第13話 斜陽

 ――ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 心地の良い音と刺激に揺すられて、ふと重いまぶたを開いた。


 視界に入ったのは車窓越しでありながら眩しいほどに美しい夕焼け。

 人の少ない電車の中で、私は長椅子に腰掛けていた。

 樹齢何十年の木々が視界に入り、そのたびに夕日を遮って消えていく。

 そうしている内にようやく視界が定まってきて――ちょうど前の席に、一人の少年の姿が見えた。

 彼は私と同じようにぼうっとした表情で、曖昧になっている頭で、なんとなく知り合いを見るような感覚で私を見ていた。


「あ、アキ、さん?」

「――阿久根?」


 少年は目を見開いて、揺れる車内で立ち上がって私に近づく。

 幸い、車内の人は少なく、席も過分に空いていた。

 彼は私の隣……の隣に腰掛けると、不自然な間を埋める声量で声をかけてきた。


「ぼ、僕たちは……戻れたの?元の世界に」


 彼の言葉を受けて、改めてバッグからスマホを取り出す。

 ――よし、弱くはあるが電波も届く。

 あのバスの中では画面すら動かなかった。あの時より遥かに状況が好転していた。

 時間もわかる。現在が16時30分。あれから3時間――ちょうど、体感で異世界に居た時間が当てはまる。

 SMSには返信で「よろしくお願いします」と定型文が帰ってきていた。

 そのままの勢いでGPS付きのマップを確認する。場所は空港へと向かう電車の中。

 当初の予定時間より大幅に遅れてはいるけれど、確かに帰り道の途中で乗る予定だった電車だった。


「うん、間違いなく帰ってきた。あれから3時間経ってるけど……きっと、現実世界での帳尻の合う場所と時間に戻してもらえたんだと思う」

「よかったぁ……」


 彼は安堵による小さな悲鳴を上げて、天井を仰いだ。

 私はSMSに「状況終了。レポートは後で提出します」と打って送信する。

 凄まじい速さで相手方に既読が付く。返信内容こそ「概略だけは本日中で」という急かし文句だったが、おかげでインターネットを通じて世界と繋がっている実感を持てた。


「アキ、さんは何を願ったの?」


 阿久根の何気ない問いに、少しばかり悩んで――本当の話をすることにした。


「私は……彼氏がいたの。でも何年か前に突然意識不明の昏睡状態になっちゃって。

 彼が囚われている夢の中から連れ出して、目覚めさせてほしいって願ったよ」

「そうだったんだ……」


 意外にも、阿久根は真剣にその話を聞いていた。

 てっきり彼氏が居た事実に落胆するとか、いきなり自分の話に持っていくものかと思った。

 そうして意外さに面食らっていると、彼は口を開く。


「彼氏さん、目覚めてるのかな」

「ううん、私、失敗したんだ。

 叶えようとしている夢の中で、動きすぎて覚醒してしまった。

 会うことすら出来なかった。私は――また、一人だけ」

「きっと、目覚めるよ。一度あそこまで行けたんだもん、別の手段にもきっと巡り会える」

「……ありがとう、気休めでも、今は受け取っておく」


 目元がうるむ。頑張ったのに、本当によく頑張ったのに、報われない。

 そんな悲しみが耐えられるほど、わたしは強くない。

 彼だけを置き去りにして、自分の人生を新しく送ろうと思えないように。


「僕は、駄目だ。

 最初は何でも願いが叶うなら、何でも良いから良い夢を叶えたかった。

 でも僕は夢なんて持ってなくて、ありきたりな願いだけ持ってた。

 君みたいに大切な願いがないから、こんな駄目なヤツだって、なってるんだと思う」


 たどたどしく言う彼からは、後悔の念より自責の念を感じた。

 感じたからこそ――私は思う。


「そう思っているなら多分、大丈夫だよ」

「え――?」

「だって今、阿久根は夢を持とうとしてるんでしょ?

 持ってる願いが全部借り物で、言ってしまえばチープなものだって気づけた。

 なら、後は見つけるだけ。目的を持っている人間は強いよ」


 否、正確には強くなければならない。

 でなければ目的――夢を叶えることは出来ないから。

 強くあらなければいけないのだ。


「そっか……一つ、聞いても良い?」

「うん」

「僕、今、普通に話せてる?」

「そう思うよ」


 私の回答を聞くと、彼は少し嬉しそうに笑った。

 ――なるほど、彼は今まで卑屈で偏屈だった。

 それは、自分の無さ、自信の無さに起因していたんだろう。

 自分を見つめ直し、夢という大きなものに立ち向かった今、彼は大きく成長したんだ。

 偏屈にも卑屈にもならなくていい、と思えるように。

 言葉には自信はないながらも、自身を否定するような下卑た感じはもう消えていた。


「ありがとう……これからはちゃんと日常に戻って、ちゃんと夢を見つけるよ」

「そうした方が良いよ。じゃないとあの男の人やおばあちゃんみたいになっちゃうから」

「あ――そういえば、あの美人なお姉さんはどこに行ったんだろう?

 死んでなかったよね」

「ん……そうだね。彼女は三番目に呼ばれて、でも無事に帰ってきた……あ、そういうことか」


 一人、合点がいく。

 ヒュプノスは私の夢の世界で『願いは既に叶っている』と言っていた。

 だから私は見逃してもらえた。

 あの場で生きていて、この場に居ないのは、彼女がヒュプノスに選ばれているから。

 だとしたら――ご愁傷さまだ。


「あの人、異形の男に夢の先に連れて行かれたんだと思う」

「そっか……夢の先か、一体どんな場所なんだろう」

「さあ……でも、きっとろくな場所じゃないよ」


 だって――彼、ヒュプノスは、あのウムル・アト=タウィルと笑って話せるような存在なのだから――


 電車は揺られていく。もう20分もすれば空港につくだろう。

 私は隣と言うには離れた席にいる阿久根を呼び寄せ、何かの記念だからとLINEを交換した。

 車窓に映る、やや都会化していく景色を眺めながら、私達は語る。

 怖かったこと、今までの日常のこと、これからの夢のこと――

 そうしてあの異界を記憶に深く刻みながら、物語として現実味を風化させて、恐怖をごまかして――

 ――最後には、何でもない雑談なんてしながら、二人で電車を降りた。

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