九話:始業前の時間

翌日の朝。通学路には去年以上の相堂学園の生徒が溢れかえっていた。正直言って気分が悪い。昔は人混みを気にすることは無かったが、いつからか人混みに酔うようになった。恐らく、人と関わる機会が減ったことで耐性がなくなったのだろう。若しくは友達がいない事による悲しみや嫉妬からそう思うだけなのかは定かではないが、恐らく後者ではないと信じたい。


「〜〜〜♪」


朝っぱらから上機嫌に鼻歌しながら歩く唯華。その姿に俺は溜息をつく。何故学校に行く事がこんなに楽しいと思えるのだろうか。単に勉強して飯食って勉強して帰るだけだというのに理解し難い。え?部活?友達?そんなもの知りません。


「あ、りんりん!おっはよ〜!!」


前を歩く唯華が、凛花さんらしき後ろ姿を捉え、名前を呼びながら走っていく。昔から思っていたことなんだが、後ろ姿だけでその人だと識別できるのってすごい能力だなとしみじみ思う。どこをどう見たらその人だって分かるんだろうか。俺には到底身につけることの出来ない能力だ。


「・・・?」


声が聞こえたらしい凛花さん(?)は足を止め、振り返り、走りよってきた唯華の姿を見ると何となく表情が柔らかくなった気がした。


「おはよう、ゆいゆい。それにお兄さんも」


「うん!おはよう!」


「・・・よう」


家族以外に挨拶するのが慣れないことと、そこにプラスでコミュ症特有の開口一発目は声が出ないという弊害に襲われる。然し、そんな俺のコミュ症発揮を指摘することも無く、凛花さんは俺に微笑んだ後、一緒に歩き始める。


「今日から本格的に高校生活スタートだねぇ」


「うん、そうだね。私、授業についていけるか心配だよ」


「大丈夫!分からないことは蓮兄に聞けば問題ないよ!」


「・・・は?」


怠さと睡魔に襲撃されている中、俺の耳に厄介で聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。確かに勉強は苦手と言うより得意ではあるが、人に教えたことは一度もない。そもそも教える人がいなかった。友達いないもん、俺。だから教わる機会はこれからも絶対にないと思っていた。てか、ずっと疑問なんだが、勉強会って必要行事ですか?勉強を口実に遊び呆けたり、互いに足引っ張ったり、イチャイチャしてるだけだろ。勉強を舐めないでもらいたいね、まったく。


「いいよね?蓮兄?」


「い、いいんですか?お兄さん?」


唯華のキラキラ期待MAXの眼差しはどうでもいいが、凛花さんの期待の眼差しに関しては断りにくい。実の妹や両親であれば適当にあしらうか、はっきり断れるが、赤の他人となれば別だ。俺だってそこまで非情な人間ではない。


「はぁ…。力になるかどうかは責任持てないけど、それでもいいなら教えるよ」


諦めてそう約束する。そもそもの話。俺みたいなコミュ症陰キャに拒否権なんてあるわけが無いのだ。要するに、その場の流れに身を任せるのが一番ってこと。


「ありがとうございます!」


少し不安げな感じだった凛花さんが表情を綻ばせた。そして、嬉しかったのだろう。俺の手を両手で握ってきた。咄嗟のことでビックリした俺は思わず舌を噛み切る勢いだった。ほんのりとした手の温もりに男とは違うスベスベな感触はこのままでいたいなと思う反面、めちゃくちゃドキドキして手汗べっとりじゃないかとハラハラする。妹と母さんとしか異性の耐性が無い俺には拷問に近い。


「えっと・・・」


ドキドキとハラハラで言葉が出てこない。早鐘を鳴らす鼓動の音だけが耳に響き、唯華達の声が掠れて聞こえない。このままでは本当にやばい。こういう時、どうしたら正解なのかを知らない俺は、勉学以外で久々に頭を悩ませる。


「・・・・」


ダメだ。何も思いつかない。思考回路がショートするんじゃないかというレベルで頭を回転させても答えが出てこない。仕方ないので、凛花さんが手を離してくれるのを待つことにする。俺はそう決めて頭を切り替えると、


「・・・あれ?」


既に手が離れていた。そして代わりに、凛花さんと唯華が不安な表情で俺を見つめている。


「蓮兄?大丈夫?」


「お兄さん? 大丈夫ですか?」


気づけば鼓動の音も騒がしく無く、2人の声が耳に届いた。その言葉に少し反応が遅れるも、軽く頷く。


「ふぅ。蓮兄が突然固まったからビックリしよぉ」


「本当ですよ。まったく心配かけすぎです」


「・・・すみませんでした」


凛花さんの人差し指を突きつけて子供を叱るような姿に圧されて反射的に謝ってしまう。


「分かればいいんです。分かれば」


「りんりん、ママみたいだね」


「それって私が老けてるってことかなぁ?ゆいゆい?」


「え?え!? 違うってば!」


ジリジリと笑顔で迫る凛花さんと後ずさる唯華。その光景は思わず笑ってしまう程に馬鹿らしい。


「・・・くふっ」


「あ!蓮兄!笑ってないで助けてよ〜!」


「頑張れ、唯華」


俺はそう言い残して、一足先に学校へと向かった。



------


教室に着くと、既にほとんどのクラスメイトがいた。各々友達と談笑したり、読書をしていたり、スマホをいじったりと様々だ。ちなみに俺はというと、席に着いて直ぐに眠りの体勢へと移行する。なんというか朝は眠気が凄くて困る。それに朝型か夜型かと言えば、後者だと言える。そんなことを言っているうちに、睡魔が押し寄せて瞼が重くなる。すぅっと意識が手放されていく瞬間、


「おはよう!蓮太郎!!今日もいい天気だな!」


大きな声に呼び戻される。俺は無視することが出来ず、声の主の方に顔を向ける。案の定、そこにいたのは神谷幹人と名乗ってきたクラスメイトだった。何故こいつは友達でもない只のクラスメイトに馴れ馴れしいのだろうか?陽キャ怖いんだけど。まぁ、恐らく悪いやつじゃないだろうし、単に挨拶してきただけなんだから返事くらいはしておくべきだろう。


「お、おはよう。幹人…君」


「おう!ところでさ、今日から本格的に学校始まんじゃん? 何やるんだろうな?」


…まだ話しけてくんのかよ。おいおい、やめてくれよ。俺のHPがどんどん削れていくよ。てか、俺に聞かれてもそんなもん知らねぇよ。学校の行事なんていちいち覚えてないし、そもそも覚えた所で楽しい思い出なんて無いのだから、覚えるだけ無駄だ。


「えーっと。なん…だろうね」


「やっぱ蓮太郎も分かんねえよなぁ。いきなり抜き打ちテストとかだったら終了だわ」


「あ…ははは。それは無いんじゃないかな」


面倒臭い。ただただ面倒臭い。いつになったら俺を解放してくれるんですか?所詮は只のクラスメイトなんだから他の奴らのとこに行ってください。お願いします。


「お?その感じ・・・蓮太郎ってもしかして勉強得意な方?」


「どちらかと言えば…そうかな」


これはもう無理だ。始業が始まるまで会話が止まらないやつだ。最悪すぎてゲロ吐きそう。


「マジ!? 俺、勉強苦手でさ、補習ばっか受けてんの。特に数学が全く分かんなくてよ。んで、悪いんだけど今後分かんねえ所あったら教えてくれね?頼む!」


パンっと両手を合わせ、頭を下げてくる。勉強なんて教えるわけが無い。別に俺よりも成績が上がるのが悔しいとかではなく、面倒いだけだ。友達でもないのになぜ教えないといけないのか。他のやつに頼って欲しいものだ。然し、残念な事に俺に即答で拒否できる程の度胸はない。だからといって、何も言わないのも駄目だろう。どうしたものかと頭を悩ませていると、


「あ、幹人じゃん。おは〜♪」


全然知らない女子生徒の声がした。


「ん? 夏葉なつはか。悪ぃ、蓮太郎。また後でな!」


「う、うん」


神谷幹人とかいう男子生徒は俺に一言断って、夏葉とかいう女子生徒の元に走り去っていく。それから数分後、


「ぷはぁ・・・・しんどい」


全身の力が抜けた。やはり赤の他人と話すのはメンタル的に疲れる。まぁ、これで安心して寝れる。今度こそ寝るぞ!と決意して顔を伏せた瞬間、始業開始のチャイムが非情にも鳴り響くのだった。


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