第3話 暗転
少年は、静まり返ったバスの車内に反響した自身の声に驚いて、うつむいてしまった。
「どういうこと?」
私は臆面もなく隣の少年に声をかける。彼は顔を上げてこちらを見ると、顔を赤らめながら言った。
「夢叶神社から夢叶駅へ行く13時ちょうどのバス……」
「あなたもネットで見た人?」
「そ、そう。間違いない。やった、やった……!」
心底嬉しそうに少年は口元を歪ませる。その異様な興奮状態に陥った彼に、前に座っていた女性が話しかける。
「……それ、どういう意味ですか?」
「わひゃぁ?!」
少年が背もたれに衝突する勢いで仰け反る。見るとそこにはなんとも見目麗しい女性の顔があった。
もはやアイドルとかモデルとかそういうレベルの美しさだ。薄化粧のはずなのに透き通るような肌、作り込んでいない二重、黄金比じみたEライン。
そりゃあ陰気な少年は吹き飛ぶよ。立ち上がったらまたなんときれいなボディライン……を強調しないようにしているのか、オーバーサイズな上着を召しているがその上からでも解ってしまうくらいには胸が大きい。
横を見る。少年はもはやよだれでも垂れそうなくらい広角を釣り上げて、へへへへ、と笑った。
「気持ち悪……やっぱりなんでも無いです」
至極真っ当な言葉を口にして、女性は座り直して窓の外を眺め始める。
「おかしいんですよ、地面がアスファルトじゃない。踏み固められた土なんです。
来るときもこうして外を見ていましたが、もっと文明的でした」
「それだけじゃないぞ?ほら、電柱も電灯もない。家は全部木造家屋だ」
一際通る声で成人男性が言葉を発する。あの人は……私に席を譲ってくれた人だ。
男性はスーツを着ていて、髪の毛も整えてある。清潔感に気を使っているタイプのビジネスマンといった体裁だ。
「別の道に入ったということですか……?」
「いや、この現代に電線すら見えないのは異常だ。これは夢か、タイムスリップでもしているんじゃないか?」
大人同士の会話を聞きながら、私はようやく確信する。
夢が叶うと噂のルート、その始まりに立つことが出来たのだ。
途端に鼓動が早くなる。空いた右手にお守りを握りしめる。今にも発狂しそうだ。ひょっとしたら叶うかもしれない、私の夢、私の希望、あれから4年経っただろうか。ついにもう一度あの場所に――
「懐かしいねぇ。あたしが子供の頃は、このへんは全部こんな見た目だったよ」
向かって右斜め前に座っていた杖を持つおばあちゃんが、涙を流して言っていた。
「戦後間もない頃は人もいなくてねぇ、夜は暗かったし野犬もゴロゴロいたよ。
この年になってこの景色が見れるとはねぇ」
「ご存知なんですか?」
「ええ。嫁入りする前はこの近くに住んでおりましたから」
ニッコリと微笑むおばあちゃん。おそらくこの場でこの地域に土地勘があるのはこの人だけだ。
「ばあちゃん、この辺りではよくあることなのかい?」
「まさか。昔から願掛けは盛んだったけど、こんなおかしいことはありませんでしたよ」
「その……夢が叶うってテレビで見たんですけど」
「さぁ、叶う人は叶うんじゃないかしら」
大人二人で質問攻めにしているが、テレビ以上の情報が出てこない。
となると、やはりこの気持ちの悪い少年だけが、詳しいことを知っているはずだ。
私はヒートアップする大人たちを目で追うことを諦め、隣の少年に視線を戻す。
「君、名前は?」
「あ、阿久根善徒、そっちは?」
「私はアキって呼んで」
「アキちゃん、アキちゃんね、ふふふ……」
「さっきから何で笑っているの?気持ちが悪いんだけど」
「ふふ……ごめんなさい、ごめんね。嬉しくて。
きっと僕とアキちゃんだけだよ、本当の噂をしっかり掴んでここにいるの
このまま行けば、次は駅があって、電車に乗ったら帰れるんだ。その時には願いはもう叶って……ふふふ」
「やっぱりそうなんだ……何を願ったの?」
「……教えない」
途端、少年の口角が下がる。震えるように笑っていた声が消え、体は固まって石のように動かなくなった。
ただ、目だけはこちらを睨んでいる。怯えている、警戒している?
何にせよ温度差が激しすぎる。この場から離れたい一心で、私は大人たちの群へ歩み寄った。
「皆さんは、何を望んだんですか?」
私の問いかけに、口論じみてきた会話を中断して大人たちは答えてくれた。
「俺は金だよ。金を望んだ。とにかく開いた口が塞がらないくらいの巨額が欲しい!」
「あたしは何と言っても若さだねぇ。もう老いすぎて体が自由に動きませんから」
「私は……言えません」
三者三様の答えだ。そして投げかけられる「あなたは?」という視線に私が答えようとした時、勢いよくバスが停止した。
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