◆8

「何だ。納得いかない、と言いたげな顔だな」

「お察しの通りだよ」



 煙に巻くように核心に触れさせない物言いの彼女。相対していることが急に酷く馬鹿馬鹿しく思えてくる。こんなに意味不明で突飛な話を、自分はどうして読み解こうと努めていたのだろうか。

 ひとりでに吐き出される溜息が、水蒸気さながらに曇って視界を悪くしている。

……そんな気がする。



「少年は気が短いな。もっと寛容に成った方がいい」

「あの、ねえ」


「死人に口無し、なのだから」

「え?」


 呆れて放していた視線を彼女に戻すと、やけに凛とした眼でこちらを見ている。

 死人に口無し? ……それはそうなのだろうけど、何故今そんなことを?




「死人は何処へ還ると思う。きっと今の君には解ら無いだろうな」

「……」


 雨の音、

 鼓膜に響く、

 裂くように降り止まない、細かい雨の音。



 耳にはずっと届いていたのに、今の今まで、音は消えていたように思う。周波数の違う彼女の声が、雨の音さえ奪って、何か大切な秘密を告白しようとしているように見えた。


 声に引き込まれ、景色から二人だけ切り取られてしまった気になる――――……









「――死人はな、心と身体がバラバラになるのだよ。火葬にしようが、土葬にしようが、水葬にしようがね。身体を葬ったところで、心を消すことは出来ない。

心が何処へ還って逝くのか知りたいだろうね。でもそれは死んでからのお楽しみだよ、少年」


 彼女は薄く笑って、赤い番傘をゆっくりと差し直すと、一歩前に出た。


 スローモーションに見える、目の前の景色。

 着物の袖からのぞく白い腕が、こちらに伸ばされる。それはどこか神聖な、儚い景色だった。綺麗な矢絣模様の入った着物の袖。雨に滲んでいく――。



「少年は、、生きているのだろ?」



 差していた

 ビニール傘の 半透明な世界が

 半円を描いて崩れ落ちた



 掴まれた手首に、ひんやりとした感触。

 どこか諭すように呟いたその言葉は、今まで聞いたどんな言葉よりも――耳の奥に残響した。



“少年は、今、生きているのだろう”



 考えたことも無かった。

 存在しているということは、それだけで “生きる”ことに直結していると思っていたから。


 じゃあ何故、彼女の手はこんなに冷たい?




「死んだように生きていてはいけないよ、少年。“生”を持て余すこと、それは罪だ。

人間は生きることに理由を欲しがる生き物だがね。そんな物はいくら考えた所で何処にも無いのだよ。その場所に立ち尽くしている限りはな」



 白い指先に少しだけ力がこもってくる。

 細かい雨すら気にならず、細い腕を振り払う気さえ起きない。視界の端に、いつの間にか落としてしまっていた本が雨に濡らされていくのが映った。

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