第11話 再会

 ――私は、無数の星が輝く夜の住宅街に一人、立ち尽くしていた。

 あたりは脳が狂ったのかと思うほどに静かだ。

 車の音も、街の喧騒も、街灯や自動販売機の音でさえ、一切合切が消え去った無音の世界。

 私はその空間に一人、立ち尽くしている。

 ここは地元の見慣れた駐輪場。私がまだ中学2年生だった頃、バレないように自転車通学をしていた頃のボロボロな自転車が停まっている。

 そして、その籠の中に手を入れる。

 ――あった。混沌の箱。

 中からは想像通り、粘性を持った生物が蠢いている、音がする。


「……ここだ、この場所、この時間、この箱。間違いない……」


 先に後ろを振り返り、道路の一点を凝視する。

 ――カツン。音がする。道路に今手元にある箱と同じ形状のものが落ち、砕ける音だ。

 砕けた箱からは、紫色のタコのような、しかし人間のような目が所狭しと付いている化け物が這い出してくる。

 かつて私がそれを視た時、もう二度と視たくないと思った。

 脳が認識を拒んだ。あんな生物が存在していたら、今までの世界の完全性が崩れてしまうような気がする。それくらい常軌を逸している化け物だった。

 だけど今はそんな事はどうでもいい。世界の完全性なんて、そんなものは無い。無いからこの世界は切り離されているし、無いからこうやってまたこの世界にたどり着くことが出来た。

 私はそれを――素手で掴んだ。

 心臓が痛い。手に持った化け物の感触の気持ち悪さ、その生物が腕を這う恐怖。そういったものが押し寄せてきて、今すぐにでも左腕を切り離したくなる。

 しかし、それを不屈の理性で耐える。

 このために何年待ったのか。

 過ちというべき一点――この閉じた世界から脱出するために必要な2つ目の鍵。

 これを取りこぼしたという事実を、今やり直す。

 私は不屈の覚悟を以て自制し、その足で終着点である公園へと走っていった。


 ――そして、運命の時、公園に戻る。

 街灯から飛び降りて、目深にフードを被った人間ではない何かはこちらを見る。


「おや、その手にいるのは……」

「お望みの化け物の子供2体。持ってきたからさっさと鍵を2つ出しなさい」

「――君、何故鍵の存在を知っている――?」


 フード姿の男の声色が変わる。

 ――記憶では、この後ハルがやって来て、同じ箱を持ってくる。

 その箱は空で、悪辣なこの男は私の分だけの鍵――1本分の脱出券だけ寄越して、切り離された平成の世界から令和に続くゲートを開いた。

 あの時は箱の化け物と同じ個体の数だけ鍵を渡すと言っていたのだ。間違いない。

 私はお守りに、この時間のやり直しだけをただ書いた。

 死んでも死にきれない。悔やんでも悔やみ切れない、過ちとも呼べない一つの取りこぼし。

 これのお陰で、私とハルが何年も会えないまま、引き裂かれたままなんだ。


「――ああ、そういうこと。

 夢の国の王、ヒュプノスがこんな辺境の世界に何の用?」


 フード姿の男は私のすこし後ろに声を投げる。


「大したことではありませんよ。ウムル・アト=タウィル」

 ただ、私の客人の夢を叶えに来ているだけですから」


 公園に敷かれた砂利を踏み鳴らし、車掌姿の異形が私と肩を並べるように歩み来る。

 ――夢の国の王ヒュプノス。それが彼か。眼の前のフード姿の男はウムル・アト=タウィル。

 いずれも知らなかった。かつては知ることすら出来なかった。とてつもなく貴重な情報だ。


「彼女の願いはこの時間への回帰。そして愛する人と二人で元の世界へ帰ることです」

「へぇ。それが叶えば、君の世界に来てくれるってワケかい?」

「私は嫌、ハルと一緒に元の世界に帰るの。助けに来たの。もう、離れ離れは嫌」

「悲しいですね、振られてしまいました。まあ、もうひとり移住者は確保できたので、それほど手痛くもありませんが」

「はぁ、こんな茶番のためにこの空間に固定されるなんて、これでも結構高位な存在なんだけど?」

「まあ、私の顔を立てたということで、一つ」

「ははは。でも君顔無いじゃん!」

「あなたもですよ」

「「はははは」」


 何だ、何を笑い合って――

 ――途端、平成の世界の天が、虹色の光の欠片になって砕ける。

 世界がパラパラと音を立てて崩れていく。

 そんな――折角ここまで来たのに!


「嫌、嫌!早く現実に返して!ハルを返してよ!!」

「アキさん、ここは夢の世界です。気づけば夢は覚めるもの。あなたが成功するためには、ずっと夢に騙されているべきでした。現実への干渉はここまでです、賢すぎましたね」

「ここまで自分都合に世界をつなぎ直したのは褒めてあげよう。君は今、それなりに面白いヤツだ。さっきまではつまらないヤツだったけどね」

「もういい!お前たちの評価なんていらない!早くハルを……」


 崩れ行く世界。砕けた天が、次第に電車の天井へと変わっていく。

 ああ、夢が終わるんだ。これは――こんなに頑張ったのに夢、だったなんて――

 もう姿さえ視認できないが、ウムル・アト=タウィルの声で、私の耳に音声が届く。


「夢の終わりに良いことを教えてあげよう。

 ――実はこの世界から出られる鍵は1本しか無い。

 まさか二匹連れてこられるとは、物理的不可能を押しのけてくるとは思わなかったから。

 元々不可能だからと虚言を吐いたのはこちらの落ち度だ。

 もし次の機会があって、そこに僕が居たなら、新しい鍵を一本創造してあげよう。

 だってそんな奇跡が、そんな機会が二度もキミに訪れるなんて幸運は、とても面白いことだからね――」


 そう言うと、夢は崩れ去っていく。

 どんなにいい夢でも、気づけば覚醒するもの。

 私は、この先が視たい、と逸りすぎてしまった。

 一度覚めた夢の、全く同じ世界の続きを見るということだけは、

 絶対に叶わないというのが、この世界の摂理なのだ――


「残念でしたね、アキさん」

「……さっきの男……ウムル・アト=タウィルの言ってたことは本当?」

「おそらく本当です。彼は鍵の管理者ですから、創造も破却も容易でしょう。

 そして、彼はつまらない嘘はつかない。面白いことが大好きですから。

 あなたがもう一度、あの時間も空間も固定された世界にたどり着けたら、それはさぞ面白いことでしょうしね」

「…………!」

「そして、あなたの番は終わりです。あの日あの時間に行き、現実に帰る。確かに叶えましょう」


 ――でも、そこに彼はいない。

 私の願いの確信であるハルとの再会は、言外のものだからか、叶えてもらえないらしい。

 そういう部分だけは融通が利かない。

 私は一歩だけ前進した現状を噛み締めながら、ヒュプノスの背を見送った。

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