探偵、思考(1)

『――この理論においては、並行世界、ひいては並行宇宙は観測のみしかできず、相互に働きかけることはないということですか? 美作みまさか博士』

『はい。近年になって我らが存在するこの宇宙と並行宇宙とは、泡のような構造をしていることがほぼ確定となりました。これはかつて言われていた宇宙の大規模構造、つまりは、宇宙は銀河の密度の大きい部分と、低密度の部分、これは【ボイド】と呼ばれてはいますが、この二つの領域が孫存在し、それらが織りなす構造は泡のように見える。という理論を拡張させたもので――』

『――すなわち、われらの宇宙と、並行宇宙との関係性も、3次元的に観測すれば、そのように泡の集合のように見えているのではないか。という説です。この構造について今から説明しますと――』

『――という、この説で行くと、並行宇宙は、かなりの確率でわれらの世界と重なり合うように存在しているのではないかと――』



 8kのディスプレイが鮮やかに写すのは、数人の男女が一人の男に質問している様子だった。質問している方は老若男女問わず、TVでよく見るコメンテーターや、最近話題の俳優や、大御所、芸能人ばっかである。質問される方は、精悍といった面立ちの、科学者というより、ビジネスマンのような風体の男だった。どうやら、男は淡々と宇宙についての説明をしているようだったが、聞いているギャラリーのほうは、わかったような、わかっていなような、曖昧な表情でうなずいたり、首を傾げたりしている。男も理解させようとは思っていないらしく、わざとらしい。その様子を見て、なんだか僕は馬鹿らしくなったので、ディスプレイの電源を消し、ソファに深く背を預けた。


「さて、どうしようかな……」


 2時間ほど前、栢野さんから依頼を受けた後、僕はその後の講義をさぼり、そのままの足で家へと帰ってきた。講義をさぼることに関しては、まあ、僕に割とさぼり癖があることはこの2か月でクラスのみんなわかっているであろうし、確か次の講義は巳角みすみ先生だったはずなので、あの温厚で声が小さくておどおどしている、栢野さんよりも小動物的な、怒るに怒れない、優しさの塊みたいな人なら、きっと許してくれるだろう。多分。メイビー。

 ……なんで教師なんかやってんだろう?


「それにしても、ドッペルゲンガー、ねえ……」


 この2時間、僕が何をしていたかというと、まさにそれについてのあれやこれやを調べていたところなのである。Xlinx以外にも、ゴシップ系の小規模SNSや、Twitter、インスタグラム、YouTubeやいろいろなサイトやブログを片っ端から検索してはみたが、出てくるのはだいたいドッペルゲンガーを題材にしたサブカル作品の話だったり、大正時代の文豪の話だったり、ドッペルゲンガーの起源だったりで、あの少女のことが描かれているのはXlinxだけだった。

 まあ、Xlinx自体がかなり閉鎖的なSNSということもあって、利用者もそんなにいなかったはずなので、そこまで広まってないのかな。ということにする。今のところ。

 

「あー、頭痛い」


 こんなにSNSに向き合ったのは久しぶりで、やっぱり情報の洪水に脳髄がシェイクされてしまった。結局、さらなる具体的な情報を得ない限りは、今後の方針も決まらない。

 頭痛と戦いながら、2時間前のことを思い出す。


——――――


『捕まえてくれないかな、ドッペルゲンガー』


 そんな神津恭介もびっくりの依頼は僕としては、探偵よりもエクソシストか、教会か、お払いにでも行った方がいいんじゃないかとも思わないでもなかったのだが、依頼として僕に向けられたのなら、それは受け止めることを信条にしている身としては、断るつもりはなかった。


『いいよ』

『――だよね、こんな変なお願いそうそう信じられないよね……、っていいの?!?』


 おお、コメディでよく見る反応。実際に間近でやられるとなんかじわじわ来るな。ダメもとで依頼しに来たら思いのほかあっさりと受け入れられてしまってびっくりするやつ。

 

『うん、いいよ』

『でもまだ具体的なことは何にも話してないよ!?!』

『いいの、探偵としての僕に向けられた依頼は、どんなものであれ断らないようにしてるから』

『うわ! 寛大だねぇ!』


 ありがとう! と栢野さんは僕の手を握りながらぶんぶん振り回す。

 おおう。柔らかい肌の感触が僕の手を包んでこれはなかなか……。とそんなことを思う僕にひんやりとした視線が突き刺さる。

 おおう。めっちゃ汀くんが笑顔になっとる。なってはいるんだけど眼だけが笑ってない。薄めに閉じられた眼孔から漏れているのは、きっと視線だけじゃない。それを受けて、僕はどういたしまして、と手をぱっと放して、佇まいを直す。

 この二人は学園内でも有名なニコイチなので、きっとそういう関係なんだろうなぁと思うけれど、実際のところを聞いたことはない。ただ、いまの感じだと汀くんは栢野さんに対して好感情を持っているんじゃないかと予想できる。

 いくら僕がもどきとはいえ、探偵なのでそこら辺んはわかる。

 探偵でなくともわかるという突っ込みは無し。

 うん、こわい。イケメンが笑うと怖いんだなあ。覚えておこう。そう思った。


『とりあえず、今後の方針を決めておきたいから、詳しい話、聞かせてくれる?』

『わかった。といっても、私もよくはわかっていないんだけど……』

『? どういうこと?』

 

 てっきり、栢野かやのさんが、記事にあったドッペルゲンガーに行き会った少女のことなのかと思ったが、違うのか?

 

『うん、正確に言えば、話をまた聞きしただけなんだよねぇ。私の友達に、茶野さのちゃんっていう子がいるんだけど、その子が』

『その子が、ドッペルゲンガーに?』

『ううん』


 2度目の肩透かしを食らって、僕は少し勢いをそがれたような気持になる。どうやら栢野さんは、かいつまんで話すということが苦手なようだった。


『そのこの友達がね。あ、この子は私も交流がないんだけど。で、その子がね、そのくだんのインタビューを受けたっていう子なんだよ』

『うん』

『その、茶野ちゃんがその子から聞いた話を、私が聞いたんだよね』


 その後聞いていると、股聴いた話の内容というのは、そのほとんどはインタビューで語られていた内容と同じで、特に代わり映えのない内容だった。それを聞きながら、僕は「茶野ちゃん」にに対して関心のような、呆れたような感情を抱いた。真偽がわからないような話を、ただ友人の話だからと信じられるその精神は少しうらやましいと思った。


『ええと、つまりは、ドッペルゲンガーにあった友達のことを心配したその【茶野ちゃん】って子が、栢野さんにその内容を話して、栢野さんは僕のことを知っていたから、僕にその相談をしようと思い当たって、僕を探してたっていうことでいいのかな』

『うん、そう!そういうこと!』


 なるほどね。いや、正直栢野さんの話が分かりづらかっただけだから、はしゃがれても困るんんだけれど、それは言わない。言わないほうがいいことの分別はついているつもり。まあ、ずいぶんと当回りしたけど、ようやく目的は把握した。こうなってしまうと、栢野さんには悪いが、彼女に聞いてるより、その「茶野さのちゃん」に聞いた方がてっとり早い。

 その旨を栢野さんに伝えると、『わかった!』と意気揚々にどこかへと連絡をかけ始める。きっと茶野ちゃんとやらにかけているのだろう。

 友人のためにそこまでするの栢野さんは、お人よしなのだった。

 

『悪いな。なごっち』


 汀くんは、栢野さんに聞こえないくらいの声で僕に耳打ちする。

 それに対し、確かに最初は驚きはしたが、探偵として依頼を受けた以上は、文句はない。それが僕の在り方だし、そう決めた教示だから、心配はいらない、と僕は言った。

 汀くんは小さく、『ありがとよ』とだけ返す。はにかむ彼は実に好青年で、お人好しな栢野さんに付き合う彼も、また相当なお人よしなのだろうと思った。

 その後連絡を終えた栢野さんから、『茶野ちゃん』との待ち合わせの場所と時間を聞いて、そこで別れたのだった。


——————


 そうして、僕は今、PM5:00をすこし回ったころ、自宅のリビングで排熱の治まらない頭脳を休ませている。

 『茶野ちゃん』に会うにしたがって、事前に収集できるだけの情報を集めたかったのだが、ほとんど徒労に終わってしまった。『茶野ちゃん』の『お友達』のことも、あの記事以上のことは何もわからなかったので、僕は少し考えることにした。

 すなわち、ドッペルゲンガーとは何か。

 題材としてはとても古く、神話や伝説の中にも良く出てくる、、生き写し、分身。魂の分離。都市伝説や、超常事象、オカルトの類かと思えば、医学的な知見から自己の幻像を見たのではないかといった意見まで、様々な憶測がある。

 その特徴としては様々で、曰く。

 本人にかかわりのある所に出現する。

 本人以外には見えない。

 鏡写しのように移動する。

 そして、———行き会うと死ぬ。

 自分自身の分身にあうと何故死ぬ羽目になるのか僕にはよくわからない。分身が自分を殺すだの、分離した魂が消失するからだの、いろいろ言われているようだが、結局どれもしっくりこなかった。

 オカルト話には疎いんだよなあ。安請け合いしなきゃよかったかな。

 そういえば、栢野さんがなんか引っかかるようなこと言って気がする。

 気がするだけだが。

 早速後悔しながら、あーでもないこーでもないと考えているところに、インターホンが鳴る音がする。リズミカルに、1回、2回、3回。この鳴らし方は、あの人しかいない。僕は急いで玄関へと向かい、カメラでちょっと確認する。

 いら立ちを隠そうとしない佇まいに、僕は確信し、この後起こるであろう喧騒に嫌気がさしながらも、ドアノブをひねり、扉を開けた。


 



 

 

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