探偵、始動(1)
××市のちょうどど真ん中。地図上でそこだけ刳り貫いたように存在する広大な敷地と、数多の施設。強烈な存在感を放って鎮座する白亜と淡い空色の城。
それが、僕達の通う
経営母体は
初等中等高等部を内包し、総数2000人を超える生徒を抱えており、様々な分野のエキスパートたちを輩出する才能の坩堝。
六座グループについては……まあ、おいおい。
そんな空前絶後の巨大学園の高等部2年F組の目の前で、僕と汀くんは棒立ちになっていた。
「でもどうすんだ? 当の本人に会って、話を聞くのはいいけどよ。それで解決するんなら、とっとと幼馴染二人を引き合わせちまった方がいいんじゃないのか?」
もっともな質問だった。
茶野ちゃんと栢野さんの二人と別れたあと、僕たちはまっすぐ学園に向かった。
当のみほちゃん本人に話を聞こうという算段である。
その行程で放たれた汀くんの疑問はあまりにまともすぎた。
「ま、普通に考えたらそうだけどね。でもそれはたぶんだめだ」
「なんでだ?」
「茶野ちゃんは、今学園にいるみほちゃんのことをドッペルゲンガーだと思ってる」
「……まあ、言ってたしな。でもよお、それってどうなんだ? お前、まるっきりあのパンク娘の言うこと信じたのか? なかなかファジーなぶっ飛んだお話だったろ? いくらか嘘が混じってんじゃないのか?」
「それはない。彼女は嘘つけないよ」
「そうかねえ」
聞いてるだけの汀くんでは多分わからないことだ。
実際に対話して相手を感じなければ、この核心は得られない。
ただ、この核心の根拠というのは、僕が探偵であるってことなので、それはそれで不安定なのだけど。
「栢野さんも言ってたけどさ、疑心暗鬼で、自分も幼馴染も信じられてない。そんな状況で、栢野さんの伝手で僕を頼ってくるような子が、対面して言葉を交わして、それで相手を信じられるかな。あいては自分の知ってる人間じゃないって思いが膨らんでる茶野ちゃんに、現実突き付けてはいおしまいで、それは解決って言えるのか」
「——それは」
「それにね、これはやっぱりおかしい。クロスリンクスの件もそうだけど、茶野ちゃんの話を信じるなら、何日もその外に出られないほど恐怖を抱いていた人間が、いきなり学園に現れて、クラスメートと仲良く談笑するとは、ぼくにはどうしても思えない」
そのちぐはぐさは、無視できるものではない。
「まあなんにせよ、今の状態で二人を引き合わせるのは悪手だよ」
「まあなあ、でもよ、それで今から会いに行くそいつがドッペルゲンガーじゃなくて本人だったなら、どうすんだよ」
「そうだね、そんときはそん時だ」
「行き当たりばったりじゃねえか。もっとこう慎重に考えたりしろよ。探偵だろ?」
「もどきだからね。出来ることは限られてるから。今僕ができるのは足動かして情報収集だよ。それに、本人だったら本人で、それは構わない。ドッペルゲンガーは本人だった! ってオチにして、あとはどうとでも説明を付けられるから」
「ミステリとしては最悪のオチじゃねえの? それ」
そんなやり取りを経て、今に至る。
教室の前で佇む僕らは、いかにも怪しい二人組だった。
さて、どうしよう。
知らない二人組がいきなりやってきて自分のことを探しているなんて、16,7の少女には恐怖では?
そんな僕の心配をよそに、汀くんは堂々とした態度で教室内に入っていき、数名で談笑していたのグループの中に入っていくと、二言三言会話して、「ちょっと借りる」とだけ言うとその中の一人を連れてきた。
「ほい、見つかったぜ」
「嘘だろきみ」
そんな強引な……。
と僕が唖然としていると汀くんはそのまま廊下を進んでいく。
女の子の方は怖がるでもなく普通に着いてきている。
肝が据わってんな。
そして一つの空き教室に着くと、周囲に誰もいないことを確認して中に這入る。
汀くんは椅子を二対一で並べて、向かい合うようにして配置し、二つ並んだうちの一つに座って、立ち尽くす僕らに「座れよ」と促した。
そして僕らは座る。
目の前の彼女はとても静謐に僕たちをとらえて、とても落ち着いた様子。
動揺も、不安も感じていないような、整然としたたたずまいは、聞いていた印象と一致しない。
少しの緊張が、3人の間に走る。
誰もが相手の出方を窺い、それに対する自身の出方を考えている。
肌を刺すような緊張感。
視界が狭まるような集中力。
いやだなあ、この感覚。
しかしそう弱音を吐いてもいられないので、僕は言葉を探していく。
目の間の彼女に対して紡ぐべき言葉は何か。
数秒考え、真っ向勝負に出ることにした。
「きみが、逆佐原さん……でいいんだよね?」
相対する彼女は短髪を揺らしながら、肯定する。
温和とは言えない、きっちりとした視線。
警戒を隠そうともしていないくらいに放たれる敵視。
青とグレーの制服を少し緩く着て、足を組みながら僕らをねめつけている。
茶野ちゃんは彼女を、引っ込み思案で温和で、優しいと評していたけれど、この雰囲気はまるで違っていた。
どっちかというと、茶野ちゃんに抱いた印象に近い。
茶野ちゃんの認識に齟齬があったのでなければ。これは……。
「それで? 貴方たちは、何の用があって私に会いに来たんですか?」
きれいなはっきりとした口調でみほちゃん……
「……僕は探偵をしているんですよ」
僕がそういうと、彼女はとたんに身を乗り出してきた。
「まあ! そうなんですか? 探偵というと、あのポアロとか、シャーロックとか、エラリーやオーギュストのような?」
海外探偵がお好きなようだった。
その趣向に関して言えば、事前の情報と一致する。
教室の隅で一人で読書しているような子とは、とても見えないが。
「私、探偵小説は好きなんですよ」
「そうなんですか」
「ええ。立ちふさがる謎に対し、臆することなく真実を追求していく探偵の姿勢そして卓越な知識。物語の裏に隠された悲喜こもごも……。ページをめくるたびに先へ先へと急く気持ちが抑えられません」
若干上気しながら、そう語る逆佐原さん。
探偵好きというのは本当のようで、目を輝かせながら様々な探偵小説のあらすじや最近読んだミステリについての感想を一方的に話された。
距離感がつかめない人だ……。
僕はそれに対してへえとかはあとかあいまいな相槌を打っていたが、隣を見ると、汀くんは腕を組みながらうつらうつらと舟を漕いでいる。
夢の中に逃げやがった。
「ああ! ごめんなさい。すこし自分勝手に語りすぎてしまいました」
ふう、と一息ついて落ち着く彼女からは、敵視と警戒心は消えている。
まあ、それならそれで僥倖だ。
いつまでも警戒心を持たれたままでは、こちらとしても困る。
「好きなことになると、押さえられないのです」
お恥ずかしい。と笑う逆佐原さんからは、優しそうな雰囲気が漂ってる。
なるほどね。
「そうですか……。でも、いいことだと思いますよ。好きなことがあって、それに熱中できるのは、とてもいいことだと思います」
僕が言うと、にっこり笑って、ありがとうございますと逆佐原さんは答えた。
作りものみたいな笑顔だった。
お世辞だと取られたらしい。
「そういえば、最近は探偵にもいろんな種類がいますよね」
「そうですね。私としては、古典的な探偵のほうが好きですが」
「逆佐原さんなら、そうでしょうね」
「探偵さん、あなたはどうなの?」
「え?」
「あなたは、どんな名探偵がお好き?」
そう質問する彼女は、とても真剣な眼をしている。
虚偽も、ごまかしも許さないような、そんな眼。
「あいにく、僕は探偵小説をあんまり読まないんですよ」
正直に、僕は答える。
そもそも読書がそこまで好きではないので、本自体を読まないというのもあるが、探偵小説はなおさらだった。
「なので好きとか嫌いとか言えるほどには、キャラクターを知らないって感じですね」
「そうなのですか……」
残念そうに目を細める彼女。本当に、心の底から残念そうだった。
「話を戻しますけど、最近は本当にいろんな種類の探偵がいますよね」
「ええ、そうですね。古典的な安楽椅子探偵、実地調査探偵、特殊な能力を持つ異能力者探偵、あとは霊能探偵なんてのもいます。本当に様々です。飽きません。日本の探偵小説の未来は明るいです」
本邦の探偵小説情勢を気にする彼女は、筋金入りの探偵マニアだった。
「……飽きませんか。そしてそんな探偵とともに、題材としても幅は広いですよね。たとえば」
そこで区切って、僕は彼女の眼を見つめ返す。
「——例えば、ドッペルゲンガー、とか」
緩んでいた糸が引き締められるようにピンと引き延ばされる感覚。
目の前の彼女は依然として笑みを崩さないが、それがまた威圧的だ。
「……自身の分身を見る現象のことですね。それは古くからある題材の一つではありますが。それが?」
「いやね、実は僕があなたに用があるっていうのは、そのことなんですよ」
僕は少し、身をかがむようにして座り、太ももに膝を載せて顔に手を近づける。
彼女は黙って、僕の言葉を待っている。
「この街に、ドッペルゲンガーがいるという噂をね、耳にしたんですよ。聞いたことありませんか?」
「……知りませんね。そんな噂、寡聞にして聞いたことはありません」
「そうですか。まあ僕もね、最近知ったんですよ」
逆佐原さんは毅然と、目をそらさずに受け答える。
「それで、いろいろ調べているうちに、こんな記事が出てきたんです」
僕はそこで、クロスリンクスの記事を見せる。
昨日見た時と何ら変わらず、コメントもついていない、記事のライターの名前もないし、取材相手の少女の名前も、記号を付けてごまかされている。
この少女が、目の前の彼女と同じかどうか。
まずは其の確認だ。
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