探偵、思考(4)

「……さっきといっていることが違うように思えるんだけど?」

「そう急くなよ、探偵。さっき言ったのは結論だ。結果として、あたしはドッペルゲンガーのことを信じることにしたんだ。みほのために」

 

 そこで区切って、茶野ちゃんはコップの水を一飲みした。からん、と解けた氷がコップの内側で廻る。

 それは、言うならドッペルゲンガーのことを信じたのではなくて、つまりは自分の幼馴染のことを信じたということなのだろう。

 話はまだ続く。


「……でも話を聞いたときはそうじゃなかった。あたしはただ、みほの周りに変質者がうろついている程度にしか考えてなかった。だからその時はいろいろ言葉を尽くして、どうにかみほを安心させようとした。あたしが何とかする。あたしがみほを守ってやる。そんなようなこと言った気がするけど、もう覚えてない。何時間かして、あたりも暗くなってようやく、みほが落ち着いたから、あたしはそのまま、みほの部屋で一晩過ごした。それで朝になってから、自分の部屋に戻った。それが、3週間前の話だ」 


 此処までの話を聞いていると、なんというか、温厚で不安症な幼馴染のために奔走するやんちゃ娘の話という感じだ。友人の危機のために行動し、まるで見知らぬ他人を頼ることのできる茶野ちゃんは、外見とは裏腹に友達想いの女の子なのだった。

 探偵が必要になる余地があるのかわからないな。

 いまだに核心的なことは触れられてはいない。みほって娘のこともよく把握できないし。

 でも、その話を聞いていて、彼女に質問したいこともできた。


「そうか……。そこまでするなんて、茶野ちゃんは友達想いなんだね」

「はっ、皮肉かよ探偵」

「これは本心だよ。でもそうか、3週間前ってことなら、それから今までの間で、ドッペルゲンガーのことを信じるようになったんだ」

「そうだ」

「きっかけは? ……ああいや、その前に聞いておきたいことがあるんだけど」

「なんだよ?」

「茶野ちゃんはクロスリンクスのあの記事、見た?」

「ああ、良く知ってるよ」

「あれを知ったのって、いつ?」

  

 茶野ちゃんは片方の眉を吊り上げる。


「今週だよ。あたしは普段SNSなんてめったにやらないから、全然気づかなかったし、そんな取材をみほが受けてるなんてのも知らなかった」

「今週ね、OK……。あれさ、おかしくない?」

「……なにがだ?」

「あの記事ではさ、この街でドッペルゲンガーが有名になってるって書かれてたんだよね」

「……そうだけど、それが?」

「茶野ちゃん、一つでも噂を聞いたことある?」

 

 思案するように顔に手をあて、目を細める。数秒そうして、「ないな」といった。


「それは、あたしが知らなかったからだけなんじゃないのか? あたしみほ以外の友達いないし」


 それはそれは。まあ雰囲気的に一匹狼って感じだもんな……。全体のカラーからは、蜂を想わせるけど。

 多分茶野ちゃんは、群れる必要のない人間だ。

 僕と違って、仕方なくあぶれるのではなく、自ら周囲と自分を区切って、それを気にしないタイプ。

 ……それはいいとして。


栢野かやのさんさ、言ってたよね。ドッペルゲンガーがSNS上で与太話が出回ってるって」

「…………え? あ、うん。言ったっけ? 言ったかな。言ったと思う。うん」


 完全な不意打ちに、目を白黒させながらそう答える栢野さん。自分に質問が飛んでくるとは思っていなかったらしい。

 そもそも仲介したのキミだろ。

 何無関係ですって感じの空気出してんだ。ちょっと眠そうにしてんじゃないよ。まったく。


「でもそれが何なのかな? 意味があったりするの?」

「まだわからない。でも、引っかかる」

「ふんふん、なるほど? よくわかんないけど、探偵のなーくんがそういうなら、そうなんだろうねぇ」


 擬きだとしても、一応は探偵を謳ってはいるので、気になる引っ掛かりには敏感なのだ。

 経験則だが、こういう引っ掛かりは、無視をすると後が痛い。


「でさ、僕がそんな都市伝説が流行ってるのかって聞いたら、そうじゃないけどって答えたよね」

「そうだっけ?」

「そうだよ。それでさ、それってどういう意味?」

 

 それが、昨日感じていた【引っ掛かり】だった。昨日師匠との夕食を終えた後、僕はそのまま依頼についての情報をまとめていた時に、ふと違和感を覚えたのだ。いや、正確にはその前から引っかかっていたのだが、師匠の登場で脳の隅に追いやられていたのだった。本当に小さな引っ掛かりで、一度は頭から完全に抜け落ちていたのだが、茶野ちゃんの話を聞いているうちに思い出した。

 今家にいるであろうあの子のことが思い浮かばれたが、即座に意識の奥に埋没させる。今は余計な情報を入れたくはなかった。


「え、うーん。意味って言われてもなあ。そのまんまだよ。流行ってるっていうには、噂は全然聞いたことなかったから、否定しただけ」


 栢野さんは首をかしげながら、そう言う。


「ってことはその記事を見るまではドッペルゲンガーのことは知らなかった?」

「……まあ、そうだね。概念としては知ってたけど、噂になっていることまでは知らなかったよ」

「ちなみに汀くんはどう? そういう噂、聞いたことはあった?」

「いや、ないな。昨日、千奈津ちなつに記事を見せられた時に、初めて知った」


 腕を組みながら神妙に話を聞いていた汀くんは、即座に断定する。

 そうか。

 三者三様、みな噂のことは知らなかった。確かに噂なんてものは一過性で、過ぎ去ってしまえばだれの記憶にも残らないような流言だけれども、この四人の誰も知らないというのは、奇妙だった。

 そして記事の内容。


「僕だって、その噂があるってのを知ったのは栢野さんに起こされ……ああいや、依頼を受けた時だし」

「……なあ、それが何なんだ? 探偵サン。そんな細かいこと聞いて、何の意味があるんだよ」


 しびれを切らしたように、とげのある口調でそう聞く茶野ちゃん。明らかに苛立ちを抑えているといった態度で僕を睨む。それに対して、僕は少し申し訳なくなりながらも言葉を紡いでいく。


「ここにいる4人全員が噂を知らないのは、どういうことなんだろうね」

「あぁ? そりゃ……偶然なんじゃないのか?」

「そうかな、あの記事では若者の間で噂になっているって書いてあった。もともとゴシップだし、信憑性も薄いようなものだけれど、火のないとこには煙は立たないように、原因がなければ結果はない。だからほかに原因があるのかと思ったら、火元は全然見つからなかった。それに、あの記事自体もまるで無から出てきたように突発的な印象を受けるんだ」

「よくわからないな。もっと分かりやすい言い方できないのか?」


 うぅん、どうしても遠回りした言い方になってしまうのは、僕の中でまとまりつつある考えをどう言おうか迷ってしまうからだ。

 栢野さんのこと責めらんないな。

 どう説明したものか、と脳内でまとめていると、栢野さんがぽんと手を叩いて、「あー。そっか。そうゆうことなんだねえ」と言った。



「茶野ちゃん。つまりね、なーくんはこう言いたいんだよ。クロスリンクスの記事を書いた人は、この街で噂になっているドッペルゲンガーのことを調べてたって書いてたけど、私たちはその噂を聞いたことはないでしょ? 私だって、知ったのは茶野ちゃんにあの記事を見せられた時だしね。……そっか、だからなーくんは与太話って私が言ったこと気になってたんだねえ。うんうん。で、時系列的にみほちゃんが取材を受けたのが3週間より前なのか後なのかはわからないけれど、その記者さんはどこから情報を入手したのかっていう話になって、これだったらみほちゃんのほうから接触したって考えるのが普通だよね。でもさあ、それもおかしいよね。だって、みほちゃんはその時ひどく怯えていたんでしょ? 。そんな精神状態の女の子が、誰かと会談なんてするかな? 私はそうは思えないんだよね。強迫的に自分の像が映るのを怖がるくらいに追い詰められてた娘が、取材なんて受けないよ。だからね、その記事はすごく怪しいんだよ。当然、その記事を書いた記者さんもね…………。っていうことが言いたいんだよね! なーくんは!」

 

 「ねっ?」と言いたそうにサムズアップする栢野さんは、とてもいい笑顔だった。

 うん、うんうんうん。

 うううううーーーーん。

 ぜーーーーーーーんぶ言われた。

 他でもない栢野さんに。

 探偵、形無しである。

 くそう、悔しい。おいしいところを持ってかれてる気分だ。というか実際に持っていかれている。

 もう僕いらないんじゃないか?

 しかしここで本当に僕が下りてしまったら、終わる。いろんな意味でいろんなものが終わってしまう。

 折れるな僕! 

 何とか自分を激励し、立て直すために言葉を絞り出す。


「……あれ、もしかして違った……?」

「い、いや、そんなことないよ。そう、だね。うん、だいたいね、そういうことがね、言いたかったわけでね。全然栢野さんの言ってることであってます。はい」


 自分でも情けなるくらい覇気のない声だった。ショックがでかすぎる。

 茶野ちゃんは、そんな僕の醜態には目もくれず、腕を組んで考えこむようにしている。

 少しの間そうしていると、納得したような表情をして、椅子に深く座り込んだ。自分で考えを巡らせて、それに納得できる人間は、強い。


「探偵」


茶野ちゃんは言う。


「その記者が、この事件の犯人ってことか?」


 腕を組んで、きっと睨むように僕をまっすぐに見る。

 そんな茶野ちゃんに醜態を見せてはいられない。

 とりつくように、佇まいを直す。


「残念だけど、それはまだわからない。たぶん、そいつを見つけて、はいおしまいってのにはならないとおもう。でも、すこぶる怪しいのは確かだ」


 そうか、とつぶやく茶野ちゃんは悲痛な顔をしている。交差する腕には力が入っているのが分かる。目下彼女の敵であるその記者のことを素蔵して、怒っているのかもしれない。

 その怒りは僕には想像して余りあるものだが、気持ちはわかる。

 そして、ここであの記者に対して疑いを向けることに、僕は何かしら作為的なものを感じている。

 

 ばかばかしいと思う。

 だが、このばかばかしさに、僕は不安を感じずにはいられなかった。


 


 

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