他人の手のひらを泳ぐのは好きだけど、転がされるのは殺すほどムカつく

「何をしているんですか。貴方達は。」



 メイドは獣人を部屋の隅へと追い詰め顔を覆うように口を開き覆いかぶせており、回復術師は背を壁に預けその様子を見守っているように見える。


 まるで…というよりは正真正銘阿保を見る目で格子の外からシャロは語りかけた。



「あぁ、やっぱり来たんだ。」


「へぇ…、やっぱり?」



 シャロは自身の問いを無視されたことなど意にも介さず憩が自身をくることを予期していたかのような言い分に興味を持った。


 正直なところシャロとしてはこの地下の牢屋に前触れもなく表れた自分にもっと驚くなりのアクションを示してほしかったのだが、特に驚くこともなく「あ、来たんだ」的な雰囲気を出している憩とその後ろで分かっていましたよオーラを出し若干ドヤ顔のメイドに感じ入るところがないわけではない。



「いやなに、そうむずか…「でしょうね。私は今まで苦しめられていた難病をいともたやすく治していただいたお礼を言いに来たの。」



 何かおかしな点でもある?とでも言いたげにシャロは胸を張る。


 確かに長く苦しめられていたものを解放してくれた者に対して感謝を伝えるということは特におかしなこともないだろう。ましてやその存在が自身の家にいるというのであればなおさらだ。



「そして…これなぁんだ。」



 何かを指さすように突き出された人差し指に引っかかっているのは鍵。


 悪戯っ子のように邪気ある笑顔を引っ提げてさも面白そうにシャロはのたまう。



「お礼にここから抜け出すお手伝いもしようと思っていたんだけどなぁ。」


「「なっ!!」」



 すぐ目の前に脱出のための正真正銘カギを吊るされ目の色を変えるミレイユと猫耳。



「いや、…」



 憩は何かを発しようとするもミレイユに押さえつけられた。


 スキルを封じられているとはいえミレイユの力は平均的な女性の腕力より相当強い。普段、スキルによって超人的な動きをこなしているためだろうか。先ほど、猫耳にベアハッグをかまして動きを封じていたことからこの世界の女性全員が力強いわけではなくミレイユが特別だと思いたいのだが。



「ほら憩様謝ってください。彼女の機嫌を直すためにも、彼女の意向を思い直させるためにも。さあ早く、早く謝罪を。」


「ご主人、ここはひとつ謝るにゃ。せっかくのチャンスをふいにしてここから出れず、にゃんて笑い話にもにゃらにゃいにゃ。」



 憩を地面に抑え込み、文字通り尻に敷いたミレイユ。


 猫耳ともどもシャロの機嫌を取る様にと促し、シャロはどこか勝ち誇ったかのように仁王立ちしている。



 でも、そうではない。彼女がここに来た理由も、カギを持ってきた理由もけっしてお礼なんて理由ではない。



 ぼそりと憩の口から出たのはしかし彼女の望むものではなく、彼女の本心を見透かしたものだった。



「……どうして治してしまったんだよ糞が、私はこのままでよかったのに。


 病気のままでいればパパはずっと私のことを見ていてくれるのに。構ってくれるのに。


 治ってしまったらパパは私の事なんて見なくなる。私の居場所がなくなる。


 余計なことを、余計なことを、余計なことを。」



 余裕と優越感しかなかった。


 シャロはいつの間にか顔から笑みもなくなっていれば、今も牢屋の鍵という絶対的な優位性を持っているはずなのに何故か自分が追い詰められているような責め立てられているような思いに立たされていた。



「私はあのままでよかったのに、パパに迷惑をかけるのを心配する迷惑を掛けざるをえない病人のままでよかったのに。


 それを邪魔するあいつらが嫌いだ。もう来るなよ、関わりたくもない。」



 やめてよ。違う、そんなのじゃない。否定の言葉が口火となって湧き出た感情はただただ憎悪。


 喰いしばった歯、吊り上がる眼、いつの間にか握りしめられた手の中には牢屋の鍵が痛いほどに食い込んでいた。


 ――違う違うちがう、私はただパパのことを思って…、今まで誰にも治せなかった私を治せるような回復術師が何度も来るなんてどれだけの要求をされるか分かったものじゃないもの。私は、ただ…!!


 目だけで何かを訴えるように。あるいは、目だけでこちらを呪うかのように睨み付ける眼光。



 クケケ。



 おおよそ、この場に似つかわしくない怪鳥の鳴き声に似た笑い声が一つ響いた。



「そう正直に言ったならあたしは素直に出て行きましょう。」



 心底楽しそうに憩は口角を口が裂けるのではないかと思えるほどに吊り上げ笑う。その笑い声はやはり聞きなれないものだった。


 かたや牢屋の外で何に束縛されるでもなく、かたや牢屋の中で手枷を嵌められ自らのメイドに組み敷かれた尻の下で。


 取り巻く状況は天地のほどの開きがあるにもかかわらず、苦い顔をしているのは前者で嗤っているのは後者であった。



「おま、おまえ、おまえはいつから…いやなんで…。」


「いつからも何も貴女があのパパと阿保をし始めた時、あたしの治療を受ける時、回復魔術を受けて体が楽になった時。幸せを噛みしめて、恐怖と嫌悪に苛まれて、そしてぜつぼーしてたでしょ。」



 耳障りな甲高い笑い声が地下室の壁に響く。


 憩がひとしきり笑い終えても、何かを堪えるようにシャロは俯くばかりで何も言い返しては来ない。



「いやいやいや、別に強要するつもりはないさ。あたしはあんたの父親の言う通りあんたの治療をしよう。そうすれば少なくともあたしは拷問にかけられることもなければ飯を食いあぐねることもない。あんたの病気が治ればそれこそみんなハッピーだろうさ。


 そうだろう?ゴードンの娘さんや。」



 あやすように、慰めるように、とても暖かで優しい白々しい猫撫で声。


 ――おかしなことは何一つ言っていない。子供が病気になった親がそれを治せるものに救いを乞い、医者が…この世界では回復術師がそれに応え尽力する。この世界の回復術師たちが根腐れしていようと、ゴードンが悪名高い人売りであろうと些末な問題に過ぎない。困っている人がいてそれを助けるのに何の間違いがあろうか。



「なんて嘯いてみたり。」



 ぽつりと、しかしはっきりと呟いたその声はこの場の誰もに届いたがその意味を分かったものはいただろうか。


 顔を上げたシャロは青ざめた表情で今にも泣きそうな表情で震える唇を動かして震えた声を出した。



「あ!ああ、パパには…言わな…「あー、いーねー。そーゆーの。ごめんなさいと謝ることもなくただただ自分の都合がいいように要求を押し付ける。やっぱ人っていうものはそうでなくっちゃ。こそこそ人の顔を伺ってばかりだなんていうのも悪くはないけどね。自分がしたいようにしなくちゃ嘘だよね、嘘。」



 組み伏せられた時はひんやりと冷たかった床も今では憩の体温を奪ってそこそこ温くなってきた。


 そこでようやく未だに憩の上から退いていないミレイユが口を開いた。



「…貴方の都合などどうでもよく、憩様の都合などさらにどうでもよいのですが。出していただけるのなら早くしていただけますか。」


「はぁ、いやあのミレイユさん?口挟む前に退いてはくれませんかね?」



 場の空気を読まずに催促するミレイユとその前にと嘆願する憩。


 ミレイユは特に気にした風もなく、己の下にいる憩を一瞥だけ視線をよこしそっぽを向いたままで言うのだ。



「あら、また違うのですね。一体どれが素なのですか?」


「正真正銘どれも僕ですよ。喜ばしいことにね。」


「それはそれは、性格がよろしくないようですね。」


「…人間誰しも性格に良い側面と悪い側面があるでしょうよ。僕のはそれが際立って見えるだけですよ。」



 納得のゆく答えだったのかミレイユはなるほどと一つため息のように漏らすと憩の上から退いた。


 先ほどまでミレイユの尻が乗っていた背中をなんとはなしにむずがゆい気がしてまだその体温が残った背中をさすり憩が立ち上がると



「あら、まだ座っていてもらいたかったですか?」



 ミレイユがバカにした顔でそうのたまってきた。


 ここはしっかりとどちらが主か(もう手遅れのような気もするが)分からせてやらねばならぬと毅然とした態度で憩はしっかりミレイユを見据えると



「次は顔面でお願いします」



 殴られた。手枷の角で。



「ふざけないでよ!!」



 怒声が地下室内に響き渡る。


 ミレイユの、ではない。では声の主は誰か?シャロだ。


 先ほどまでの病気のためか元来の性質か、ぼそぼそとか細い声で話していたシャロの予想外の怒声に全員が目を丸くした。


 ――なるほど。血痰が出るほどの損壊でもここまで治りますか。


 一人、感心した憩は、どこか真剣みを帯びた表情で真面目に答えた。



「ふざけてなんかいない。大真面目ですよ。」


「どこがよ!なによなによなによ!!私はあんたたちをここから出してやろうって言うのに、あなたは何が気にくわないわけ?!」



 その実、シャロの言うことはもっともだ。周りから求められこそすれ当の本人はそれを享受したくないと言い、それを提供せざるをえない状況下の者を己が手で手放すという。提供者としては提供しなければ不利益を負うことはあっても提供したからと言って利益を得れるわけでもない。不利益を回避するためだけに強制させられる労など普通は御免こうむりたいものだ。



「このままここにいたら碌なことにならない、そんなことはあなたたちだって分かって……!!」


「あーあー、そんなに声を荒げたら外の護衛さんたち聴こえちゃいますよ。…あー、逃がそうって腹積もりだったなら護衛を適当言って遠ざけたか?」



 牢の番をしているものは当然いるのだろうが、先ほどからすこし…いや、かなり騒いでいるのにもかかわらず顔を見せる素振りもない。ぶっちゃけ、シャロが来る前から騒いでいなくもなかったのである程度は強要されてるかとも思ったが、自身の主の愛娘の怒声を聞いて様子を見に来ないというものおかしな話だろう。


 ということは今、あの地上へ通ずる唯一の扉は誰に守られるわけでもなくただ閉まっているだけか。



「そうやってまた人を馬鹿にして。…いい?結局のところあなたたちが外へ出たければ今私に!私に頼るしかないのよ。」


「そうでもないさ。」


「は?スキルもない魔術も使えないその枷を嵌めた貴方たちに何ができるっていうの。」



 無駄なあがきなんてやめて、黙って私の言うことを聞きなさい。そうシャロは高らかに宣言する。


 しかし憩はそれを聞いているのかいないのか、唐突にミレイユの手枷を掴むとそのまま胴を蹴り飛ばした。


 ッガヒュ。ミレイユの口から漏れた空気がむなしく響くも手枷は外れておらず、ミレイユはただただ苦しそうに顔を歪めた。



「あー、やっぱかっこよくはいかないですね。」


「い、憩さま、なに、を?」



 いいから、いいからと憩はおざなりにミレイユをなだめると手枷を掴んだまま自身の足でミレイユの体を押し手枷をもぎ取ろうと力を込めた。



「ひ、ぐゅ!!!!!」



 短い悲鳴が響く中、べきっと一際硬質の物が折れる音が響いたまにまにすぽっと手枷は抜けた。



「ほら抜けた、抜けた。…ほれミレイユさん俺のもって順番間違えたねこりゃ」



 あー畜生、しょうがねー。おざなりにそう喚くと、格子の間に手枷を固定し一気に引き抜いた。


 自身の意思で行ったためか、痛みを感じた瞬間に回復魔術を発動させたためかはさておいて、さして痛そうなそぶりを見せることもなく手枷を外して見せた。



「おーおー、回復魔術で治されるってこんな感じなのか。しっかしまぁ、首まで一緒に固定されるタイプじゃなくてよかったね。」 



 そう感想をつぶやきながらミレイユにも回復魔術をかけると、いけしゃあしゃあと



「さあ、ミレイユさん。こんな鉄格子なんて壊せるでしょう。さっさと逃げちゃいましょう。」


「……その前に一つ聞きます。そこのシャロさんが鍵を渡すという話で纏めようと進めていたのに、わざわざ引っ掻き回してこのような状況にしたのは何故ですか?」



 すると憩はそれこそ何故そんなことを聞くのかと不思議そうに小首をかしげてこう言った。



「いや、シャロさんが何ができるのよって言うので脱走を目の前で実演しようかと。てか、あのままシャロさんの思惑通り進むっていうのも癪に障りますし。」



 癪に障るから。憩の言にミレイユは納得ができない。


 というよりは意味が分からなかった。先にミレイユにあるいはゴードンに殴られても特に文句の一つもなかった人が、「出してやるから出て行ってくれ」という内容でへそを曲げる意味が分からない。



 ――殴られて怒るのは理解できます。むしろそれでへらへら笑っている方が生き物として出来損ないでしょう。……では、自身のためにもこうしてほしいだからお前らも助けてやろうと説明され罠も可能性も限りなく低いといえる状態で、それが癪に障るから気にくわないからと反発しあげくに自身の手をへし折って外に出よう、という考えは理解できるでしょうか。



 自身に問うようにミレイユは今の憩の言を頭の中で反芻した。聞き逃した点があるわけではない、分からない言葉があるわけでもない。それなのに理解が、納得ができない。


 もちろん、ミレイユだって分別のない世の中が善と悪の二つしかないと思っているような子供ではない。自身が非道だと思うものも別の立場、別の視点から見れば話が変わってくることがあることを知っている。そのうえで憩の行動は不可解極まりなかった。



「はぁ、とりあえずはいいです。不本意な方法ではありますが手枷も外れて、こうして怪我もないわけですし」



 当然来るだろうと思っていた暴力がこないことに憩は違和感を覚えた。ほんの少しのセクハラで口よりも先に手が飛んでくるような女なのだ。逃げるために致し方なかったとはいえ手をへし折ったのだからある程度の折檻は当然と言えよう。というよりは、



 ――あれ?てか流れでやったけど手をへし折るってなかなかじゃないか?ま、治したのも俺だし問題ないか。触らぬ神にたたりなし。この場合神の手をへし折った後に言うのもあれだけれど神本人がとりあえずいいと言っているのだからとりあえずいいのだろうさ。



 下手に刺激をしないよう口をつぐんだままミレイユの後ろを歩き、ミレイユがまるで暖簾を押しのけるくらいの気軽さで歪めた鉄格子の隙間から牢を抜け出した。


 呆然とただそれを睨むシャロにたいして憩は、



「ね、出れたでしょう?」



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