第3話 イチの場合

 七月の夕方、イチは駅でレイを待っていた。大学は夏休みでバイトも早く終わったから少しでも家のことをやろうと思ってレイに連絡したのだ。駅での待ち合わせということは荷物持ちだろう。

 大学と塾講師のバイトと多忙な日々だが恋人も出来た。日曜はデートだ。彼女はバイトの先輩であり同じ大学の先輩でもある。生まれて初めて自分から告白した。心にも時間にも余裕がなかった高校時代には考えられなかったことだ。


 イチも祖母に育てられていたがその祖母が亡くなり、7歳の時にこの家に来た。イチの祖母はばあばの女学校の後輩だったそうだ。ばあばが育ててくれた経緯はわからないが、俺にとって辛い話になるのがわかっているので、あえて聞いたことはない。ばあばは本当の孫の様に育ててくれた。ばあばが亡くなる前に母が生きていることを教えてくれたが、正直両親の記憶がない。だから会いたいとも思わなかった。


 中学生になってすぐに、ばあばが亡くなった。レイは姉のようで兄のようでもあった。水泳やバスケを教えてくれ、いじられ時に泣かされ、そして滅茶苦茶可愛がられた。大好きだからこそ、施設に入ることをレイに伝えた。


 ばあばの葬式で泣かなかったレイが一人にしないでと号泣した。俺はレイにきつく抱かれたまま「レイちゃん、ごめんね」と泣きながら言い続けていた。その様子を見ていたニイとヨンの両親が助けてくれて俺はレイとこの家で暮らせることになった。


 レイが号泣するのを見て、俺がレイを守るのだと思った。中学男子の思考だ。要は俺がしっかりしないといけないと気負って焦っていた。中学生入学時に卒業したら働くと宣言したが、レイがそれを許さなかった。本当は高校生になったら話そうと思っていたと言って、預金通帳を見せてくれた。俺の実の祖母とばあばが残してくれた俺の学費預金だった。レイは「私立には行かせてあげれないから頑張って公立高校に入って。そしたら大学だって行けるから」と言った。


 俺はレイの望む通り普通の中学生活を送った。運動部に入り友達もできた。勉強は当時大学生で塾講師のバイトをしていたヨンにみてもらった。ヨンはよく遊びに来ていたがこの頃に下宿してきた。初めて勉強を見てもらう時、二人きりになると、その口の悪さと体の大きさと元ボクシング部の肩書が俺を恐怖に陥れていた。

 勉強を見てもらった後、ヨンは静かに言った。

 「急いで大人になろうとするな。中学は義務教育だ。直ぐに働いて金を稼いだからってレイは喜ばない。やりたいことをやって金を稼げ」

 「やりたいことがわからない」

 「やりたいことをみつけるために高校に行け」


 ヨンのおかげで二年生の三学期には学力があがり都立高校に入学できた。それも進学校に。制服もなく校則もゆるかったのでバイトもできた。

 ヨンは簡単に言ったが、やりたいことは見つからない。当時この家で唯一の社会人で大手会計事務所に勤めているニイに仕事を選んだ理由を聞いた。

 「金が好きだから」

 「何で銀行じゃないの?」

 「人の金なら数えるより色々計算する方がいいから」

 ニイは本心なのかふざけているのか分からないときがある。言えることは全く参考にならなかったということだ。


 そんなニイだが俺に魔法の言葉をくれたこともある。

 「自分が負担なっているなんて思う必要はない。そして自分を可哀そうだと思うな」と。

 なんで助けてくれるのかと聞くと、俺たちのことが好きだからだと即答してくれた。


 ただ好きだから。それだけの理由で無条件に味方になってくれる人が三人もいる。ニイとヨンの両親も助けてくれる。やりたいことはわからないままだったが、やってあげたいことが見つかった。だから、高校生になってもヨンに勉強をみてもらい大学に行くために必死に勉強した。俺の小さな反抗はレイやニイやヨンを相手では勝ち目がなく不発のまま高校生活も終わった。

 皆のおかげで俺は大学生になり、先日二十歳の誕生日を迎えた。

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