ドッペルゲンガー症候群、あるいは重複する認識

探偵、敗走ス

 「——っがああ! なごっちそいつやばい!」


 彼女が消えた個所を茫然と見つめていた僕の耳に、汀くんの叫び声が聞こえる。

 がばっと椅子から身を乗りだして、彼女(ドッペルちゃんとでも呼ぼうか)が存在していた箇所を睨みつける。

 そこにはだれもいないことを確認すると、彼は困惑の色を顔に浮かべ、きょろきょろとあたりを見回していたが、結局椅子に座りなおして、くそ、と悪態をつきながら頭を掻いた。

 

「どうなってんだ?」


 訳が分からない、と言いたそうな顔を僕に向ける汀くん。

 それはこっちが聞きたいくらいだった。

 白昼堂々、目の前で人が一人忽然と姿を消すだなんて、さすがに経験のしたことがない事例だ。

 目の前で起こったあの事象は、手品か奇術か、それとも魔法か。

 まるで芝居がかったような口調と行動で、挑発するように演じて見せたあの子は、いったい何だったのか。

 そしてあの言動はいったい何なんだ?

 僕を知っているような口ぶりだったが、僕は彼女のことを知らない。顔も、声も聞いたことはなかった。

 なのに、あのブルトンハットと眼鏡をかけた姿は、どう見ても……。


「——ち、なごっち。おいなごむ!」


 思考の淵に沈みそうになった僕を、引き戻す声。

 

「大丈夫か? ひどい顔してるぞ」

「あ、ああごめん。ちょっと考え事してて」

「そうか……なあ、なごっち。何があった?」

「それなんだけど、汀くんはなんで気絶してたの?」


 それがよお、とばつが悪そうな顔をしながら頭を掻き上げる。

 どうもそれが彼の癖らしい。

 

「なにかされたってんなら、されたんだろうな」


 そんな、はっきりとしないことをつぶやく。 


「どういうこと?」

「あの教室についてから、俺は何かあの女に怪しいそぶりがあったらすぐ動けるように意識してたんだがな。なごっちがあいつにいろいろ聞こうとしたとき、直感的にって思ったんだよ。だから止めようと思ったんだが……。次の瞬間にはあの女は消えてるし、なごっちは放心してるしで、もう意味わかんねえよ」

「……意味わかんないってのは、僕も全面的に同意だね」


 白目向いてよだれ吹いてたってのは言わないほうがいいかな。

 それにしても、ドッペルちゃんが何かしたようなそぶりは全くなかったはずだ。どうやって汀くんを気絶させたんだ?

 ああ、そう言えば、なんか変なこと言ってたな。「」に。とか。どういう意味だ?

 文脈からすると、意識をどこかに飛ばしたって意味なのか?

 バカな。そんなことできるのか?

 そんな超能力めいたものがこの世に存在しているとでも?

 しかし彼女は実際に僕の目の前から消えて見せた。あの泡のような、渦のような現象が関係しているのだろう。

 僕の中で、非現実に対する評価をどう判断したらいいのかが分からなくなってきている。

 僕は超能力を信じてはいない。いないが、今さっき経験した事象をどう説明づけたらいいのかが分からない。そんな力がある。と言えてしまえば説明はつくが、あいにくここは現実だ。そんなサイキックファンタジーな設定はない。ないはずだ。

 そらに、彼女が発した不可解な言葉の数々。

 僕のことを知っていたかのような。

 まるでこの事件は、仕組まれたことのような。

 それと、ブルトンハットと眼鏡の件も。

 考えるべきことだけがさらに増えて、何一つ有用な手掛かりが見つからないこの感覚は嫌いだ。 

 

「で? あの女はドッペルゲンガーってことでいいのか?」


 まあ、今のところはそれでいいだろう。

 それを確定させるためにも、確認しなければならないことができた。


「しっかし、どうやって消えたんだろうな」

「さあね、テレポートでもしたのかな」

 

 さっき体験した現象を汀くんに話すと、「そりゃ超能力っつうより異能力だろ」と突っ込まれた。

 異能力と超能力の違いが何なのかはよくわからないが。

 というか意外だ。汀くんは超能力とか信じてる派なのかな。


「まあな、会ったことあるし、超能力者」


 あるのか。……あるのか?!!?


「僕の世界観とはどうも違うみたいだね……」

「なごっちはあんま信じてない感じ? 超能力とか」

「そうだね。そんなものはないし、あってたまるかって感じだよ」


 もしであったとしても、その裏に何かしらの仕掛けやトリックがあるだろうと勘繰らずにはいられない。

 だから今回の現象も、何かしらの仕掛けがあるのではないかと思うのだが……。


「ちょっとこの教室調べてみよう」


 おう、と気前よく返事をする汀くんにも手伝てもらって、部屋の隅々まで探索した。

 埃すら見逃さないように重箱の隅を楊枝でつつくかの如く探した。

 窓のサッシも、床の溝も、天井も、黒板も、いすや机も、ロッカーの中も。

 あらかたひっくり返したが、何も見つかりはしなかった。

 まったくもって清潔な教室だった。

 

「俺らは埃まみれだけどな」


 軽口をたたく汀くん。

 そう言いたくなるのもわかるくらいに、無駄足だった。

 何の仕掛けも、なんの痕跡も残ってはいない。

 消える直前に回収でもしたのか、そう思ったがそんなそぶりは一瞬でも見せてはいなかった。

 くそ、まさか本当にテレポートでもしたのか? そうなら、僕の世界観をアップデートしなければならない。

 そしてそんなことできる奴が相手だとしたら、かなり厄介だ。

 どこにでも表れて、どこへでも去ることができる。そんな存在をとらえることなんて、できるのか。

 こうして実際に自分が体験してみると、やはり安請け合いするべきではなかったという思いが湧いてくる。

 いけない。弱気になるな。どんなことであっても請け負い、事件なら解決すると決めたじゃないか。

 そんな自分の弱気を振り払うように、ふるふると頭を振り、今一度教室の中を検分する。

 やはり何もない。

 ドッペルちゃんが居たところの周辺も調べてみるが、なにも……ん?

 ふわりと、弱い香りが鼻を衝く。

 薄い香水のような、ほのかな香り。 


「……なあ、たぶん推理のためってことはわかるんだけどさ。なに犬みてぇに鼻ひくつかせてんだ。しかもあの女のいた場所で」

 

 引き気味な汀くんに腕を引いて、僕と同じように香りのするところに立たせる。

 

「嗅げってか? ……あーーたしかに匂うな。これなんだ?」

「わかんないけど、たぶんなんかの花だと思う」

「はーーん。で? これがなにかヒントになるのか?」

「うーーん」


 正直わからない。これが彼女のものだとして、彼女につながる情報になるかというと、微妙なところだ。どこで手に入れたかとか、どういう種類の花であるとかが分かったところで、彼女自身につながるとは思えない。

 しかし、探偵としての僕の直感は、この香りに対する矢印を向けろといってくる。

 役に立つかはわからないが、覚えておくに越したことはないといった情報だと無意識で思った時、こうなるのだろうと僕は思う。脳内のスペースにピン止めをしておこう。


「ヒントになるかどうかは、これからかな」

「つまり気になったとこは総当たり。って感じか」

「まあね」


 さて、と何気なく窓の外を見ると日は傾き空はオレンジのグラデーションで彩られている。

 スマホで時間を確認すると、午後5時を回っていた。

 

「なあ、あいつはどこに行ったと思う」

「わかんないよ」

「あーん? 探偵だろ? 推理しろよ推理」

「情報が全然増えてないこの状況で推理しろってのは鴉に白くなれって言うのとおんなじだよ」

「不可能ってか? 使えないなー」

 

 ひどいい言い草だった。

 でもそういわれても仕方ない。結局分かったことは彼女がドッペルゲンガーでほぼ確定であるってことと、わけわからん瞬間移動が使えるってことだけだ。

 ただ、それが分かったことでできることもある。

 

「どうすんだ? これから」


 椅子から立ち上がり、伸びをしながら汀くんは言う。


「ずっとここにいてもしょうがないし、一旦茶野ちゃん達と合流しよう」

「OK。はてさて、どう説明したらいいのかね、こりゃあ」


 ぼやきながら、僕らは橙に染まる教室を去る。

 

 

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