第13話 ヨンの災難

 ヨンは実家の居間に入って啞然とした。呼び出しといて誰もいない。 

 

 先日宴会をした和室の戸を開け、さらに愕然とした。

 がらんと広い畳の真ん中に兄と弟がぐったりと座り込み、二人の間で見覚えのある小さな男の子が寝ていた。

 「兄の権限で言う。手伝ってくれ」

 「冗談を言うなんて珍しいな。母さんは?」

 「豊橋。冗談を言ったつもりはない」

 その状況でも冗談も言わないなんて、ある意味尊敬だと言いたいところを我慢する。喧嘩を売ってる場合ではない。

 「で、こいつの父親はどこだ?」

 ヨンは子供を顎で示した。

 「結石で入院した」今度は弟が答えた。

 「初めから説明してくれ」ヨンは眉間を押さえた。



 事情はこうだ。

 ヨンの父には豊橋で教師している弟が祖母と住んでいる。豊橋で教員試験に受かった際に空き家になっていた祖母の実家に引っ越した。そこで結婚し三十年以上を過ごしている。祖父が亡くなった十三年前、叔父が祖母を自分の実家で暮らせるようにと呼び寄せた。今年に入り祖母の具合が悪く入院したためヨンの両親は頻繁に豊橋に行っている。

 肝心の男の子の父親は豊橋の叔父の息子、俺たちにとって従弟にあたる。従弟は三十歳バツイチ。シングルファーザーだ。豊橋の実家近くに住み名古屋で働いている。三日間の東京出張の際に子供を連れてヨンの実家に泊まった。昨日は休暇を取って上野動物園に行ってから帰る予定だったが、腹に激痛がはしり、駅で動けなくなった。救急車で運ばれ入院となったそうだ。両親は既に新幹線に乗った後だったため、ヨンの兄が会社を早めに退社し病院に駆け付け入院手続きをし、子供を連れて帰った。

 従弟は幸いレーザー治療で日曜には退院できるが、問題は子供だった。


 「オヤジたちはいつ戻る?」

 「明日の昼頃」

 「明日の朝、俺が車で病院に迎えに行く」弟は眠そうに言った。

 「連絡してくれれば良かったのに」

 「いても同じだ。三人も翻弄されなくてもいい」兄は朝食の残骸を片付けながら言う。

 「じぁ、今日はあいつを俺が預かって、明日昼飯食わせたら連れて来る」

 「助かる!」

 兄から感謝される日がくるとは。弟を見るといそいそと男の子の着替えを用意していた。起きて騒がれるより寝ているうちに移動したいとヨンは子供を抱きかかえた。

 「車で送る」

 「死にたくない」

 このヨンの発言も兄は笑いもせずに玄関のドアを開けてくれた。


 家のソファーに寝かせた途端、男の子は起きて泣き出した。偵察に近寄ってきていたミータがヨンの背中に張りつく。

 「痛っ」

 「さすが男の子は声量が違うね」レイは落ち着いて子供を見た。

 「感心してないでミータを肩に上げてくれ。爪が背中に食い込む」

 レイはミータを引き剥がし、ヨンの肩に乗せた。泣き声が嫌なのか、ミータの瞳孔が開きしっぽを大きく振っていた。

 レイは男の子の前に座る。

 「目が覚めたら知らない場所と知らない人で驚いたよね?お名前は?」

 「……ゆうと《優斗》」

 「私はレイ。泣かないでお話できるかな?」

 優斗は大粒の涙を溜めた目でうなずいた。レイはヨンを隣に座らせる。

 「優斗、この人わかる?」

 「うん。大きいお兄ちゃん」

 ヨンがうなずく。いつもの呼び方のようだ。

 「優斗はいくつ?」

 「4つ!」

 「3歳だと思ってた」

 ヨンの呟きを無視してレイは続けた。

 「この子はミータ。優斗の方がお兄ちゃんだから優しくしてあげてね」

 「ウン!」

 レイはヨンの肩に乗っているミータの頭を撫でる。優斗は元気になったがミータはすこぶる機嫌が悪い。珍しくレイの手を噛んできた。



 ヨンはミータから解放された肩をまわしながら、レイが作ったフレンチトーストを食べている優斗を見た。

 「これからどうするか」

 「面会できるんでしょ?病院に行こう」

 レイは病院までのバスの時間を調べ始めた。ミータがレイの膝の上に用心深く乗ってきて優斗の様子を見ている。

 「また泣くぞ」

 「親としては心配だと思うし、どっちにしても泣くよ」

 ヨンは二か月前の法事を思い出す。優斗はソファーの前にちょこんと座り今は牛乳を飲んでいる。本来こんなに大人しい子供ではない。

 「病院の帰りに公園で走らせるか」

 「犬じゃないんだから……」

 「体力を消耗させて夜泣きのパワーを少しでも減らそう」

 そうしないと俺の背中が血だらけになる。ヨンは優斗とミータを交互に見ながら「仲良くな」と祈る様な思いで言った。


 

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