探偵、思考(5)
けれど、この不安ををほかの三人に伝えてしまってもいいものか僕にはわからなかったので、とりあえず自身の内にしまっておく。無駄に混乱させることもないだろうし、理解できるものかわからないというのもあるが。
ぎゅっと、指に力を入れる茶野ちゃんが痛々しくて、あまり見ていられなかった。
栢野さんも、どうしたらいいかわからなそうにしている。
汀くんは変わらず泰然としている。
しまった、と思う。順序を間違えた。記者が怪しいって話はもっと後にすべきだった。
ダメだな、目先の疑問にとらわれて、依頼人の心情をないがしろにしてしまうのは、僕の悪い癖だ。
反省をしつつ、僕は茶野ちゃんに向きなおる。
「ごめん。無駄に心配させるようなことを言った。今言ったことはほとんど確証のない推測に過ぎないから、深刻に捉えないでほしい」
僕の精一杯のフォローは、しかし虚しかった様で、茶野ちゃんの表情は依然として重いままだった。
うん、話を変えたほうがいいか。
僕はそう判断して、切り替えるように質問をする。
「ところでさ、茶野ちゃん」
「……なんだ?」
「ドッペルゲンガーを信じるようになったきっかけについて、教えてほしい」
「……そうか、まだそれは言ってなかったな……」
こういう時は、無理やりにでも意識の矛先を変えてしまうのがいい。
力を入れていた腕を少し緩めて、前髪をかき上げながら彼女は再び話し始める。
それは、実に奇妙な話だった。
三週間前の一件から、
学園の講義もほとんど出ずに、自身の部屋からみほちゃんの部屋までを往復する日々が、10日以上続いた。その間も、みほちゃんは一度も外に出ず、部屋の中に籠りきりだった。
ちなみに、部屋というのは学園が所有する学生用の寮の部屋のことで、だいたいの生徒がその寮を活用している。寮は学園から歩いて15分、バスで2分ほどの場所に位置しており、男女で別れている。11階建てのきれいなビルは、僕のような持ち家のある生徒は、実は少ない。
寮での生活はかなり快適なもので、全く困ることはない。というのが、売りだった。
学園の講義は自主参加性なので、その講義を休んでも問題はないが、前半後半に分かれた学期末の試験で進級が決まるので、参加する生徒のほうが比較的に多い。
そんな環境だからか、二人のことを怪しむ人はいなかったのだという。
そしてつい先日、そのドッペルゲンガーを信じるようになったきっかけというのが起きた。
その日、いつも通りにみほちゃんの部屋で目を覚ました時点で茶野ちゃんは強烈な違和感を覚えたのだという。
いつもなら、しっかりと手を握っているはずの相手がいない。
起きてすぐに目に入るはずの幼馴染が、いない。
リビングにも、洗面所にも、トイレにも、姿が見えない。
まさかと思い玄関を確認すると、みほちゃんの愛用するパンプスが一組なくなっている。
その時点で、茶野ちゃんは最悪を覚悟したという。
それはそうだろう。
気を病んでいる人間が一番しそうにないことをしたとき、それは警鐘とみるべきだ。
だが、思いのほかすぐに相手は見つかった。
学園で。
「その時のことを、あたしはどう表現したらいいのか、いまだに整理がついてない」
そう語る茶野ちゃんは、とても冷静で、静かだった。最初ぎらついていた雰囲気も、鳴りを潜めている。
「あたしが学園に着いたとき、みほは普通にクラスにいた。というか、溶け込んでいた。まるで最初っからクラスでの立ち位置がそうだったかみたいに、自然に溶け込んでいた。あいつはいつも、教室の片隅で、小さくなりながら文学読んでるような奴だったのに、クラスのやつら数人と談笑なんてしていた。その光景は、あたしをひどく混乱させた。動揺したあたしは教室から逃げた」
気が狂いそうだった。と彼女は言う。
「あんなあいつは見たことがなかったし、どうしてあんなに怯えていたあいつが楽しそうにクラスメートと談笑しているのかもわからなかった。それをクラスメートが受け入れていたことも、あたしにとってはショックだった。そして――そして何より、この数日のことは何だったのかって思った。あれは嘘だったのか、演技だったのか、だましていたのか――。それともあたしの妄想だったのか――」
彼女は背を深く預けて、天井を見やる。オレンジのライトが、茶野ちゃんを薄く照らしている。表情は、良く見えない。
「けど、どうしてもそうは思えなかった。あの数日間は絶対に現実だった」
だから、信じた。
「あれは、ドッペルゲンガーなんだって」
ぽつりと、まるで独り言のように、茶野ちゃんはそう語る。
誰かに語り掛けるというよりは、口から出る言葉を抑えられないような。
そうか。
結果的に、彼女は信じるしかなくなったのだ。
非現実的な数日間と、それに対する自己の認識を守るためには、そうせざるを得なかった。
それは、幼馴染のためというよりは——いや、いいか。
しかしかなり気になる話だな。
「――ありがとう、話してくれて。いくつか質問、いいかな」
「いいぞ」
「まずは、ほとんど毎日同棲していたってことだったけど、でも、四六時中ずっとそばにいたわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだな。少し目を離す時間はあったよ」
「どれくらい?」
「せいぜい、30分くらいかそこらだ」
「そっか……。じゃあ、みほちゃんってどんな娘なの?」
「あいつは……あいつはそうだな、引っ込み思案で、温厚で、優しくて、人といるよりは一人でいるほうがいいって感じだよ」
「そのショックのあった日から、茶野ちゃんは学園に行った?」
「……行ってない。確認するのが、怖いから」
「OK、分かった。ありがとう」
僕がそういうと、茶野ちゃんは見事に怪訝な顔をする。
此処までずっと話してきて思ったが、彼女は結構正直だ。
人が嘘やごまかしをつくときは特有の癖が出るもの。とくに慣れてないとそれはわかりやすくなる。
しかし彼女の場合、それはなかった。全くといっていいほど自然だった。
これがもし演技なら、彼女は女優になれる。
「ドッペルゲンガーを捕まえて、どうするの?」
「……確認、したい。あたしが間違っているのかそうじゃないのか。あの数日は嘘だったのか」
「わかった。……ドッペルゲンガーは必ず捕まえよう」
「依頼、受けてくれるのか?」
「もちろん、受けるよ。だから話を聞きに来たんだし」
「そうか……ありがとう」
深々と頭を下げる茶野ちゃん。
幼馴染を疑い、自分を疑い、何もわからなくなり、そして
ともかく、探偵を開始しよう。
僕らはその後、この後の方針と、いくつかの世間話を交えつつ、会談はつつがなく終了した。
いろいろと考えることは在るけれど、ともかくは行動だった。
茶野ちゃんは栢野さんに連れられて、寮に帰っていった。
解決するまで、栢野さんは茶野ちゃんのそばにいるらしい。
そして、男二人が残った。
……野郎と二人きりは、できれば願い下げなのだけれど。
「きみはどうしてまだここにいるんだい、好青年」
「千奈津にお前のことを手伝ってやれって言われたからな。探偵もどき」
栢野さんが?べつに手伝ってほしいことは特にないのだが。何だろう。ボディガードでもしてくれるのかな。
「お、いいぞ。こう見えて、俺は意外と根性あるぜ?」
明らかに平均的な筋肉の使い方をしている腕を見せながら、にっと笑って見せる。
まあ、居て損するような人材じゃないので、ありがたく手伝ってもらうとしますか。
「んで、これからどうすんだ」
「きみ聞いてなかったのか? ドッペルゲンガーを捕まえんだよ」
「はーーん。俺は千奈津のおまけで着いてきただけだから、あんまよくわかってないんだけど」
「ぜったい寝てただろ! 手伝に来たんなら概要くらいは把握してくれ!」
「い~じゃんい~じゃん。考えんのは探偵のお仕事だろ? 俺はその他をやるから」
「それはそうだけどさあ!」
そんな、気の抜けたコントのようなやり取りをしつつ、僕らが向かうのは、私立壱国堂学園。
「お、しょっぱなからラスボスに行くのか?」
多分これが、一番早いと思います。
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