探偵、思考(2)
「ああもうなんだって私の周りにはこう面倒なことが降っててかかるんのよなんだは私は死神かそれとも悪魔だとでも?!?!!?なんだお前は事件の悪魔ですってか?!?!はああああああもう面倒だ面倒だ面倒だ面倒だ!!!厄介だ厄介だ厄介だ!!!本当にうっとおしい!!!こんな役回りは犬にでも押し付けてしまいたいくらいよ!!!!」
玄関のドアあけ放った瞬間そんな怒号が僕を襲う。苛立ちをかくすことなくスマホの向こう側とやり取りをしているその人は、深い溜息をついてから乱暴に電源を切った。
いかにもキャリアウーマンといったパンツスーツに、鴉の濡れ羽のように真っ黒な長髪。苛立ちに支配された顔はそれでもわかるくらいに整っていた。切れ長の目から除く緑眼が、疲れをたたえているのが分かる。
「おかえりなさい。相変わらずお元気そうで。何よりですよ、師匠」
僕がそう声をかけると、怒号の主——我が愛しき師匠にして同居人である女性は「ああ愚弟!、ただいまあ~~~~」と威圧的な言葉を疲れたように返してくる。造形の整った顔立ちをげっそりさせながら、ふらふらと敷居をまたぐ後ろ姿は、その長い髪の毛のせいで幽霊にでも見えそうだった。もういい加減慣れてしまった日常ではあるけれど、これを他の人が目撃したらどう思うのだろう。
あんま考えたくはないな……。
今までの思考を中断をせざるを得なくなってしまったが、仕方ない。何か引っかかることがあったような気もしないでもないが、多分関係ないだろう。休ませることも必要だろうと思いなおし、脳髄のメモリを切り替える。
師匠を引き入れて、扉を閉めようと手をかけて、気づく。
小さな人影。
ドアに隠れて不安そうにこちらを覗いている。
瞬間、ひゅ、という音が自分の口から洩れる。
背筋に冷たいものが走り、手が震える。
噂をすれば影が差すとはよく言うが、まさかドッペルゲンガーなんてものについて考えていたからか??
「え、えーと……」と、震える声で話しかけようとしたとき、
「おん? 玄関でなーにやってんのよ。おら、入りなさい」
と、師匠が顎を使って促すと、その人影はするっと扉の内側に入ってきた。小さな照明の明かりに照らされたその子は、女の子だった。
ビビった……。
「
水色のブルトンハットからぴょこっと飛び出たくせ毛が特徴的な、眼鏡をかけた同年代くらいのその子は、おどおどした様子で、僕の顔を見るなりぺこっと頭を下げた。そそくさと師匠の後を追って、師匠はそんなブルトンハットちゃんに一言二言告げると、ブルトンハットちゃんは奥の方の部屋にササっと引っ込んでしまった。
そこは一応僕の部屋ではあるのだが、こういうことがままあるので、ほとんど来客用の寝所のようになっている。
その様子を見て、扉を閉め鍵を掛けつつ僕はため息交じりに師匠に詰め寄った。
「師匠ま~~~~~た面倒なことに巻き込まれてますね??」
近隣に迷惑にならないように僕がそう言うと、師匠は悪びれもせずに「ん、まーね」といった。無造作に来ていた服を脱いでいき、そこら辺にほっぽって行く。僕はそれを回収していき、洗濯籠に詰めていく。
これも、良くある光景だ。
事件に出会い事件を起こし、起こされ、巻き込まれて、巻き込んでいく、事件誘発体質。
出会ってから早半年がたつが、いやというほど身に染みていた。
見知らぬ誰かを連れてくることは珍しくはないし、それが少女であることも珍しくはないのだが、毎度毎度慣れない。
ドッペルゲンガーのこともあるし、あんま仕事は増やしたくないな……。
よし。
「僕手伝えませんからね?」
「ええ、なんでよ」
僕は依頼を受けたことを師匠に話す。話を聞いた師匠はドッペルゲンガーという単語が出たあたりから怪訝な顔になり始め、聞き終わると明らかに嫌そうな表情になっていた。
「というわけなので、今回は師匠のお手伝いはできませんからね」
師匠の事情については詳しくは聞かない。聞かなくても巻き込まれるので、今回は巻き込まれないうちに先制してこちらの隙を埋めてしまおうという魂胆である。僕が探偵のまねごとをしていることは師匠も承知なので、それを盾にしてしまおうというわけだ。
実際、僕には依頼が来ているし、師匠は仕事のある僕にそんな強制はしないだろうと思う。さすがにそんな横暴ではないだろう。うちの暴君お姉さまも。
というのも、師匠は妙に約束事の順番に厳しいのだ。こちらが取り付けた重要な約束よりも、それ以前の小さな約束を優先する。それより前に約束したことだから。というのだが、内容より順序を優先するのは、ともすればいいことなのかもしれないのだけど、それをこちらにも強いてくるのでたちが悪い。そんな性格だから面倒なことに巻き込まれるのではと思わないでもないのだが、それはそれ。
予想通り、師匠は頭をガシガシと掻きながら、「えー。しょうがないわね」だの「めんどくさい」だの、ぶつぶつ小言を言っていたが、いつもならここで問答無用に「手伝いなさいね??」と、圧をかけられているところなので、この様子だと巻き込まれずに済みそうだ。。
よし、作戦通り。
「あの、一応これだけは聞いておきたいんですけど。さっきのって」
「ああ、あの子? まあ、いつものよ。いつもの。拾ったの」
「毎度のことながら、ほんと事件を引き込む体質ですよね……」
「いやっていうほど身に染みてるわよ」
そう言うと、師匠はさっきまで僕が座っていたソファにダイブする。上着を脱いでシャツ一枚と下着だけというあられもない姿をさらしている年上の姿は、一部の人間とってはありがたいものかもしれないけれど、同居数か月目の、もはや見慣れている僕としては、勘弁してほしい。というのが本音だった。
無駄にプロポーションがいいのが、目のやり場を奪うのを加速するよなあ。
だらしない姿をさらしながら、同居人は「腹減ったー」と催促。見ると時計の針は6時を回っっていて、確かにお腹の虫も鳴いている時分だ。
この家において、掃除洗濯炊事といった家事全般は僕が担っているので、さっそくキッチンへと向かい調理にとりかかる。
っと、そう言えば。
「師匠」
「ん?」
「あのブルトンハットのコ、ごはん食べますかね」
「おあー、見てくる」
そう言いながら師匠は奥の部屋に向かい、扉を開けて中を窺うようにちょっと覗くと、すぐにリビングに戻ってきた。肩をすくめながら、「寝てる」と一言。そしてすぐにソファにダイブ。
うーん、そうか。んじゃあいつも通り、支度するとしよう。
「なににすんの」「チャーハンにします。余り物が多いので」「スープは?」「つけましょう」「どんな」「たまごとタマネギのコンソメです」
そんなやりとりをしつつ、調理を進めていく。
……ふう、今日も疲れたな。
料理をしているときは幾分穏やかになれる。
料理が好きというよりは、作業に没頭できるというのが大きいのかもしれなかった。
あー。いろいろ考えなくちゃいけないこと、あるんだけれどな。
一つのコンロでフライパンを温めつつ、その間に卵を研いでいく。それが終わったら余ったご飯と刻んだブルストをフライパンにぶち込んで炒め、卵を半分入れ、炒め、火を止め、別のコンロで水を入れた鍋を温め、そこでスープを作っていく。熱による対流でぐるぐると渦を巻きながら鍋の内側で回る卵を見ていると、少し、自分も一緒に回っているような錯覚にとらわれる。沸騰し始めたのか、泡がほつほつと吹き上がってくる。その水面に映っている僕はだだんだんと揺らぎ始め、分裂していく。じいと眺めていると、次第にぼんやりと現実の境界が薄れるのを感じる。
ドッペルゲンガー、別人格、魂の分離、自分の分身。影、幻覚、現象、自我、少女、泡、並行世界。宇宙。死。
とりとめのない、思考にもならないような風景と情報が、僕の脳裏を渦巻きはじめる。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐ
どうして「Xlinx」にだけ記事があったんだろうか。ドッペルゲンガー、別人格、魂の分離、自分の分身。影、幻覚、現象、自我、少女、泡、並行世界。宇宙。死。
るぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる
どうして「茶野ちゃんのお友達」はドッペルゲンガーに行き会ったんだろうか。ドッペルゲンガー、別人格、魂の分離、自分の分身。影、幻覚、現象、自我、少女、泡、並行世界。宇宙。死。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐ
どうして「捕まえてほしい」なんだろうか。ドッペルゲンガー、別人格、魂の分離、自分の分身。影、幻覚、現象、自我、少女、泡、並行世界。宇宙。死。
るぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐ
ドッペルゲンガー、別人格、魂の分離、自分の分身。影、幻覚、現象、自我、少女、泡、並行世界。宇宙。死。
ぐるぐるぐ
るぐる。
ぐるぐ
る。
「てい」
「あいたあ!」
後頭部に鈍い痛みが走り、僕は現実を再認識する。
ジンジンと響く刺激に振り向くと、師匠が立っていた。
「なーにぼうっとしちゃってんのよ」
「ああいや、ちょっと考え事を」
漠然とした情報の羅列をただ脳内で垂れ流すことを思考というのかはともかく、「依頼」についての今僕がなにを疑問に思っているのかは何となくつかめてきた。うーん、でも全然情報のない状態で無理に考えようとしてたから変に思考がから廻っているような気がしないでもない。全然関係なさそうな単語も浮かんできたし。
さておき、明日の「茶野ちゃん」との面会が待ち遠しかった。
「いい加減我慢できそうにないくらいの空腹なんだけど」
不満そうな師匠の声が聞こえる。ちゃちゃっと済ませなければ。
火を止め、チャーハンとスープをそれぞれ器に盛りつけて、テーブルに運ぶ。手前が僕、向かいに師匠。向かい合って、座る。手を合わせて「「いただきます」」
素朴な夕食。
お互いに今日あったことや、なかったことを、とりとめもなく、話していく。会話というにはおざなりな、それでも独り言よりはましな程度の、そんなやり取り。
「師匠の面倒ごとには付き合いませんけど、とりあえずいつまで預かるとかは決まってるんですか?」
「素性調査はまだできてないからなあ。今日明日は一応うちにいさせるけど。長くて一週間かなあ」
「そうですか」
「あんたの方は?」
「はい?」
「あんたの依頼のほう」
「ああ。まあ、ちょっと奇妙な話ですけど、具体的な対応はこれからですよ。明日、依頼人の依頼人にあってきます」
「依頼人の依頼人って、込み合ってるわねえ。それに、いまさらドッペルゲンガーとはね。時代遅れも甚だしいって感じだけど。好きな奴は好きな題材よね。それ」
「師匠はどう思います?」
「ん?」
「ドッペルゲンガーについて、何か思うところはありますか?」
「私になにを期待してんのよ。しがないたただの組織人よ、私は」
「いろんな出来事に巻き込まれて、それを見届けてきたあなたが、ただのってことはないでしょう」
「ただの死神よ」
「……貴方の体質を考えると笑えませんよ」
僕がそういうと、彼女はぺろっと舌を出しごまかすように笑って、少しスープに口を付けた。
ふう、と一息ついて、彼女は続ける
「……そうねー、ドッペルゲンガーね。私はそういうオカルトに足突っ込んだ話題はそこまで好きじゃないけどさ、なんだっけ、自分の別人格に出会っちゃうんだっけ?」
「そういうこともあるみたいですね」
「そうじゃないこともあるわけだ。要は多面的な解釈のしやすい現象ってことね。しやすいって言うのは、実際にそういうことがあったかどうかはともかくとして、それがいろんな可能性を帯びて世間に広がる余地があったってことよね。自分自身との接触、外界に現れた自身の内面、そんなのは神話の時代から想像されてきたこと。本当に今更のような概念なのよ」
「今更、ですか」
「今更過ぎるわよ。ほんとにね」
呆れたように言いながら、彼女は視線を落とす。もう冷め切ってしまったスープの表面には何が映っているのだろうか。何を見ているのだろうか。
「自分を知りたい、自分の中身を知りたい。外に取り出してきちんと確認してしまいたい」
「……それは」
「その気持ちは、あんたが良く知っているでしょう?」
僕は答えない。
見透かすような師匠の眼は、僕をまっすぐにとらえている。
「だからこそ、探偵もどきの活動をしている」
僕は答えない。
答えられない。
ナイフのような、その緑の切れ目に、僕は竦む。
「ぼ、僕は—―」
「……なーんて、ね。ごめんごめん。ま、何が言いたいかっていうと、どうせあしたその「
一転、ぱあと笑顔で僕の肩をたたく。
「……はい」
「ま、それは解り切ってることだろうけれど」
「そう、ですね」
「ん。じゃ私はあの子のこと見てくるから。頑張りなさい。探偵もどき君」
「美味しかったわ、ごちそうさま」師匠はそう言って食器を片付けると、奥の部屋に消えてしまった。
……はあ、びっくりした。発破をかけられているのはわかったけど、あんなこと言われると、こっちとしては戦々恐々である。
「まあ、たしかにごちゃごちゃ考えすぎてたな」
明日からが本番なのだ。その時考えれば、それでいい。もどきの僕には、大それた推理なんてできないんだから。
食器を手に取り、キッチンへと向かう。
少し残ったスープには、何も映っていなかった。
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