第10話 醜悪
……一体、私が何をしたと言うんだろう。
誰にも迷惑なんてかけていないのに、誰かを軽んじたり、失礼なこともしていないのに。
私はただ、当たり前のように生きているだけの一人の人間なのに――
どうして世界は、私に罰を与えようとするのだろう。
私は、どこにでもいる普通の大学生だ。
取り立てて学力が高いわけでもなく、取り立てて将来の展望があるわけでもない。
都内の私立の文系の、どこにでもあるような大学に通っている。
小中高大と毎回引っ越しをしているので、故郷や土地に対する思い入れも特に無い。
地方を転々とし、今は東京にいる。ただそれだけ。
過去を振り返ろうとすれば……思い出すのも憚られるような悪意と害意に満たされた日々。
昔から容姿端麗で、かといって覇気のある方ではなく、弱音ばかり吐く陰気な人間だった。
そんな態度を鼻にかけられてか、女性社会では孤立していた。
卑屈な人間だとバレると、彼女らは私を弱い人間だと理解して、いじめの対象にする。
罵詈雑言、暴力、日常行動の阻害、私物の窃盗……
私は抗うことすら出来ないまま、なされるが儘に攻撃された。
それを見かねた両親が県外に引っ越すよう手配してくれた。それが小学校の頃の話だ。
よく冗談交じりで言われる言葉だが、この日本という国は弱者に人権など存在しない。
国民が国民に対して人権意識を持たない。それを守る立場の人も、自分の益に成らないと断じれば請願を握りつぶすことまでする。
故に弱者は弱者のまま、自分の身を守っていくしか無いのだ。
中学時期は、授業の発言意外は一言も発さなかった。
陰気さがバレないように、弱者だという事を認識させないように。
しかしその努力も虚しく、やれ幽霊だとか病気だとか詰られ、結局雑巾や汚水をぶつけられたり、冗談めかして線路に蹴り落とされたりした。
両親はいじめを察知すると素早く学校に報告し、こちらが言わずともいじめの主要人物を突き止めてくれた。
しかし、学校側も委員会もそれを否定。加害者たちは知らぬ存ぜぬの一点張りで、証拠がないため警察も取り合ってくれなかった。
逆に、私は虚言癖とか妄想とか言われ、精神科に通うことになった。
両親はそんな子供を持つと対外的に噂になり、地方を出て関東のいわゆる東京のベッドタウンに引っ越した。私も無論ついて行った。
高校は楽だった。それまでと比べて年齢層が上がり、人格が成熟してきていじめを行わなくなってきたからだと思っている。
容姿に関しては化粧や服装の乱れで摘発される人が多く、自分は目立たなかった。
しかし、東京へ通学する際の電車は地獄だった。どんなに時間を変えても、途中下車しても、2日に1回は痴漢が湧く。
どういう原理で発生しているんだろうか。自分の体を知らない他人に触られるという恐怖を感じて逃げるようにホームに出て、駅員を捕まえても犯人がいないからどうにもならないと言われ取り合われない。
そして、私には犯人を捕まえる筋力も胆力もなかった。その場で逆上したこの未知の生物に殺されるかもしれない。そう思うと、声を殺して耐えるだけで精一杯だった。
私はそれに耐えて学校に行き、対して楽しくない学生生活を送り、また耐えて家に帰る生活を繰り返した。
実家は何度も転居を繰り返せしている内に財産も平凡以下に落ちぶれてしまった。
私は自分の定期代だったり、日用品や趣味のためにアルバイトをして稼がなければならなくなった。
しかし、言葉をまともに発さず17歳まで来た私にまともな仕事はなく、ひとまず黙っていても出来る中古DVD、古本を売る大手小売業に使ってもらうことになった。
結局、質の悪い客が多く、その一部がストーカー化し、住所まで特定され、私は警察に被害届を出しつつ、両親をベッドタウンに置いたまま単身で東京に逃げることになった。
そんな状況で大学をどうにか卒業できた所で、就職活動なんてままならない。
学生でなくなり、バイトも辞め、就活も出来ないまま一人になる。
あとはモノクロの日々だ。毎月お金を送ってくれる両親に電話で謝罪しつつ、人通りの少ない時間を狙ってハローワークに行く。
今日、この神社に来た理由だって、半分は願掛けだ。
就活がうまくいきますように。願わくば、私に害をなす全てが破滅するように。
元はと言えばこの無駄に整った容姿が原因なのだから、もっと醜くなるように。
『あなたの苦悩は最もです。人間とは個体差が激しい生き物。強弱は絶対に発生しますが、強者は弱者を守らない。
もし強者が弱者を守る時、それは強者にとって利益になる時だけです』
「……その理論だと、誰にも話すこと無く徳を積んでいる方々が嘘になってしまう」
『嘘ですよ。彼らは死後を見ている。死後は良い場所に行けるように、あるいは死後の世界もより良くなり、転生した後その世界に帰ってこれるように。
人は巡り巡って、自分に都合の良い状況を作り出すために、損をするのです』
「……結局、そうなんですね」
『人間といえど数ある生命体のうちの一つですから。特に苦楽がわかる以上最終的には楽に向かうことになります。その過程で利害があれば、当然利を優先する。
当事者同士では事は複雑に見えるものですが、私から見ればこの法則は絶対的に守られています』
知ったふうな口を利く神だ。私は怖くてその顔が見れないが、きっと胡散臭い笑みを浮かべているだろう。
今の話が本当なら、彼もまた利益に向かってこんな事をしているということだ。
私の願いを叶えることで得られる得は、アキという女の子が聞き出した通りのことだろう。
――願いを叶えた後、彼の世界についていくこと。
その願いを叶えれば、おそらく現実世界に帰ることは出来ない。
でも――私は、それでいい。
むしろそれが良い。当たり前だ。もう両親に迷惑をかけなくてすむ。
暴力やいじめや痴漢に震えなくて良い世界に行ける。
その世界でなあら、ようやく私は私として生きていける――!
「……神様、私の姿を人間以外のものに変えて下さい。
できれば、あなたの世界にありふれる形に」
『――!』
途端、神はこちらを見た。
空洞の顔は、確かに正面に私を捉えた。
それは――彼が何度も現世に現れては、絶対に叶わなかった願い。
それを自ら叶えてくれるような物言いをされて、初めて彼は――動揺した。
『何故。人間にとって異界とは決して益のある場所ではない。
もう戻れませんよ。それでも良いのですか?』
「……人の心は読めない、なんて嘘なんですよね。私の来歴を視たでしょう。
私にとってこの世は地獄。でも、私は何もしていないのだから、ただ普通に生きていたい。
それが現実で叶わないなら、せめてあなたの言う夢の国で幸せになりたい」
その言葉を聞いて、神は、笑った。
顔は見えない、見えないが、確かに笑ったのだ。脳がそう認識した、という感覚を持っている。
『ようやく、私の旅は終わる。最も理解できない人間のうち、最も人間らしい理由で、最も人間をよく知る人間嫌いの人間が手に入ったのだから。
もちろん大切にしますよ。一番いい見た目にするとあなたは怖がるでしょうから、きちんとありふれた見た目にして、誰にも傷つけられないよう、私の一番近くにいられるようにいたしましょう』
「……なら、安心です」
夢の国とやらでの身の安全も確保できた。私はゆっくり椅子に座りなおす。
もし眼の前の異形が本当に神なら、この先の世界では私は天使だ。
――嫌な胸騒ぎがする。何かを忘れている気がする――
天使なら、もう誰かに傷つけられることはない。
――よく思い出せ、何が足りない。取り漏れている情報は何だ――
容姿を変えてもらえるなら、もう他人に発情されたりもしない。
――此処から先は引き返せない。現実世界ではなく、本当に異世界へ旅立ってしまう――
それはきっと天国だ。容姿のレベルを下げる、なんて小さい願いより直接的で、大きな願いが今、叶おうとしている。
――脳が軋む。さっきから警告のように頭の中で嫌な予感が鳴り響いている――
私は脳の警告を無視して、異形の男に言葉を続けた。
「……どうせこの後は一本道でしょう、私の願いは一番最後で良いです。
それより先に、他の方の願いを叶えてあげて下さい」
『わかりました。既に目的は達成しましたが、一人より二人の方がいい。
さて、他の方々は私とともに夢の国へ来てくれるでしょうか』
異形の神は改めて車内を見渡す。合わせて私も見る。
この車両にはもう、私しか乗っていないように見える。
あるいはここは切り離されたさらなる異界で、この異形にしか見えないよう感覚や情報を遮断されているのだろうか。
つまり――他の人の情報を知るすべは、私にはない。
選択は終わった。私は残された時間を、ただ神とともに行く天国への昇華だと思って、幸せな空想の時間としてゆったり過ごした。
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