とはいえ、まだ先になりそうですね

「…であるからして、主ら四人にはそれぞれ何か役職に就いてもらい、要所要所で役に立ってもらう」



 などと言われても、こちらにはもとより拒否権はない。そもそも始まりからして了承を得てこの世界に召喚されたわけではないのだ。一人こちらの世界に来れたこと自体に好感を示している者こそいるとはいえ正直な話快く望んできたかと問われれば答えは否である。



――とは言え、それならば私のスキルが回復魔術と言うのは幸運でしたね。



 そう憩が考えたのはミレイユから安泰だと言われたことも一因ではあるが、もっと即物的な理由がある。


 それは単純に拘束時間が短いという利点、そして自身の研究の検体に事欠かないという点。


 前者はひどく簡単だ。仮にこのまま拷問吏を請け負ったとして時期にもよるだろうが拷問する対象など日に何人も何十人もいるわけがない。それは情報を得る他、見せしめのためにむごい殺し方を演じるにしてもだ。


 そして拷問。なるほど、あのエルフの姫君らしい人物にはお世話になった、どれだけの損傷が回復魔術によって治せるのか、どのように治っていくのか、失われた血液はどうなる、切り取って腕は生えるのか繋がるのか。なによりエルフと人との差異。この世界に飛ばされてから自身に何ができて何ができて何ができないのかの解明は急務で在った。何かを回復させるということはつまり何かが回復されるような状態になっているということだ。ごくごく当たり前の事、怪我の一つもないようなものであれば回復の一つも施しようがないのだから。


 しかし、前の世界のルールで縛られるのであれば人を傷つけると言うことは禁忌であると言っても差し支えなない。


 それはごくごく当たり前ではあり、そして忌むべきある矛盾。


 人は人を治そうとする行為にはどうしたって人を傷つけなければならないと言う因果。模索するためにしろ、練習をするためにしろ、極端な話ではあるが最初に誰かを診ると言うこと、それはそれを犠牲にしていると言わざるを得ない。



――私は、私が生きるためにこの世界の術を学びます。そして、私の世界のために私はすべてを利用しましょう。



 自分のできることを知るために、自身の世界のための研究に役に立つとそう憩は結論付けた。


 であるならば、あとはそう突き進むだけだ。



「それならば私はその拷問吏の仕事と共に診療所を立ち上げたいのですが」


「…よかろう。好きにすると良い」



 そもそもが医療と言うものがない世界だ。もっと難色を示すかと覚悟していたが予想に反して王の言葉は怖いくらいにこちらに都合が良い。


 ともすれば裏が無いかと勘繰りたくもなるが、異世界から飛ばされてきた憩にとってそもそも身寄る所がここしかない。下手に探って蛇を出すのも阿保らしい、ならばと憩は自身に都合のよく解釈をすることにした。



「あとでエルフの姫君をそちらに連れさせよう。それで決めるといい」



 そう締めくくられると憩は王の間を締め出された。




※※※




 薄暗い部屋。壁に沿うように置かれた本棚はその本懐を果たすべくぎっちりとその腹を満たし佇んでいる。


 窓から差し込む光は取り出した本を読むための長机を照らし、本棚まで届くことはない。部屋の奥に進むほどに光は弱くなるため奥の方には昼間であっても魔術を用いて発光しているランタンが灯されていた。とはいえそのランタンを用いても表紙から題名を確認するのがやっとなくらいでそのまま中身を検めようなどとは出来ず、明かりが十分だとは言い難い。


 この部屋について何より驚くべきなのは窓が一つ、扉が一つしかないのに空気が淀んでいないことだ。窓は扉からまっすぐの位置に配置されており両方を開け放したとしても部屋の奥までは空気が循環することはないだろう。しかしそれでも空気がきれいなのは魔術によって浄化しているからだとか。


 部屋に唯一の長机に転移者・北条菖蒲は腰掛け分厚い本を捲っていた。


 お付きの者には扉の近くで待機させている。正直なところ菖蒲としてはじっとこちらを見ていられるのも気が散るのでできれば扉の外に出ていて欲しかったのだが、「私は貴方の身の回りのお世話をするとともに貴方の監視も仰せつかっているので目を離すことはできませんわ」とはっきり断られた。扉の近くで待機するようにというのも渋られたがじっと後ろで立たれていては落ち着いて読書もできない。「そもそも私がここで本を読むのは魔術を覚えるためでそれはこの国に召喚された私がその義務を果たすのに必要なこと。それ自体がこの国を思っているという証明になるでしょう」などと心にも思っていない詭弁を用いて長い長い口論末、菖蒲はようやく勝利を勝ち取った。


 実際のところ菖蒲は義務だの義理なんて微塵も感じていない。



――勝手に呼びだされて国を救え?馬鹿々々しい。それじゃあこの国に恨みはあっても救う義理なんてないじゃない。そのうえ帰る当てもこれから生活をする当てもないなんてお願いではなくただの脅迫でしょう。



 そう、菖蒲がこの図書室にきて少なくとも魔術の勉強をしようとしているのは生きるためである。この国に無用だと判断されたら経過はどうあれ死に直結するだろうと菖蒲がそう考え着くのはここの生活水準の低さから鑑みるに難しいことではなかった。


 不意に扉が開くと同じ転移者と言う境遇である杉田憩とそのメイドが入ってきた。


 憩は物珍しそうに辺りを見回しながら菖蒲のそばまで歩み寄ると



「この部屋こんな造りにするくらいならそれこそ魔術で本が傷まないようにした方が快適だと思いませんか?」



 なるほど、確かにそうすれば窓をもっと多くして光がどれだけ本に直接降り注ごうとも日焼けせずに済むだろうし、いちいち明るい場所まで本を持ってきて読むこともなくなるだろう。


 とはいえ、そんなどうでもいいようなことをこの異世界に飛ばされたという非常時にそう能天気にのたまう憩に対して菖蒲は苛立ちを覚えた。



「えぇそうね。私としてもどうせなら元の世界の蛍光灯なりLED電球が恋しいわ。何か良い案はありませんか?」



 それは苛立ちを隠す気もない、明らかに憩を馬鹿にしている口ぶりであったが対する憩は気にも留めていないのか



「それは難しいですね。何らかの方法でここで作るなり向こうの世界から取り寄せるにしろこちらには電気がありませんからね無用の長物にしかならないでしょうね」


「ちっ」



 おちょくられている、菖蒲はそう思った。



「じゃなくて!帰る方法はないかって言ってるの!」


「さあ、少なくとも僕は知りませんね。大道寺君の言う通りこれが物語のように単純であるならばそれこそ初日に王様が言っていたとおりこの国を救えば帰れるのでは」



 それができればこんなことで悩んだりしていない。そう怒鳴りつけるのをぎりぎり喉元で飲み込んだ。こちらの世界に来て三日と経っていない今、自分が知りえていないことを同じ境遇である彼が知っているわけがないのだ。現状、勝手な想像や根拠のない憶測くらいでしか帰る方法なんて話せない。


 そして今彼が言った通り、正確にはあの大道寺が言った通り物語めいたこの現状を打破するにはそれが一番それらしい。魔王や魔物に脅かされた国を守るために異世界から勇者を呼び出して元凶を倒してもらおう、ではそれを果たして物語が終わりを迎えたら役目を終えた勇者はどうなる。この世界に取り残されたままなのか、用済みと元の世界に返却されるのか。


 どちらにせよ、当てがない。


 そもそも、菖蒲がここに来たのも元の世界に帰るための方法を探すためだ。



――魔物や魔王を倒せ? 現代人四人が来たからって何になるっていうのよ。これならまだこっちの現地人四人集めた方が屈強じゃない。



 無理。そう考えても菖蒲はそう結論つけざるおえなかった。だから必死に探している、命がけの戦闘なんてせずに元の世界に帰るための方法を。



「杉田さんは」


「あぁ下の名前で呼んでください。上の名前で呼ばれるのは慣れていないもので。」


「……憩さんは、私たちがその魔物だのひいては魔王だのを殺せると思っているんですか」



 殺す。


 倒すのではなく殺す。


 はっきりとそう言ってやった。少なくとも菖蒲はそう思った。


 ここはまるで物語の世界のような異世界だけど今ここにいる私たちにとっては紛れもなく現実だ。それじゃあ、この国を救うということは、戦争をしていて、その元凶を倒すということは。


 元の世界の少年少女向けに保護されたゲームや漫画じゃない。倒すなんて優しい言葉でごまかす必要なんてない。


 そう、殺す。ただただ殺す。元凶とされている魔王一人だけじゃない、より多くの魔物を殺さねばならない、あるいは人の形をしたなにかもあるかもしれない。



――仮にそれらを殺すために必要であり且つ絶対的な力が転移者と呼ばれた私たち四人にはあるかもしれない。でも、だからと言って何の躊躇もなく殺せるの?



 菖蒲の悩みは何も能力的に達成できるのかどうかだけではない。能力的には申し分なくとも実際に殺せるかどうかは話は違う。


 人は人を殺すことに強いストレスを感じるようにできている。何故と言われればそれは本能だとしか言いようがない。能力の有無ではない、能力を十全に発揮できるかどうかの問題だ。



「えぇ、殺しましょう」



 菖蒲は一瞬反応ができなかった。


 誰それを殺すと、先の軽口と同じ調子で口に出せるような者だとはとても思えなかったから。


 言うだけならば簡単だ。自己紹介の時、あの大道寺と趣味が似通っているだのと言っていた。人を殺すゲームどころか推理物の小説まで昔から今に至るまで人のエンタメに仮想であるとはいえ人の死という概念は深く関わっている。それ自体を娯楽にしている物やそれを起点としている物その使い方に差こそあれ結局のところ変わらない。人には慣れと言うものがある、それは時に本能すら誤魔化してしまうほどの愚と言っても過言ではない。しかしどうしたって身近に置いたものは慣れるしそして身近に置けば置くほどいつしか飽きる、軽いもののように感じるようになる。それこそ軽く口にするほどに。



「……そう。それなら私と同じね」


「おや、意外ですね。てっきり魔王を殺せないと考えているからこそここで帰れる手段を探している物かと。」


「いいえ。殺せないと考えているからこそここで帰るための手段を探しているのよ」



 なるほど、と憩は頷いた。


 つまるところ、菖蒲は先の十全に能力を発揮できるのかどうかではなく、十全に能力を発揮したところで魔物や魔王に勝てないのではということだ。


 それは憩としても考えるところではあった。この世界での研究を進めたいという思いはあるのですぐに帰りたちという思いはない。とはいえ、やはり故郷の世界でこそ自身の研究を完成させたいという願望は勿論ある。そうなると今のところのもとの世界に帰るための方法である魔王討伐についても前向きに進めていかねばならないのだが、いかんせんこの世界の住人は強い。それは単純に身体能力一つとっても魔術やスキルを用いた戦闘技術についてもだ。ミレイユは憩に言っていた「いくら強いスキルを持っていてもド素人に負けない」と。



――北条さんもここ数日で何か思う所があったんですかね。 そうでなくとも始まりからしてわりとぐだぐだでしたし。



 ミレイユの言に加えて、スキルをと鑑定させられてみればすぐに使える物は相手を害することのできないもの。守って回復するだけでは魔王は殺せない。かと言って片方は聖剣はないし、もう片方は合成しようにも魔術がそもそも使えない。この状態で「よし、万全の準備だ。さあ魔王を倒しに行こうか」なんて自信を持っている方がおかしいだろう。極端な話、「相手を思い浮かべるだけで殺せるスキル」なんてものが発言していればすぐにでも帰れただろう。



「ということは、あまり魔術をつかうというのは芳しくない状況で?」



 そう問いかけられた彼女は、肩を竦めフンと小さく鼻を鳴らすと憩の方に手を向けて



「貴方、タバコは?」


「残念ながら持ち合わせはないです」



 その返事に舌打ちで返事を返すと菖蒲は自身のポケットからタバコを取り出した。



「これもしばらく買い足すなんてできないわね」



 そう誰に聞かせるでもなくごちて、ボックスタイプの物から一本取り出し咥えた。


 そして右の人差し指をタバコの先に近づけると、指の先から火を出してタバコを点けた。


 最初の一口を美味しそうに吸い、紫煙を吐きながら彼女は言う。



「こんなマジックめいたことなら簡単に出来たわ。 まぁ魔術には違いないんでしょうけど」



 タバコの先から延々とたなびいている紫煙は天井まで伸びることはなく空中で不自然に消失する。この部屋の空気がきれいなのと関係があるのだろうか。



「…わざわざ見せたのだからなにか言いなさいよ」


「あぁすみません。 少し考え事を」


「ふん、まあいいわ。 それであなたの方はどうなの?」



 どうなの?そう問われることと言えばやはりスキルことだろう。それは使えたのかどうか。使えるとしてどの程度使えるのか。


 つまるところ、戦闘において致命傷を治せるのかどうか。



「試す機会に恵まれましてね。 切り傷等は勿論、腕等の切断も切断された部位が残っていればくっつけることは可能でしたよ」


「試す機会、ね」



 菖蒲は言葉を一度切ると、それまで手で弄んでいたタバコを口へと持っていき一際深く肺へと煙を向かわせた。



「…回復魔術って難儀だと思わない? だって練習するには傷ついた人あるいは動物が不可欠なんですもの。傷ついた人を治すための練習に傷ついた人を人を求むなんて本末転倒だわ。まるで正義のヒーローにあこがれる子供のよう」


「…倒されるべき悪がいなければ正義のヒーローにはなれない。そのために正義のヒーローは悪の敵を求める、と」


「その通り。でも正義のヒーローは一度悪を倒せば認められるけれども、回復魔術の方はあくまでも練習。回復魔術を扱う人が熟練するまではいくらでも必要よね。話が早いのは自分で怪我人を増やすことだけれども人道的とは言い難いでしょう? あなたはどうしたのかしらね」


「人道的……分かりました、僕がここに来てからどう行動していたのかを話しましょう」

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