新しき朝~でいつ旅立つん? 知らんがな~
「おはようございます、憩様。」
次の日、ベッドで横になっていた憩を起こしに来たのはミレイユではなく知らないメイドだった。
何故だろうとは思わない。憩もそこまで他人の心に無頓着ではない。
一日と半日、時間の長さだけで言えば長いとは言えないむしろ短いともいえるがそれでもあの内容の濃さだ。憩はミレイユの人となりを知ることができたし、その逆もまた然りだろう。
自由奔放で何ものにもとらわれないような人。実際はあの痩躯の男やおそらく父親など天敵も多くいそうだが、それでも悪いことをしても捕まらなければいいなんて本気で考えていそうな阿呆という印象だった。
――だからこそ、だからこそだ。その阿呆という印象と彼女の役職・立場が釣り合っていないのが目について仕方がない。果たしてあのように責任感のなさそうなともすればふらっといなくなってしまいそうな彼女に眉唾物とはいえ世界を救う転移者の監視などさせるだろうか?
否だ。彼女は事実強いのだろう。今までの身のこなしや昨日の戦闘、毒に対する耐性を見るに否定のしようがない。単純に暴力として彼女を評価するに無類のと言っても過言ではない思う。
しかし操り切れない暴力ほど使い勝手の悪いものもない。大規模の戦場真っただ中に連れ出すならまだしも護衛込とはいえ監視などという仕事はそもそも向いていないのだ。
――それなのに彼女は、ミレイユさんは僕の監視という役目を負っていた。つまり彼女の破天荒に見えた人となりは演技だった。
憩という人物を見定めるため、あるいはミレイユさん自身がどういう人物かを悟らせないため、理由はそれなりに考えられるが答えはない。
それでも、ミレイユさんが本来あんな破天荒な性格ではないと考えた方がいろいろと納得できる部位が増える。
城の食糧庫を無断で空にする奴がどこにいる?
本来監視するに当たって監禁ないし軟禁すべき対象を窓から外に連れ出す監視者がどこにいる?
わざわざ財布を持っていないのに店に入る馬鹿がどこにいる?
どうせ回復魔術で治るんだしという理由で殴り掛かってくる阿呆がどこにいる?
――その実、すべてがミレイユさんの思惑だったとしたら。私はミレイユさんのお眼鏡に適わなかったということですかね。
答えを、真実を知りたい、そう思った憩はつい目の前にいるメイドに問いかけた。
「…ミレイユさんから異動願いでも出ましたか?」
「いいえ? 彼女は城の食糧庫荒らし、憩様拉致、その他城下町を荒らしていたという苦情等もろもろの罰として謹慎処分の沙汰が下り今は自室に籠っていますが。」
「あぁ、そう…」
すでに目を覚ましていた憩でだったが何をする気も起きず寝転がっていた。することと言えばこの世界の情報収集という途方もつかないことからこれからの身の振り方という世知辛いことまで幅広くある。やることがないとは言っていられない。この異世界転移は望外なチャンスでもあるが生活を城におんぶにだっこ状態である以上、生活基盤が安定しているとはとても言い難く、とにかく自身のメリットを城に示し続けなければ何時切られるかわからないなんて笑い話もならない。兎にも角にも自身の目的である研究とこの城への貢献を両立できるであろう自身のスキルである回復魔術に対する理解を深めようとこの城のなk…
「その憩様。ミレイユに何か用がおありでしたのならすぐにとりはか…「いやうん今ものすごく恥ずかしい気分だからしばらくミレイユさんの話はしないで、うん。」
この城のメイドはなかなか空気を読めない人が多い(確信)
メイドはやや困り顔でどこかテンパっているように見えたがそれでもこちらの言うことに忠実に従おうとしているのかそれ以上の追及はしてこない。
とはいえ、このまま憩が話を途中で無理矢理切った微妙な空気のまま見つめあっていても居心地が悪くなるだけでいいことなど何もない。憩は何か話題をと逡巡し、ミレイユより些か若…いやとても幼く見えるメイドに問いかけた。
「回復魔術について詳しく知りたいんだけど何か良い方法はありますか? 以前と言っても一昨日か、にミレイユさんから師事を乞うのも難しく回復魔術について書かれた本も少ないという話を聞きましたがどうにかできませんかね。」
憩のその言にそのロリメイドは首を傾げた。
そのままメイドは何を言うでもない。
憩としては首を傾げられても正直困るばかりだ。この城に調べられるものがあるのかないのか分かるだけでも助かるのだが、今回においては間が持たないから会話をひねり出したと言ってもいい。
つまるところ、会話が続かないと意味がない。
「…首を傾げられても困るんですけどね。」
「はう。ご、ごめんなさい」
どうにも幼い子特有のほんわかとした印象を与えるそのメイドはその小さい身体をさらに縮こませぷるぷると震える。
――いや、謝られても困るんですけどね。
どうしたものかなと憩は考え始め、ミレイユさんと違って過干渉してこないのであれば放置でいいかなと思い始めたころおずおずとロリメイドは何かを伝えようとしてか憩の袖を引っ張った。
「あの、ですね。回復魔術のと言いますか、だいたいの魔術について書かれたものはこの城の図書室にあります、よ。」
「…回復魔術の魔術書は希少でなんとかという教団がどうのこうのと聞いていたのですが?」
「それは間違っていません。…厳密にいうと魔術書や魔導書と呼ばれるようなものはこの城にはありません。」
ロリメイドの言に今度は憩が首を傾げる番となった。
それはどういう意味だと先を促し、
「この城に保管されているのは写本なんです。」
曰く、本来魔術書や魔導書等と言われているものは自身に記されている知識を正確に後世へと伝えていくため、思わぬ破損や焚書への自己防衛や自身を読まれやすくするための暗示、中には自身を正しい意味で理解・解釈・運用できる者に運搬させるために人を操ることまでできるものもあるという。
写本というのはあくまでそういう魔術書の類からその知識のみを写したものでそのもの自体には魔術的な作用は何もないものを指すという。
「もちろん貴族や王族であれば個人で持っている方もいるかもしれませんし、それに本物の魔術書も悪いことばかりではなく…」
「いやもういい。知識だの技術だのは全員が学べ使えるべきです。人を選ぶような欠陥品なんて興味ない。」
そうですか、と自身が起こられたわけでもないのにどこかしゅんとしたロリメイドはそれでもすぐに笑顔を戻して
「それでは朝食の後に図書館ですね。私張り切ってご案内しますよ。」
朝食はお部屋で取られますか、それとも食堂で?ときちんと業務を全うしようとするその姿が、どうにも子供が背伸びをしておしごとをしているようにしか思えない。
――これで世話兼「護衛や監視」までちゃんとできるんですかね。
憩は生活基盤を自身から投げ捨てる気などさらさらないため「監視」の必要はさほどないが、昨日のゴードンのように憩の回復魔術を欲しがるようなものに対しての「護衛」としての能力については憩としても自身を担当するというメイドには持っていて欲しかった。
もし仮に昨日の時点でのメイドがミレイユさんなどでなく普通のメイドであったとすればあんな乱雑な方法での脱出などできるわけもなく、シャロの言い分を呑んでの脱出でしか昨日の内には出れなかっただろう。
――いや、そもそもゴードン邸に捕まらない、か。そうなるとシャロさんにも会えず病の類に回復魔術が通用するのかどうかの研究も先送りになっていた、と。
そう考えるとミレイユさんの行動はなかなかどうして悪くない。部屋に籠っての試行錯誤やデータ取りこそ研究を着実に進めるために必要なものであるのは確かだが、こちらの思考の及ばない行動やミスなど偶発的に起こるイベントが劇的な発見につながることもある。昨日の一件については劇的な発見とは言えないが、条件や目標の設定や準備の過程をすっ飛ばして有用なデータ取りをできたようなもの。杓子定規に城の中を巡っているよりはよほど有意義であったと憩は考える。そもそもこの世界だと呼吸器が消化器がといっても伝わりはしないだろうから実際にやろうとした場合どれほど時間と労力を必要とするか分かったものじゃない。…もちろん、思ったよりも楽に行くこともあるのだろうけど。
「…あの、憩様?」
「ん? あぁすみません、えーとなんでしたっけね。あぁそうだ、この部屋にあまり人が入ってもらいたくありません。ですので朝食は外で」
「かしこまりました。」
元気よく了承の意を示すも幼女は案内に入るわけでもなく、かと言って憩が準備をするのを待つと言った風でもない。
ただただ指をもじもじさせ俯ているのに時折こちらの顔を伺ってはまた俯くという行動を繰り返す彼女。
そんなわかりやすい子供特有の話したいことがあるというアピールにしかして憩も気づかないわけはない。わけはないがだからと言ってこちらからどうしたのと聞くこともない。
そのままもじもじと次のアクションを起こさない様子を見ていても仕方がないと憩は朝食に出る用意を始めた。と言っても書き換えだったレポートを片付けるぐらいではあったが。
それで焦るのはメイド自身だ。言いたいことがある、言うチャンスでもありかつそのチャンスがそのまま過ぎ去ろうとしている。惜しむのは当たり前だ。
未だ決心のつかないままではあったがだんだんと話しにくくなっていく状況に耐えきれず思わず口を開いた。
「あ、あの…」
「何か?」
少しでも物音がたっていれば消え入りそうなものではあったがちゃんと憩の耳まで届いたようで。
憩はレポートをまとめる手を止め、メイドに顔を向けると
「言いたいことがあるならちゃんと伝えた方が良いよ。世の中、僕のような屑の方が多いですからね。」
「屑だなんて!」
思った以上に大きい声が出たことに自身でも驚いたのか慌てて口を押えるメイド。多少恥ずかしがる素振りは見せるともしかし口を閉じるつもりはないらしく
「憩様は回復術師なのでしょう? それもとても高位であられるとお聞きしました。そんな方が屑なわけがないじゃありませんか。」
先ほどまでとは打って変わりどこか生き生きとそして朗々と彼女は語り始めた。
「回復魔術とはすなわち他者を慈愛する心。優しきものでなければ回復魔術は使えないと私が敬愛するイシス様はいつもそう仰られてます。ですから憩様は良い人です。」
幼女はそのよくわからない理論で憩を良い人と思って…いや思い込んでいるようだ。そうでなければ憩本人の自虐的な軽口にここまで反応しないだろう。つまり回復魔術を高度に扱える憩が自身を自虐する発言はそのイシスの教えの否定となったため。
――と言うよりもそのイシス様という人物を盲信しているだけですねこれは。
このメイドにとってはそのイシス様の教えこそが重要で憩自体ことなどは眼中にない。それこそ回復魔術を高度に扱えるという一点以外なにも見てはいないのだろう。
とはいえ、憩は自身の研究の邪魔にならないのであれば別段自身の周りからの評価など気にはしない。
そう問題なのは外聞自体ではなく実害の有り無し。
そうなると問題なのはこの幼女からの憩への評価ではなく、そのイシスという人物自体。
憩はこのメイドの語り草が信仰めいていることが気がかりだった。
この幼女が個人的に盲信しているだけならばいい、しかしもしもイシスが宗教的な集団の偶像的存在であったならば…。
人は…いや獣であっても数の暴力と言うものは恐ろしい。一騎当千と言う言葉がある、なるほどたったの一騎で千の敵を一度に相手取れればましや勝てるというのならこれほど頼りになる者もいないだろう。しかしどうだろうその一騎がどれだけの敵を相手取れようといつかは休むことが必要となるのだ。どうしたって永遠に戦い続けられるわけがない。
体力を回復すべく睡眠を取ろうとしたところを襲おう。
英気を養うべく食事を摂ろうとしたところを襲おう。
安らぎを求め友と語らう所を襲おう。
単純に金目的の傭兵であれば金次第で解決できる、でなくとも殺せば終わる。
しかし宗教だ。宗教こそは厄介だ。なにしろ利を求めない、それどころか不利益さえ惜しまないことすらあるうえどこにいるのかも分からない。ふらっと泊まった宿屋の主人が、あるいは食事処のウェイトレス、知らなかっただけで親しき友も。
「そのイシス様というのは?」
「あっ私ったら、ごめんなさい。一昨日この世界に来られたばかりの憩様が存じているわけありませんよね。イシス様はこの城の回復魔術師を束ねる組合、その慈愛派のトップに在らせられます。」
「組合と慈愛派…?」
「はい、組合と言うのは回復術師の依頼の管理、相互補助そして後生の育成を目的として作られた組織です。依頼の管理と言うのは技術を不適当に評価されないために依頼内容の怪我の度合いや具合などからランク分けをしてそれに見合った能力の回復術師に振り分けています。当然、重傷者や重篤なものほど金額も高くなっていくのです。」
そして相互補助…と幼女の説明は淀みなく、というよりはまるで練習してきたのをそのまま言っているような調子で演じているとで言った方が正しそうだ。
依頼の管理、それは確かに必要なのだろう。組織だって報酬を一律に管理しなければ結局のところどこまでも安く買いたたかれるか天井知らずに吊り上がっていくかしかない。商売としてではなく副業やちょっとした小遣い稼ぎ程度の話であればなぁなぁで済ませても問題はないのだろうが、それで飯を食っていこうとする者には重要なことである。相互補助もしかりだ。
――しかし、そんな基盤があっての中で慈愛派ですか…。
世の中、不思議なことに嫌な予感ほどよく当たるものだ。
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