第12話 願望

 消える、消える、消える。

 人が、見るも無惨に消えていく。


 ここまでリーダーぶっていたサラリーマンの男は、大量の紙束に押しつぶされて圧死した。

 その男に支えられていた老婆は、時間を遡って赤ちゃんより小さくなって消えた。

 残されたのは、あんなに暗かった顔が晴れやかになった美女と、

 呆然としているけれど収穫はあった、と言いたげな顔をした少女だけ。

 きっと、前者の二人は願い方に失敗して死んだんだ。

 そして後者の二人はを払った代わりに願いが叶ったんだ。

 願い。僕の、願い――

 手元にある紙を見る。


 ――彼女が欲しかった。

 生まれつき見た目も頭も悪い僕は、女性とまともに話せない。

 それでもお友達になりたかったし、お近づきになりたかった。

 ――でも、お金も欲しかった。

 だって、お金があれば友情も愛も買えるから。

 生まれつき貧乏な家の生まれの僕にはちょうどいい願いだ。

 ――でも、イケメンになりたかった。

 格好良くなって、格好いい服を着たり、格好いい行動をして黄色い声を浴びたかった。

 羨むだけだ。僕の体では骨格ごと変えないとそんな未来は無いだろう。

 願いばっかりだ。願いばっかり。

 だから実は――紙には、

 願いはある。けど、一つじゃない。

 渇望するほどの一がない。

 つまり、要望や願望があっても、夢がなかった。

 僕は、なんでも良いから幸せに生きたかった。

 けれど、具体的な展望は何一つ思いつかなかった。

 だから、ここに来たのもネットで噂を見て、なんだか面白そうだったから。

 願いが叶うんだったら何でも叶えられるんだったら……きっと叶える前くらいには一つに絞れるだろうと、思い込んでいた。

 紙に書かれた願いは――「強く望む事がほしい」

 だが、そんな曖昧な願いはもはや願いですらなかった。


「違う、これじゃない、金、女、違う、学業、結構、違う、美貌、快楽、違う、違う違う違う………!」


 いつしか紙は、シャーペンの跡と消しゴムの圧力と手汗でぐちゃぐちゃになっていた。

 こんなに何も定まらないなんて予定外だ。

 願いが、本当に叶うなんて予想外だ。


「ちょ、ちょっと待って……!ね、願いが叶うなら叶えたい。叶えたい願いがたくさんあるんだ!!」

『今更ですか? ここまで来て願いを書き直しているパターンは初めてです。興味深いですね。良いですよ、待ちましょう』

「あ、ありがとう、ありがとう!でも、でも……もう、紙が」


 いつしか手元の紙はその酷使に耐えきれず、破れてしまっていた。

 男は顔のない頭からため息らしい音を鳴らして、首を振った。


『願いがなければ叶えようがありません。わかりました、口頭で聞きましょう。

 さあ、あなたの願いを。あなたは何を願い、何をし、何を叶え、何を求めますか』

「は、はい! ぼ、僕は……」


 頭が真っ白になる。

 今まで描いてきた理想は全部誰かの願いで――自分にとってまがい物だ。

 でも、どれか一つでも叶ったらそれは――人生が変わってしまうほどすごいことだ。

 しかし――頭にちらつく。圧死した人間、消滅した人間。

 自分の選択でああなってしまうんだったら、それはもはや――願わない方がマシだ。

 僕は何のためにここまで来たんだろう。

 僕は結局何がしたかったんだろう。

 とりとめもない考えが一つの願いを生むはずもなく――ただただ、頭の中にある自然な言葉だけが口をついて出てきた。


「――帰りたい、です」

『――――?』


 異形は唖然としていた。

 完全に停止した3秒間――その後、首を傾げた。


『どういう意味でしょう、どこに帰りたいと?』

「も、元の世界に、自分の家に……

 もう、良いです。十分です。すみませんでした。僕にはもう願いとか良いので、どうか――どうか殺さないで」

『は――ははははは!!』


 亜光速で進む電車の車体が笑い声を反響して軋む。

 異形は顔面が少しばかり赤く発光したようにすら見えるほどの感情の発露を見せた。

 そして――両腕を広げて叫ぶように語る。


『夢が叶うと、その瞬間まで来て逃げ帰ると!

 間違いない、逸材ですよあなたは。

 根幹から取り違えている異常者とも違う。

 根幹から通じあえない狂人とも違う。

 あなたは、真の人間であり、私の罠に気づかずに罠を切り抜けた唯一の人間です。

 愚かだ。愚かの一言に尽きる。それ故に――あなたがこの場で最も聡い』


 そう言うと、突然脳が軋んだ。

 視界がどんどんと狭くなっていき、黒に覆われていく。


『いいでしょう。あなたを元の世界に返します。

 ちょうど命題を帯びた人も居ますし、まとめて同じ場所に送りましょう。

 そして――私は私の世界に帰ります。彼女を連れて。

 さようなら、愚かなる人間達。もう会うことはないでしょう。

 ああ――こう締めましょうか。

 ご乗車、ありがとうございました』


 瞬間――視界は完全な黒になり、意識は否応なくシャットダウンされた。

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