第5話

 鏡花の目の前には数点の着物が並べられている。それらの着物はどれも綺麗で、どれを選んだらよいのか、と鏡花は悩んだ。

 ふと、鏡花は一枚の着物に目を止めた。

「これ・・・・・・」おもむろに鏡花は、一枚の着物を手に取った。

 鏡花が手にしたのは、波模様が描かれた空色の着物だった。

「その着物が気に入ったのか?」鏡花が手に取った着物を見ながら紅葉は問いかけた。

「そうじゃない。ただ、懐かしかった、から・・・・・・」鏡花の顔に笑みが浮かんだ。

 その着物は、鏡花の母が着ていた着物と同じ色だった。鏡花にとってこの色はどの色よりも思い入れが深いのだろう。

「ならばその着物にするかのう」紅葉は、鏡花が持っていた着物を女性に渡した。

「え!?」一瞬の出来事に、鏡花は驚いた。

「しかし、これだけではちと物足りないのう」そう言うと紅葉は紅色と薄紫色の着物も買うと言い出した。

 鏡花は状況を理解できていなかった。

 なぜこうなったのかーー 気がつけば着物を買う流れになっていた。

 鏡花はおもむろに店内を見回した。

「ーー!!」

 一枚の着物が目にとまり、鏡花は思わず目を輝かせた。

 鏡花が目にしたのは、桜の花びらとうさぎの絵があしらわれた薄桃色の着物だった。

 かわいい。鏡花はその着物に心を奪われ、思わず見入っていた。

「ほう。これはまた、なんともかわいらしい着物じゃのう」紅葉は声をかけた。

鏡花は着物に見入ったまま、何も答えなかった。

「そんなに気に入ったのなら、これも買うかのう」紅葉はどこか嬉しそうだった。

「え!? 何で?」鏡花はまたしても驚かされた。

「こんなにかわいい着物、鏡花以外には着て欲しくないのでな」そう言うと紅葉は、着物を店主に渡した。

「そうじゃ。ちと、見たい物があるのでな。すまぬが少しここで待っていてくれ」紅葉は店主と一緒に商品棚へと歩いていき、何やら話し込んでいた。

 しばらくすると、着物が入った包みを持って紅葉が戻ってきた。

「すまん。待たせたのう」紅葉は小上がりに腰掛けた。

「鏡花の新しい着物じゃ」そう言うと、紅葉は包みを鏡花に手渡した。

「あ、ありがとう」鏡花は少々困惑しながらお礼を言った。

「気にするな。さて」紅葉は立ち上がった。

「次の所に行くぞ」紅葉は鏡花の手を引いた。

「まだ何処かに行くの?」鏡花は問いかけた。

「もちろんじゃ。太宰と約束した夕方までは、まだ時間があるしな」鏡花の手を引き、紅葉は店を後にした。

「ありがとうございました」店主は二人にお礼を言った。

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