第5話 駅舎

 駅の中は、また私の知らない古めかしい作りになっていた。

 期待していた自動改札機はなく、ただ縄がかけられた心ばかりのゲートだけ。

 向かって左の壁面には木彫りに絵の具で着色してある巨大な路線図が、木製の額に入れられて固定されていた。

 その奥にあるガラス張りのカウンターはおそらく乗車券を買う場所なのだろう。

 時代が違うからか、売り手は機械ではなく人がやるようだ。

 しかし肝心の人はというと、ガラスの奥が一面緑色の布で覆われているため、存在を視認する事はできなかった。


 阿久根善徒、と名乗った少年は、何かを叫びながらひたすら改札を通ろうとしている。

 が、まるで改札の向こう側から強い風でも吹いているのか、踏み込んでも踏み込んでも体が前に進まない、という怪現象を体現していた。

 私達より先に駅舎に入った男性とおばあちゃんは、舎内の入口向かって右側の角にある木造のベンチに腰掛けていた。

 私は隣の女性と目を合わせ、ひとまずチケット売り場と思われる場所に声をかけてみることにした。


「すみません、誰かいますか?」


 女性が話しかける、返事は帰ってこない。


「乗車券を売って欲しいんですけど」


 すると、拡声器のように音割れした男の声らしき音が、突然頭の中に鳴り響いた。


『どちらへ行かれますか?』

「っ! ビックリした。この声は……バスの中で聞いたアナウンスと同じ……?

 この世界のシステムメッセージか何かなの?」


 声に出して聞いても、頭の中に返事の音声は帰ってこない。

 駅舎の中を見渡すと、それらしい人はやはりいない……その代わりに、全員が戸惑いながらこちらを見ていた。

 この声、もしかしてこの場にいる全員の脳内に直接送り込まれていた……?


「どちらって……目的地があるのか? おばあちゃん、なにか知ってる?」

「このあたりの駅ならいくつか知っとりますよ」


 おばあちゃんが5,6駅ほど駅名を羅列する。

 しかし、ゆっくり発音してみても、男性がいくつか選んで宣言してみても、大声で叫んでみても状況は変わらなかった。


「よ、予想外だ! ふざけるなよ! ここっこんなの書いてなかったじゃないかっ!!」

「こら少年、縄を蹴ろうとするんじゃない。どうせ触れられないだろーが」

「そ、そうだけど……」


 男性にたしなめられて、阿久根は肩を落としながら皆のところに歩いて戻ってきた。


「駅名じゃないのかな……」

「……可能性は、あります。自分の願いを言ってみるとか」

「そうか……よし、金!金をくれ!金カネカネ!!」

「……違うみたいですね」

「あ、あっこれか?」


 阿久根は何かに気づいたようだ。私は悩んでいた顔を上げると、既に彼はその場にはいなかった。

 彼は一目散に改札ゲートに向かい、その足で入れないはずの空間に突撃する。

 ――するとおかしなことに、彼の体は縄をすり抜けて、改札の向こうへ抜けた。

 障害や障壁じみたものに阻まれた様子はない。文字通り、なにか正解めいたものを掴んだのだろう。


「へへへ、お先!」


 心底嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言うと、改札の向こう側…これまた闇の空間が広がっている…に突撃して消えた。


「分かれば通れるタイプのギミックってことか?」

「あの坊や、答えを教えてくれなかったねぇ。

 ううん、あたしの目には人を蹴落としてでも願いがあるっていう子には見えないけどねぇ」

「……どうしてそう思うんですか?」

「長年、色々な人を見てきましたから。彼は本当は内気でひたむきな子だと思いますよ。

 ……欲に溺れた人ってのはね、最後の最後は人なんて振り返らないものですよ。

 お先、というのは、あとから来る私達を待っている証じゃありませんか。ねぇ」


 それはとても優しい考えだな、と私は感心した。

 確かに、眼の前に何でも叶う魔法のスイッチがあったら、私は脇目も振らず走ってスイッチを奪い、そして誰にも断りを入れずそれを押すだろう。

 その時わざわざ他の人を意識なんてしない。なぜならそんな状況下に置かれた私なら、

 願いが叶うスイッチと、その先に叶うであろう願いしか見ていないはずだからだ。

 ……自分の願いは叶えたい。でも、誰かを蹴落としていくほど薄情でもない。

 裏を返せば、それほど狂気じみた願い方をするほどの願いではないということ。

 あの一見すると乱暴で気持ちが悪く粗野な……悪いところしか思い浮かばないな。そう……異常そうに見える態度は、彼の心が浮ついているからそうなっているだけっていう事?


「そういえば私、阿久根の願い事、聞いてなかったな」

「……どうせ碌でもないことですよ。私を見るときの目は変質者のそれと全く同じでした。

 私をモノに出来るという確信を持った目、気持ち悪い」

「まあまあ。願い事なんてこの先で本人に直接聞こうぜ――それより、わかったよ、問の答えが」


 男性は、壁面の路線図の橋を指さした。


「一見して普通の路線図だが、文字が全く読めない。まるで異世界だな。

 でも一番左の点、あの点だけは黒じゃなく赤で塗られているだろ?

 あれはこの場所を示す印ってことだ。そうなると、赤い点の下に書いてある文字は"夢叶駅"になる。

 そしてそこから向かえるのは延長線上だけ、ちょうど一番右に黒い点があるだろ。

 しかもお誂え向きに、その点からは更に右に線が伸びていて、路線図の端まで閉じずに続いている。

 あの赤い点が始点だとしたら、その黒い点は終点だ。そしてその駅のところの名前、一文字目は見たことない文字だけど、夢叶駅の"夢"の字と全く形が同じだろ?」

「ほ、本当ですね、すごい……」

「……ム、あるいはユメで始まる地名、ということですか?」

「そうだ。そしてこの土地はこのおばあちゃんが生まれた頃くらい古いもののはずだ。

 ちょうど紙の地図を持ってる。この路線図のとおりに見ていくと、電車は通っていないけど昔あった土地の名前だけバッチリ書いてある。その名も"夢ノ崎"だ」

「あら夢ノ崎? 懐かしい名前だねぇ。

 私が子供の頃にはありましたけど、廃村になりまして。今ではだれも住んでおりませんよ。

 もちろん、電車が通ったことなんてありませんでした。まあ辺鄙な場所でしたから」

「ビンゴだな。俺たちは名前の通り、"夢の先"に行けるんだ。縁起も良いってもんだな」

「じゃあ謎の声さん、ユメノサキへの切符をください」


 私が声に出して言うと、頭の中またひび割れたやかましい声がもう一度響いた。


『お客様は既にチケットをお持ちです。ご乗車の際は袋から取り出してお持ち下さい』

「チケットは持っていて、袋に入っている。

 行く場所は夢の先。なら、答えはこれだね」


 私は胸元から改めてお守りを取り出し、縁起の良さそうな紐をほどいて中から一枚の紙切れを取り出す。

 これは、夢叶神社での祈祷の際に書かされた私の願いだ。四つ折りになってはいるが、文字は全く掠れていない、書いたときのままの紙に見える。


「……お守りは、袋を開けると願いが叶わなくなると聞きました」

「あら、信心深いのねぇ美人さんは。神様に見せるんだったら良いんじゃないかしら」


 各々に、お守りを持ち出して、その中から紙を取り出す。

 私は、自分の願いを書いた紙を大切に持ちながら改札に歩き出す。

 ……すると、改札はまるで映像を投射しただけのホログラムのように触れられず、体はあっさりゲートを通り抜けてしまった。


「正解みたいです」

「お手柄だな、俺。会社にいる時よりよっぽど冴えてるぜ」

「……これでようやく願いが叶うんですね」

「そうだと良いねぇ」


 そして全員が改札をくぐり抜けると、眼の前の闇が押し出されるように消え……ようやく電車らしきものが、私達の目前に姿を表した。

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