいえるべき建造物。
そんな要塞は、
下手にアパートを借りるよりも快適な暮らしができると噂のここには、ほとんどの生徒が入寮している。
もちろん依頼人の
僕らはまさしく、そんな牙城の内部にいた。
もてあましそうなほどにだだっ広い2LDKの部屋は、彼女の外見と裏腹に、ごく普通の女の子の部屋だった。ガーリーでフォーマルな小物が並べられたデスクや、きちんと整理された本棚は、彼女が意外と繊細な精神をしていることの表れなのかもしれなかった。
さすがに本人には言えないが。
もっとバンドマンの部屋みたいなのかと思ってた、といったら茶野ちゃんから「あんなかぶれ野郎どもの表面だけなぞったようなクソファッションと一緒にするな」と怒られた。
こだわりがあるらしい。
僕としても彼女の雰囲気だけでよく知らないバンドマンの部屋という概念を持ち出して言っただけだったので、これは反省。
薄紫のカーペットが敷かれたリビングには、かわいらしいクマやウサギのデフォルメされたクッションが並べられていて、その中央に、小さなテーブルがあって、その周りで囲むように、僕たちは座っている。
「「「「…………」」」」
みんながみんな、沈黙していた。
僕と汀くんから語られた話は、さすがに飲み込むには時間がかかる内容のようで、茶野ちゃんは口をつむんで下を向いているし、栢野さんは信じられない、といった顔をしている。
無理もない、と思う。
実際に目の当たりにした僕ですら、いまだににわかには信じられないのだ。
非現実で、非常識で、不可思議で、不条理な。
話を聞いただけの彼女たちにとっては、なおさらだろう。
もっと言えば、茶野ちゃんは、ドッペルちゃんが真実、みほちゃんのドッペルゲンガーであることを知らされたというのもある。
もしかしたら、そうでない可能性を考えていたのではないか。それが打ち砕かれた今、彼女は何を想っているのだろう。
うつむく彼女の表情は見えない。
これではまるでお通夜だ。
お通夜に出たことなんて、一度もないのだけれど。
そんなどうでもいいことを考えていいないで、これからどうしたものかと思案するとしよう。
彼女が、逆佐原みほのドッペルゲンガー(仮称ドッペルちゃん)であることはほぼ確定的だ。
それはいい。
ただ、それ以前に彼女の目的や、みほちゃんの行方など、分からないことは多い。
それに、クロスリンクスのライターの件もある。
こうなってくると、あの記事で書かれている彼女は、もしかしたらドッペルちゃんの方なのかもしれないという考えも出てくる。
そうなると、茶野ちゃんがそばで付きっ切りで生活していた数日間、一緒にいた相手もドッペルちゃんであるという疑いが浮上する。
けど、そんなことあり得るのか?
どうしてそんなことする必要があるんだ?
ドッペルゲンガーはその本人と何ら変わらない、もう一人の自分なのだ。入れ替わればいいだけだ。その後は、何食わぬ顔をして生活を続ければいいだけ。
……入れ替わられた方がどうなるのか、という疑問については、今はおいておこう。
整理だ。
今考えないければいけないことをリストしろ。
脳髄の中でホワイトボードを浮かべ、そこに付箋を貼り、対象を書き込んでいく。
ドッペルちゃんの目的。
逆佐原みほの行方。
ドッペルちゃんの移動方法。
あのクロスリンクスのライターの正体。及び目的。
そして、師匠が保護した少女との関係。
うーん、こんなもんかな。みほちゃんの行方については、多分見当はつくんだけど。……って、待て待て待て、ここまで考えてきたが、どうして僕はドッペルゲンガーなんてものを真に受けてるんだ。いやまあ茶野ちゃんからも栢野さんからも、当の本人からも「ドッペルゲンガー」だとは言われてはいたけど、それを信じる根拠はどこにある?
そもそも僕はみほちゃんの顔を知らない。二人が同一であることの判別なんてできやしない。茶野ちゃんの話を聞いて、僕も彼女をドッペルゲンガーであると思ったんだ。
内容も奇妙で、その後に起きたことも衝撃的だったから、すっかり意識から外れていた。
「ねえ、茶野ちゃん、ちょっといいかな」
刺激しないように慎重に、できるだけ穏やかに声をかける。
その声に顔をこちらに向ける茶野ちゃんは、そのしゅっとしたほほをひどく青ざめていた。
「……なんだ」
「みほちゃんの写真って、持ってない?」
「……写真? それが、なんになるっていうんだ」
「確認したいんだよ。僕たちが今日会った人が、みほちゃんのドッペルゲンガーだってこと」
「……だって、それは私が言っただろ……あれは絶対にみほの……」
茶野ちゃんはひどく弱弱しい声で言葉を返す。いたたまれなかった。
「でも、僕はみほちゃんの顔を知らない。ドッペルゲンガーだっていうのなら、顔はおんなじはずだから、写真と記憶を比べてみれば、同じかどうかわかる」
「……」
「おねがいだよ。もやもやしたこの感じはすぐに振り払いたいんだ。それでドッペルゲンガーだって断定できれば、僕の思考も先に進む。そうすれば、本物のみほちゃんの居場所も、多分わかる」
「! ……本当か?」
ぱっ、と僕の眼を見つめ返す彼女の顔には、すこし赤みが戻っている。
良かった。少しは元気づけられるかな。
本物のみほちゃんの居場所が分かるかもしれない、というのも、嘘ではないし。
「おいおい、なごっちそれ本当か? 本物の逆佐原みほの居場所、わかるのか」
「ほんと? なーくん」
僕たちの会話を聞いていた
「うん、多分、だけど」
「そっかあ! よかったね、さーちゃん!」
「あ、ああ……!」
明るく言う栢野さん。彼女のこういうところは、今は素直にありがたかった。
「しっかし、どの段階で分かったんだ? 俺もいろいろ考えてたけど、そんな情報あったか? 雲をつかむような話だし、正直どうにも要領を得ないっつうか……ああ、気を悪くしたらごめんな?」
茶野ちゃんに向かって、軽く謝罪のポーズを向けてみる汀くんに、茶野ちゃんはああ、かまわないと返した。
「でもそうだろ? 今の段階で分かってんのほとんどないぜ? クロスリンクスのライターが怪しい、逆佐原みほと入れ替わってるやつがいる。そいつは瞬間移動ができる、くらいしかないぞ。そんな薄っぺらい情報の中にそこにたどり着く要素あったか?」
それもそうだ。これは今、この中で僕にしかわからないことだろう。僕にしか知りえない情報があって、それが欠けている3人には絶対にたどり着けないこと。
しかし、それを今開示してしまってもよいのだろうか。
この情報を茶野ちゃんに伝えることで、彼女はみほちゃんの無事が分かり、おそらくは二人を引き合わせることもできるだろう。茶野ちゃんにとってはいい展開だ。
しかして逆はどうなのだろうか。
僕が考えていることの中には、茶野ちゃんにとっては最悪のパターンも入っている。
そしてそれが当たっていた場合、《彼女たちの関係は》,あるいは彼女たちの世界は戻ることのないところまで破壊されてしまうのではないかという不安が、僕の中にある。
それは、できれば避けたい。
真実を求めることは大事だが、それ以上に個々人の世界を破壊することを、僕は良しとできない。
こういうところが、もどきの理由なのかもなあ。
「まあね、僕は探偵だからさ。それくらいはひらめきで何とかなる」
「ほんとかあ? なんか怪しいぜ」
う、鋭い。汀くん、外見と言動は若干チャラいけど、でもバカってわけじゃないんだよな。
怪しむ目線が痛い。
「……まあ、お前がそういうなら、俺はそれで構わねえよ」
好きにしろよといわれているみたいで、少しくすぐったかった。
栢野さんの方は、はえぇ、すごんだねえとか言っていて、こっちはこっちで大丈夫なのかと思う。
これが素なのか、それとも演技なのか、微妙にわからないラインなのが彼女だった。
「と、とにかく。茶野ちゃん、お願いできる?」
「分かった。スマホのでいいか?」
「できれば、現像したやつがあるとたすかるね」
個人的な主観だが、ディスプレイを通した印象と、印刷された写真の印象はどうしても違うように感じられてしまう。
「あと、教えてほしいことがあるんだけど」
「なんだ?」
展開に希望が見えたことで、茶野ちゃんの青ざめていた顔は血色が戻っていた。
答えも、昼間のようにはっきりとしている。
「みほちゃんについてと、茶野ちゃんとみほちゃんの関係について。プライベートなことだろうけど、一応聞いておきたい」
「重要か?」
「うん」
「……話せる範囲ならな」
「もちろん」
そして、怒涛にして不可思議、奇矯にして非現実なの1日が過ぎ、牛歩のような進展を得ながら僕たちは夜を迎える。
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