165 標24話 夜中の夜明けですわ 11


 小高い丘の上にある、木々の中の建物の屋上にエリスセイラとバンセーはいました。

 公園の中に立つホテルの屋上駐車場から二人が望む景色には四方八方にいくつもの四角い巨大な塔が見えます。

 バンセーはその中でも、最も特徴的なシルエットを兼ね備えたタワーに目を奪われています。

 その手前にある円いポールの塔も興を惹かれますが、奥に見える巨大なタワーの四ツ角を太い柱で補強したデザインにはなんとも言えない力強さを感じます。

 屋上の端により遠望を眺めるバンセーの後ろからエリスセイラが近付きます。


「殿下。お気に召した風景でもございましたか?」

「うむ。俺はあの塔が気に入った。あれはなんだ」

「あれはランドマークタワーでございます。ここより見れば小さく見えますが高さは二百九十六メータに及び、地上七十階の高層建築物でございます」

でかいな。だがあの立ち姿は美しい。俺は良いと思う」


 しばらくの間ですがバンセーはそのビルを眺めます。

 右に左に視線を泳がせますが結局は灰白色の巨大な姿に目を戻します。

 胸で腕を組み仁王立ちのままでかたわらの少女に話し掛けます。


「セイラ殿。俺の気のせいかも知れぬが、そなたはこの異様な風景になじむのが早かったように思うぞ。おかげで俺もこうしてゆっくりと街並みを見物できる余裕ができたと言うものだが、それはどうしてだ?」

「ご賢察には恐れ入りましてございます。殿下のお言葉のようにわたくしは知識としてこの街並みを知っておりましてございます。されども見るのは初めて。この風景が本当にあるとは思ってもおりませんでした」

「そうか。して、これからどうする?」

「殿下のお心のままに」


 バンセーは、しばし無言で観光に徹します。

 そして、思考をまとめると口を開きます。


「そうか。では、ここはセイラ殿の知識に期待しよう」

「恐れ多くございます」

「良い」

「それではまずはこの世界からの脱出を考えます」


 王子は腕を組んだまま、男爵令嬢である少女を振り返ります。


「この世界からの脱出?いや、そうか。そうだな。この街はおかしい」

「おそらくここは幻の世界。入って来たのなら出て行くほう方があるはずでございます」

「言うはやすいな」


 その時です。

 バン!

 ふいに二人から離れた所に建つ出入り口の自動ドアを手動で押し滑らして、一人の男が現われます。


「話は聞かせてもらったー!っスよ」

「何者だ!」「トビー!」


 バンセーはエリスセイラの前に出て、彼女を背中に隠します。

 しかし男爵令嬢はその腕の下を潜り抜けると、現われた青年に向かい立ちます。

 トビーは立ち姿勢で右腕を胸に当てた騎士の礼を取ります。


「エリスセイラ様。またお会いできて光栄っス」

「殿下、この者はトビー・スフィンクス。わたくしの友人でございます」

「セイラ殿の知り合いか。俺はバンセー・オブ・ネオクラウンだ」

「お初にお目に掛かります、バンセー殿下。私はただ今ご紹介に預かりました様にエリスセイラ様の死に別れた友人トビー・スフィンクスと申します。短い間でしょうがよろしくお付き合いをお願いいたします」

「死に別れた、だと!」


 驚きの表情をあらわにするバンセーとは対照的に、エリスセイラは哀しそうに静かに立ち尽くします。


「トビー。貴方がそれを申されるのでございますか……」

「情報は正確さが命ですよ、エリスセイラ様」

「してトビー。そなたは、何をしにここへ来た」

「それはもちろん、エリスセイラ様と闘うためです」

なんだと!貴様、俺の前でセイラ殿と闘うと言うのか!」

「はい。そう言う事になります、バンセー殿下」

「セイラ殿!加勢するぞ!」

「無用でございます、殿下。この程度の手合いはわたくし一人で十分でございます」


 バンセーに向き直って一礼した少女は、再びトビーに向かい構えます。

 その表情にはすでになんら未練を感じさせません。


「トビー。わたくしに勝てるとお思いでございますか?」

「もちろんっス」

「ではおいで下さいませ。ひねり潰して差し上げましょう」

「ふふーん。言うっスね。では俺の先行せんこうでいかしてもらうっス、第一問!」


 トビー・スフィンクスは人差し指を立てた右手を前に向かって突き出します。

 青年と少女。

 二人の闘いが始まります。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 グローリアベルは片側一車線のまんしょん前の都道を横断します。

 その駐車場の奥にある商店の名前らしき『ちょこっと停留所』と書かれた看板を掲げたポールの下にある自動販売機の横に立ちます。

 そんな侯爵令嬢にアルフィンは訊ねます。


「グローリアベル殿。貴女は先程ここがカミイではないと言われた。そしてここがカミシャクであるとも言われた。しかし私はカミシャクなる名前を聞いた事が無い。一体ここはどこなのか、教えて欲しいと願う」

「お気持ちはお察ししますアルフィン様。おそらくは、ここは夢の国です」

「夢の国だと?」

「はい。あるいは偽りの国。それとも幻の国。間違いないと推測できる事はここが現実の世界とは異なる世界だと言う事です」

「ここが現実の世界ではないだと?ではグローリアベル殿は、我々が二人そろって同じ夢を見ているとでも言うのか?」

「その可能性は十分にあります。ですが最悪の場合、この世界はどちらか片方の夢の中である事も十分に考えられます」

「最悪の場合とはどう言った意味だ」

「この世界がどちらか片方の夢の世界だとすれば、それぞれが別個にこの異世界を脱出する必要があります。その手間はわたし達二人にとって大きな痛手となるでしょう。願わくばこの世界がわたし達二人の見ている同じ夢で、この体が本物の体である事です」

「そうか。ここが夢の世界であるのならば、この体は偽物であり我々の体が別の場所にある可能性もある訳だ」

「それも、わたし達の意識化にない無防備な状態で、と言うおまけ付きです」

「事態は深刻だと言う訳だな」

「はい。おっしゃる通りです。フ」


 数枚の百円白銅貨を顕現した侯爵令嬢は自動販売機で缶ドリンクを二本買います。

 そのうちの一本をルゴサワールド魔法騎士団筆頭上席である女性エルフに差し出します。


「アルフィン様。お試し下さい」

「うむ?これはなんだ?」

「缶コーヒーです。コーヒーを金属の缶に入れて保存性を良くした飲み物です」

「コーヒーとは薬湯の一種だな。金属の中に茶など入れて錆びぬのか?」

「内側に樹脂を塗り、直接コーヒーが缶に触れないようにしております」

「ほう。考えるものだな。どう開けるのだ?」

「上部にあるリングを指でお引き下さい。凹みで薄く作った切り取り線があります」

「穴を開けていない切り取り線か。凄い技術だな。門外漢の私でもそれくらいは分かる」

「取った蓋は小指の第一関節にでもはめて下さい」

「指にはめる?何故なぜだ?」

「飲み終わったあとで缶を捨てる時に蓋を中に入れます。すると鳥が飲み込んでしまう事故を防げます」

「成る程。真似をしよう」


 毒見を意識して、グローリアベルは先に缶コーヒーを飲みます。

 それを見終えたアルフィンも続いて缶に口を付けます。

 一度目を見開くと、二口目を勢い良く流し込みます。


「美味い!これがコーヒーだと!こんな美味いコーヒーは初めて飲むぞ!」

「当然です。石炭焼セキタンヤキ珈琲コーヒーつばさ。私の知る限りではこの国の歴史上で一番美味しいコーヒー飲料です」


 グローリアベルは、更に四本の缶コーヒーを買います。

 その内の二本をアルフィンに差し出します。


「こちらもお試しになりますか?」

「もらう!」


 アルフィンは勢い良く追加二本の缶コーヒーを一口ずつ口の中に注ぎます。


なんだと言うのだ、これは!美味すぎること、この上ないぞ!」

香黒炭焼コークス珈琲コーヒーまぼろし炭焼スミヤキ珈琲コーヒーたくみつばさと共にこの国の缶コーヒー史上トップ・スリーを飾る逸品です」

「これがコーヒーなのか?では、今まで私がコーヒーだと思って飲んでいたものはなんだと言うのだ?」

「ここは夢の国です。余り深く考えない方がよろしいかと思います」


 侯爵令嬢は三本の缶コーヒーを交互に味わいます。

 アルフィンはと言うと、缶のラベルを何度も見直してはまるで吟味をするかのように交互に味を確認します。

 そして最後にグローリアベルの顔を見ます。


「ところでグローリアベル殿。先程貴女は迷う事無く、ここが夢の国だと言われた。その根拠などは説明してもらえるものだろうか?」

「結構です。わたしがそう判断した根拠。それはわたしがこの世界を物語として知っているからです」

「物語だと!」

「はい。例えばこの自動販売機で売られている飲み物は時代を無視して多種多様な品物が売られています。ジャッキー・チェン製作 暴暴茶、島と大地の実り、アクアマリン、りんごこりんごここりんご。

 アルフィン様。この缶ジュースに描かれている絵が何か、お分かりになりますか?」


 グローリアベルは自動販売機に並べられた缶の一つを五本指で指し示します。

 アルフィンがそれを見ると、描かれている絵は動物です。

 二本の角を持つ動物。

 それは……、


サイだ」

「そうです。この缶ジュースはサイダーです」


 グローリアベルが手を離すと、確かにサイの絵の下にはサイダーと書かれています。

 侯爵令嬢は凛としたまなざしでアルフィンを見つめます。

 そしてはっきりと断言しました。


「確証を得ました。こんな歴史はありえません。この世界は偽物です」


 陽がかなり高くなった朝の世界は二人を包み込んだまま白い光に包まれていきました。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




何故なぜ……何故なぜなのでございますか、トビー」

「何が?っスか?」

「……何故なぜわたくしの知る事ばかりのみを出題されるのでございますか?トビーなら……本物のトビーならわたくしの知らないルーンジュエリア様のエピソードなど百や二百、いいえ!千や二千、いくらでもご存知でございましょう!」

「さすがに千や二千は知らないっスよ」


 おどける言葉にエリスセイラは哀しく微笑みます。

 今も昔もこれからも美しいっスね、エリス様。

 トビーの呟きが少女の耳に届きます。

 エリスとはわたくしでございますか?それとも別の方でございますか?

 自分の言葉が胸のうちで発したのか、唇から漏れ出たのかすら少女には分かりません。

 トビーは言葉を続けます。


「ですが、そうですね。多分俺はそう言うことだと思うっスよ」

「トビー……」

「セイラ殿。どう言う事だ?」

「バンセー殿下。つまり俺は、エリスセイラ様の思い出の中にある幻って事っスよ」

「幻だと!お前がか!」

「らしいっス」

「トビー」

「だけど俺は、エリスセイラ様のお記憶を存じているからこそ俺は、また会えて嬉しかったっスよ」


 その言葉は少女を泣かせます。

 流れる涙で視界がにじんでもエリスセイラは涙をぬぐいません。

 その間に相手が消えてしまうのではないかと、それを恐れます。


「やはり偽者でございますね。こうも都合良くわたくしが言われて最も嬉しい言葉をささやき掛けて下さるなど、涙があふれてまいります」

「そうとも限らないっスよ?エリスセイラ様がご存知の俺は本物でも間違いなくこう言うっス。エリスセイラ様」

なんでございましょう?」

「また会いましょう」

「はい。お約束いたします。こんな幻の世界ではなく、あの、本物の世界で」

「じゃあエリスセイラ様は確信したっスね?」

「はい」


 少女は青年の目を見つめました。


「この世界は偽物です」


 エリスセイラは首を縦に振ります。

 トビーは優しくうなずき返します。

 バンセーは二人を温かく見守ります。

 南中に輝く太陽はまぶしく三人を照らします。

 その強い光は白く世界を塗り替えていきました。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

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