087 標15話 エリスセイラ・哀しく美しくですわ 5


 ブルーベリー商会のあきない馬車は月に一度ジェントライト領へやってきます。

 トビーはそれに合わせてエリスセイラへのお目通りを願い続けます。

 その甲斐あってか無かってか、三度目ではすでに友人として領内を散歩しながらルーンジュエリアの噂話を交わし合うところまで親密な関係を築いていました。

 常にトビーの後ろ姿を目で追うエリスセイラをリリーアンティークは微笑ましく見つめています。

 ブルーベリー商会の馬車隊が帰ったその夕方、リリーアンティークは自分のあるじに促します。


「セイラ様。お館様にお願い申し出てトビー様にジェントライトへの仕官を命じられてはいかがでしょうか?」

「仕官でございますか?」

「はい。トビー様がセイラ様に近付いたのは、なんらかの目的があるだろうとは推測します。ですがトビー様はセイラ様に対して十分な尊敬と親愛の情をお持ちであり、それを疑う必要はないと考えます。

 トビー様の目的がジェントライトへ仕官しても叶うものであるのならば、彼にとっても十二分に魅力的な選択肢と成り得ませんでしょうか?」


 これを聞いてエリスセイラは呆れ返ります。

 下心があって近づいた者を信用するとか、良くもまあ懐柔されたものでございますと感心します。


「リリーもずいぶんとはっちゃけた具申をするものでございます。それは相手が間者や間諜だと判っていて雇い入れる、まるでルーンジュエリア様のような大胆さでございます」

「やはり私は浅慮でしょうか?」


 経験を積んだように感じても自分はまだ十二歳。

 見過ごし見落としがあるのだろうかと再考を行ないます。

 ですがおのれの浅知恵では何も思いつきません。

 だから自分の主人の言葉を待ちます。


「確かにトビーとの会話はわたくしの心を和ませてくれるものでございます。ですが価値観が同じと言うのは危険でございます。何故なら同じ事を考え、同じ判断をする者たちは同じ種類の間違いをするものでございます。

 確かに物を作る時はわざわざ同じ判断をするように努力してございます。けれども領地経営では多方面から見る目こそ大切でございます」


 林業、農業、工業、水産業。

 生産、製造は同じ事をして同じものを作ります。

 逆に言うと違うものができては困ります。

 一つの目標を目指す時は判断の相違が無い事こそ好まれます。


 対して臨機応変が必要な状況では判断が同じでは失敗する事があります。

 トップダウンは大切だけれども、それが間違っていた時に正せる環境を常日頃から準備しているかが課題です。

 鶏と卵と同じくらい堂々巡りな問題です。


「んー。知識や経験があれば失策は防げるんじゃないですか?」

「同じ価値観とはその複数の知識や経験が一つの意見だけを正しいと判断するのでございます。最良の方法とは目標への最短距離でございます。その目標そのものが間違っていた時、誰がそれを指摘できるのでございますか?誰一人ございません」

「そこはトビー様以外の方に期待するんですよ」

「トビーに他意が無ければそれも善しでございましょう」


 エリスセイラはトビーの笑顔とその語り草を思い出します。

 それは彼女にとって心温まるものです。

 自分をエスコートする時に差し出される手の温もりをエリスセイラは思い返します。


「ですがトビーにはほかに思いがございます。なればこそジェントライトへ招き入れるには躊躇ためらいがございます」

「んーと。それなんですけれど、セイラ様。おかしいとは思いませんかあ?」

「何がでございましょう?」

「なぜ、トビー様はセイラ様に近づいたんでしょう?普通はルーンジュエリア様だと思うんですが?」

「からめ手ではございませんか?将を射んとすればまず馬からでございます」

「今、ルーンジュエリア様に近付いている人って誰もいませんよね?ルーンジュエリア様をすっ飛ばしてセイラ様単独狙いである事がおかしいと思います」


 どう考えても裏がある!

 そう考えていたけれども実際には裏なんか何も無かった、と言うのはとても良くある話です。

 しかし人間が自分の間違いを認める事は大変難しい事です。

 だからこそ価値観の違う仲間が必要なのです。

 こんな時エリスセイラは、ルーンジュエリア様ならどう動くでございましょうか?と思考します。

 これによって男爵令嬢は自分自身を外から見つめる事ができるのです。

 考えすぎて無い裏を探っているエリスセイラは、トビーにどう対応すべきかと言う問題に対して答えを見つけられずにいます。

 それゆえに仲の良いお友達で終わらそうと考えています。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 それから一月ひとつきが経ちました。

 今日はエリスセイラがトビーと出会ってから四回目のブルーベリー商会来訪予定日です。

 馬車隊が見えたとの知らせを耳にした男爵令嬢は父親が不在の執務室へ入り込んで窓越しに馬車の姿を眺めます。

 馬車が門を抜けるのを見届けると、スカートをひるがして階下へ駆け降ります。

 そこで目にしたのは荷物を下ろすトビーの姿です。


「ちーっス。今日は珍しいものを持ってきたっスよ」

「これはこれは、よく来ましたトビー。珍しいものとはどの様なものでございましょう」

「花っス。都合よく咲いてくれるかと心配してたんっスけど、上手うまい事咲いてくれたっス」

「花でございますか?」

「ふふーん。聞いて驚け、見て腰抜かせ。これは蘭の王様っスよ」


 最初の出会いこそ他人行儀な言葉を話していたトビーでしたが、二回目には普通に使う砕けた言葉のボロを出し始めて四回目となる今日は隠す気も初めから無くなってしまっている様です。

 これにはエリスセイラばかりではなくリリーアンティークも苦笑いです。

 令嬢とは言え貴族に対して軽口をたたくなど、ジェントライト男爵に召し抱えの希望を打診するどころではありません。

 

「どうっスか?」

「これは、なんと美しい蘭でございましょう!」

「この花の名前は『プリキュア』っス」

「プリキュアでございますか?」

「そうっス。俺が知る、最も大きな花の美花蘭っス」


 マリリンモンローと言う品種名の大型シンビジュームがあります。

 多くの人は、そのピンクの花は名前によって有名であり人気があったのだろうと考えます。

 ですがそれだけではありません。

 シンビジューム・マリリンモンローは、その巨大輪花の美しさで有名だったのです。

 そしてシンビジューム・プリキュアはマリリンモンローを超えるサイズの巨大輪白桃花です。


 その美しさにエリスセイラは心をおどらせます。

 しかしふと考えます。

 気になるのはかぐわしいながらも力強い芳香です。


「この蘭は香りが強くございます」


 彼女はまだ八歳とはいえ、女性です。

 風呂につかる習慣のないウエルス王国では男性ですら香水に慣れて馴染みがあります。

 ですが彼女の慕うルーンジュエリアは風呂のお湯で手足をふやかす事を殊の外、気に入っています。

 鮮烈な香りよりもおぼろに漂う花のこそ好みます。


「これではルーンジュエリア様がお喜びになられませんでございます」

「はあ?なんしてッスか?」


 花に関する貴族女性の好みは大きく二つに分かれます。

 せいぞうです。

 自然の花は美しくて当然。

 だからこそ人工美である格調高き美術工芸品の、造花こそ評価が高く重く用いられています。

 ですが常に同じ美しさの造花よりも、時と共にその美しさを変えるせいをルーンジュエリアは愛する事をトビーは知っています。

 だからこそ男爵令嬢に対して疑問の言葉を投げかけました。


「うふふ、これは異な事を。トビーともあろう者がのお方のお嫌いなものをご存じないのでございますか?笑止千万でございます。

 ルーンジュエリア様は匂いがある花をお嫌いでございます」


 そうエリスセイラは答えます。

 けれどもトビーはその間違いを正します。


「違うっスよ?ルーンジュエリア様は強い香りを苦手とされているだけっス。香草油さえ、お気になられるとか聞いたっス。唯一の例外は食欲をそそる香りだけっス」

「あらあら。わたくしは共にルーンジュエリア様と薔薇庭園を散策したおり、確かにその口からつぶやかれた嘆きを耳にしてございます」

「エリス様。そのルーンジュエリア様が薔薇や百合をこよなく愛されている事はご存じっスよね?

 あのお方は『嫌う、避ける』ではなく、それを含めて愛し克服する事こそ望んでおられます。ちなみに一番お好きな香りは肉ではなくて魚の焼ける匂いっス」

「魚でございますか?」

「そうっス。山育ちのせいか、海のものより川魚がお好きだそうです」

「はて?ルーンジュエリア様が海の魚をお食べになられた事がおありとは聞いておりませぬ」

「ああ、リーザベスです。ですが干物ならホークスでも食べている筈っス。てか、うちの商会が持ってきた干し魚をエリス様は、お食べになった事がないっスか?」

「うふふ。記憶にございませぬ」

「ご賞味ください。おいしいっスよ」


 トビーの土産であるランの鉢植えをエリスセイラは眺め続けます。

 そのエリスセイラをトビーは見つめています。

 そんな二人をリリーアンティークは温かく見守ります。



 二人はジェントライト邸の裏手にある丘の上へ移動します。

 徒歩での移動中は畑に生える作物の出来具合や山の恵みに関する話題で話は盛り上がります。

 見下ろすジェントライト領はどの畑も青々としています。

 ウエルス王国の農業では畑を休ませると言った考えはまだ存在しません。

 ある畑すべてを利用した農作を行なっています。


「今年もトーキビは豊作見たいっスね」

「はい。ジェントライトは黒麦と雑穀しか育たぬ土地でございます。百合根と長芋があるだけでも良しとすべきかと」

「ああ。アレキサンダリウムは見つかっていませんでしたっけ?」

「魔鉱石でございますか?」


 エリスセイラはトビーの言葉に軽く笑みを浮かべます。


「残念ながらジェントライトに魔鉱石はございません」

「あるっスよ」

「え?」


 相手の言葉に驚いたエリスセイラはトビーの顔を見上げます。

 トビーはエリスセイラを見つめ続けます。


「ジェントライト領に魔鉱石はあるっス」

「その様な話を、わたくしは聞いた事がございません」

「今は見つからなくても、あと三十年もすればきっと見つかるっス」

「トビーは、まるで見てきた様な事を言うのでございますね」


 トビーの軽口はエリスセイラの心を豊かにします。

 そうなってくれるならば嬉しいものでございます。

 陽が傾き始めたジェントライト領をエリスセイラは眺めます。

 そうしてからもう一度トビーの顔を見つめます。

 そんな少女にトビーは言葉を続けます。


明日あした何が起こるかは誰も知りません。まして三十年先の未来に何が起こるかとか、ルーンジュエリア様にも分からないっスよ」

「そうでございますね」


 エリスセイラは相手の顔を見上げます。

 自分が見つめられている事に気づいた相手も彼女の瞳を見つめます。

 その姿のまま、エリスセイラはトビーに問い掛けます。


「トビー。ジェントライトに来ませんか?」


 もしもこの言葉を二人の後ろに従うリリーアンティークが耳にしたなら、その顔をほころばしたかもしれません。

 ですが彼女にエリスセイラの言葉は届いていません。

 一方、すぐ隣にいたトビーは驚きの表情でエリスセイラをみつめました。


「いいっスね」


 ですがすぐに穏やかな笑みを浮かべます。

 彼にはそれを受け入れる事ができません。


「けど、だめっス。嬉しいけど、だめです」

「何故でございましょう?」


 エリスセイラはトビーの手を取ります。

 取った手を両手で優しく包みます。


「トビー。わたくしに応えてはくれませんか」


 哀しげな瞳でトビーは赤毛の美しい少女を見つめます。

 ですがいつまでたっても彼は少女に答えません。

 それは彼にとって応える事ができない言葉でした。

 代わって応えたのは一本のロック・ジャベリンです。

 森から飛んできたそれは、エリスセイラへ向かいます。


「危ない‼︎」


 逸早いちはやく風切り音で気づいたトビーは少女を引き寄せ、ロック・ジャベリンを手刀ではたき落とします。

 ですが彼は気づきませんでした。

 ロック・ジャベリンの後ろから影の様に一本の矢が飛んできていました。


「トビー……トビー‼︎」


 左肩に矢は突き刺さります。

 ああ、何故わたくしは治癒魔法術を習得していなかったのでございましょう。

 エリスセイラの脳裏に悔恨の念が湧き上がります。


「トビー!気を確かに!」

「大丈夫ですエリス様、俺は大丈夫っス!」


 止血の都合上、矢を抜く事は得策ではありません。

 毒矢でない事を祈るばかりです。

 そんな時、エリスセイラは森から人が現れた事に気づきます。


「なにやつ!」


 その数六人、全員がフルアーマーの鎧で身を固め、兜とバイザーで顔を隠しています。

 ですがここで問題が生じます。

 エリスセイラはその鎧を今までに見たことがありませんでした。

 整然と並んで行進する様は明らかに騎士団のものです。

 けれどもそれはサンストラックを始めとする、彼女が知るウエルス王国のどの騎士団のものでもありません。


 しかしトビーは彼らを知っていました。

 おののき震える声でその名を口にします。


「……ベール騎士団」


 それは彼が知る限り、ここには居る筈がない騎士たちでした。

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