第4話 夢叶
「終点、夢叶駅です」
感情の籠もっていない無機質な声がバス内に響き、扉が開く。
バスはエンジンを切られ、唸ることをやめたようだ。
途端、訪れる静寂。外は真っ暗、鳥の声も、虫の声すらもない静寂に、吐息の音さえも吸い込まれていくようだった。
すっかり失念していた。運転席の方を見ると、人影はない。既に出ていったのか、あるいは最初から誰もいなかったのか……。
「やっほう!」
先程まで石像のようになっていた不気味な少年が私を押しのけてバスを降り、そのまま暗闇の中へ消えていった。
「ここにいても何にもならないみたいだし、俺たちも降りるか」
少年のあとに続くように、ゆっくりと男性が降りる。
男性はあたりを少し見回して、ヨロヨロとおばあちゃんが杖を突きながら下車しようとするのを手を出してサポートしてから、こちらにも降りるように促してくる。
「すごいですね、全く動じないなんて」
「なんていうか、日々の疲れで感情が死んじまってるんだ。ここが地獄で、これから三途の川を渡るって言っても納得する」
「お金が欲しいんですよね?」
「そりゃな! 逆に言うと俺にはもう、それしか無いよ」
悲しい顔で笑って手を差し出してくる男性の手を取り、難なくバスを降りる。
そうして、最後に美人さんが無言で降りてきて、バスは完全に無人になった。
私はおっかなびっくりではあるが、周囲の様子を観察する。
――周囲は暗い。あまりにも暗すぎる。バスで来た道も見えないし、道の脇から向こう側も、まるで地面が存在しないかのように漆黒の闇が覆っている。
唯一安心感を覚えさせてくれるのは、バスの正面に位置する場所に建てられた完全木造の小さな駅舎。
ここだけ街頭が1本立っていて、「夢叶駅」と彫り物に墨字で書かれた駅名を強く写している。
駅の中にもどうやら明かりがあるようだが、まるで光が窓に張り付いているように透明感がなく、どう目を凝らしても内側は見えなかった。
――異様だ。私が来た時に通った夢叶駅じゃない。
寂れていたけれどしっかりコンクリートで作られた建物だったし、この距離でも自動改札くらいは見えたはずだ。
絶対に違う。電線も無いどころか人もいない。明らかにここは異世界だ。
そしてきっと、私に見える範囲にしか世界は存在しない。そう思わせるほど何もない。
土と木、ほんの少しの時代錯誤な明かりと鋼鉄の車だけ。
目を瞑った瞬間、地面さえ消えてしまうような気がして――
「……大丈夫ですか?」
細やかな手に支えられる。私は今、気を失いかけていた……?
「……無理もないです。到底受け入れられませんよ、こんな場所」
「あなたは平気なの?」
「……はい。私にとってはむしろ、もとの世界のほうがずっと醜くて、気持ちの悪い世界でした」
ゆっくりと駅の方へ歩いていく男性とおばあちゃんを見送りながら、女性は「気を悪くしないでくださいね」と前置きをして、小声で語り聞かせてくれた。
「私、醜くなりたいんです。見た目こそ綺麗だとか言われますが、どこに行っても視線、視線。
見知らぬ人に体を触られることもしょっちゅうで、頼った人にも裏切られて、もう人間というものが信じられなくなってしまって」
「整形とかは……」
「家族にも精神科医にも相談しましたが、鼻で笑われました。現実的じゃないとか、美人であることを鼻にかけているとか、散々言われて。
それに、トラブルばかりですからまともな仕事も出来なくて、お金もないんです」
言葉を失う。たしかに中学、高校とかわいい子は沢山いた。普通の子でも、セクハラや痴漢の話は必ず1人1つは持っていた。
中には1年のうち何回も交番に駆け込んだ子もいた。その子でさえ震えたり泣いたりしていたんだ。女の私ですら直視出来ないオーラを放つ眼の前の女性はきっと悪魔的に、犯罪者達を引き付けてしまっていたのだろう。
「話してくれてありがとう……でも、話さなくてもいいのに何で私に?」
「このおかしな世界を見て、夢かもしれないけど、本当に願いが叶うかもしれないと思って。
そうしたら少し、気が緩んでしまいました。誰も信じないと決めていたはずなのに、やっぱり私、弱いなぁ」
私としては、自分の弱さより、まずはこの状況で気が緩んでしまうくらい壊れた心に気づいて欲しかったけど……。
「じゃあ、私達も行きましょうか」
「うん」
男性とおばあちゃんが駅の中の暗闇に消えていくのを見届けてから、私達もその暗闇へ歩み始めた。
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