八つ当たりは良くない(正論)

「それで憩様はどうされたかったのです?」



 薄暗い夜道、城までの帰り道。


 あの後地下の牢から抜け出した後、追っ手を気にしてゴードン邸を離れるまでは急いだほうが良いという判断のもとゴードン邸から離れるまでは朝の城からの逃亡よろしくミレイユに担いでもらいまた窓から抜け出した。


 ここで意外だったのは猫耳の身体能力だ。手枷のない今、スキルを存分に発揮しているミレイユの健脚に猫耳は苦も無くついてきた。もちろん、猫耳の手枷も外してはあるががもしかすると猫耳の持つスキルも身体強化系なのだろうか。



「どうするとは? 僕の案は牢からの脱出の件なら手枷取ってミレイユさんの力で脱出、それだけです。……とゆうか、牢から出してあげるなんてない胸を張りながら本当に牢の鍵しか持ってきていないってどういうことなんですかね。おかげで猫耳さんの手枷もヒールを使って外す羽目になったではないですか。」



 違うそんなことを聞きたいわけではない。ミレイユはあからさまにはぐらかそうとしている憩に苛立ちがわいた。


 そもそも出るというだけの理由であれば憩にとっては猫耳やミレイユたちの安全をさておけば確立されていたので急いで出る必要もなければ今回のように無駄に痛い思いをする必要も当然なかった。


 娘さえ元気になればゴードンも無意味に憩を殺すとも思えないうえ、なんなら金稼ぎのために憩を、正確に言うならば憩の回復魔術を売り物にするということすらあったかもしれない。金の成る木である憩を殺す?そんなことはありえないだろう。そして憩としてはその状態は決して悪い状態であるとも言い難い。これはミレイユからすれば分からないことではあるが憩にとってはこの回復魔術ひいてはこの世界の常識や魔術やスキルと言った法則を研究できれば構わないのだから、例えそれがどのような目的であろうとゴードンが被検体を勝手に集めてくれるのだからむしろ好都合。自由こそないけれどなかなかどうして悪くないと言えた。



「……さすがの私も始まりからどうしたかったのかなんて聞きませんよ。城を出てきたのも外で食事を摂ったのもゴードンに声をかけられたのも憩様が関与しているところなんてなかったでしょう。」



 ため息を隠そうともせずにこれみよがしに吐き出しミレイユさんが続ける。



「私が聞きたいのはなぜ憩様まで手を折るという選択肢を選んだのかということです。」



 憩は自身の手を顔の前まで上げ、ぎゅっぎゅっと握り開くのを繰り返し、



「折れていませんが?」


「茶化さないでください。確かに憩様の回復魔術を使えば怪我はすぐに治せるでしょう、しかしそれでも怪我をする痛みは伴います。私たちのような騎士であるならば怪我も痛いという感覚も日常的に付きまとっているようなもの。ですが、憩様のその手はその身体はまるで幼子のように手の皮は柔らかく身体はそこらの娘のように華奢ではありませんか。とても自身を傷つけてまで私たちを逃がそうとするなんて考えられません。」



 確かに憩の手はここの人たちと比べれば十分に綺麗な手と言えるだろう。騎士という仕事ゆえ剣を常に振るっていたミレイユは言わずもがな、商人であるゴードンさえもその手は固く豆ができていた。ここにきて例外に手がきれいであったのはシャロとあとはエルフの姫君くらいだっただろうか。



 ――と言っても元の世界では普通の手に普通の肉体なんですけどね。



「しかしまたそれは心外ですね。あたしほど情に厚い人もそうそういませんよ。これからあたしの世話係をって人を無下にもできないでしょう。そのためならあたしの腕の一本や二本…「そうおっしゃられるのであれば、まずはシャロ様の案を蹴った理由を詳しく教えていただきものですね。あの案に乗っておけば痛い思いもせずに三人とも外に出られたでしょう」



 ぐうの音も出ないミレイユの正論にしかし憩は閉口することも言いよどむことすらもなく



「そいつは土台無理な話でしたでしょうね。見ればシャロさんは鍵を一つしかお持ちではなかったようでしたし、牢と手枷の鍵が同じとも思えない。手枷の鍵を持ってきていないなんておマヌケに聞こえましたが、今になって思えば牢の鍵と手枷の鍵を一緒の場所に置く方がよほど間抜けな話だ。シャロさんがどこから牢の鍵をくすねてきたのかは知りませんがベッドから抜け出せる時間にも限りがあるでしょうし、ずっと寝たきりだったというのであればあの広い屋敷を歩き回るのは体力的にもつらいはずですしね。」



 ゴードンさんの性格からいってそれこそどちらかの鍵は肌身離さず持っていそうな気もしますがと憩は続け、



「こんなところでどうでしょうミレイユさん。一番早くかつ一番代償のすくない脱出をできたと思うのですが。」



 それは確かにそうなのだろう。ミレイユが起こした騒動のせいとはいえ城の捜索を当てにしていたのでは時間がかかるうえ確実にこちらを発見してくれる保証もない。シャロの案も泥船だった。憩のような回復術師がいること前提ではあるがあの脱出法は一番お手軽で早い。


 それが手を折った理由だとそう説明されてなお、ミレイユは納得できないのだ。何かが引っかかる。何かがおかしい。憩とは会ってまだ一日経つか経たないかの間柄だがそれでも彼の人となりはある程度観察できたはずだ。違和感が何かは分からないが今訊かねば、今問わなければならないと何かに急かされるようにミレイユは口を開く。



「それでも憩様の安全は保障されていたも同然でした、急ぐ理由なんt「言ったでしょう。これからあたしの世話をって人を無下になんてできませんよ。もちろん、拾った猫耳もね中途半端はしませんて」


「……では憩様は私たちが一緒に捕まっていなかったらここまで急いで牢から逃げてはいなかったと?」


「それはまぁ、そうでしょうね。たらればの話にはなりますが、正直なところ王城で世界平定の旅の準備なんざするよりもこの回復魔術とやらの研究を行いたいというのが本心ですし。あのままあそこにいれば黙っていても病人はゴードンさんが連れてきてくれたでしょう、何よりシャロさんの事後経過も毎日見れますし。」



 あぁなるほど、頭の中の糸がつながり少し腑に落ちたミレイユ。



 ――しかしそうなると…



 ミレイユが口を開くよりも先に



「なんだご主人。そうゆうことか。たしかにそういうことであればあの状況では無理にでも出るしかなかったわけだな。」



 今まで話を聞いているのかいないのかも分からない様子で憩とミレイユの後をついてきていた猫耳が悠々と語り始めた。



「とどのつまりご主人はあのシャロを救いたいのであろ? なるほどそれならば確かにあのシャロの言い分を聞くわけにはいかないにゃ。せっかく牢から出してもらってもあふたーさーびす?とやらができなくては完全には良くなっていないのだろ。」



 ――あぁ、そうだ。結果的にはそう見える。でも違う、憩様の本質は、目的は違う所にある。



「憩様は…「おー、そうそうその通り。いやまいったね、あのままシャロさんの言う通りに牢を出てもよかったんだけどそれじゃあ彼女の予後観察をできないからね。一方的に利をもらってからの保護も気分悪いしな」」



 やっぱりにゃ、と猫耳は馬鹿顔を晒し、憩は笑いながら歩いている。…ミレイユが立ち止まったことにも気づかずに



 ――嘘だ。この人は、この男は、憩という人は



「憩様、貴方はシャロさんの病がどうなろうとどうでもいいのではないですか。」



 後ろから声を掛けられようやくミレイユがついてきていないことに気が付いた憩。



「憩様はシャロさんの状態を観察したいだけでこのまま快方に向かおうと悪化して死に至ろうと構わないんじゃないですか。」



 後ろ頭を軽く掻き、振り返ると憩は



「その通りですとかそれが何かとか、そう私が言えばあなたは満足ですか?」



 その言葉を聞き、ミレイユは歯を食いしばるとまるで歪む顔を見せまいとするかのように顔を伏せた。



「…私は城の地下に憩様と入った時こう思いました『あぁ可哀想だけどこの娘はここで痛めつけられて死ぬんだな』と。でも、実際は違った。経過はどうであれあの娘は結局無傷で、そのうえ情報も城が満足するまで出したので次の拷問予定もなくなりました。本来長期的に行うはずだったにも拘わらずです。」



 憩に話しかけているのか分からないくらいの声の小ささで、独白のようにミレイユはぼそぼそと吐き出していく。


 しかし、憩にはちゃんと届いているのか聞きなすこともなくまた茶化すこともなく真面目な顔でミレイユの独白を受け入れていた。



「そこの獣人を助けた時も憩様は自身のものと主張することでその後のゴードンの蛮行を防ぎました。」



 ある種、話の当人である猫耳はミレイユが何を言いたいのか分からない。


 だが、その主張を一身に受ける憩にはミレイユの言いたいことが分かっていた 。


 何故ならそんなありきたりな問答は前の世界で暴力となって憩とその先生に振るわれたのだから。



「だから私は、憩様は口は悪いけれど結局は人に手を差し伸べる良い人だとそういう人なのだと。けれどその認識は違うのですね。地下のあの娘もその獣人もそしてシャロ様の一件でさえも、ただご自身の研究とやらのためなのですね。」



 まるで期待していたものに裏切られたかのような顔に憩は顔色も変えない。



「興味ない。」



 短く発せられた憩の言葉はしかしこの世界に来てから一番憩の感情が乗せられた言葉であった。



「一つだけ言う。自分の…いや先生の研究は必ず人のために人の未来にためになる。」



 それだけを言うと憩は自身の寝床である城へと向かうため歩き出した。


 ミレイユは立ち止まったまま憩の後姿を見つめていた。

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