086 標15話 エリスセイラ・哀しく美しくですわ 4


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 エリスセイラがトビーの応接を終わると同時にリリーアンティークは馬を走らせます。

 目指すは領都ホークスにあるサンストラック邸、運ぶものは一通の手紙です。

 もう日暮れは早い季節で、帰りは暗くなっている時刻です。

 街灯などという気の利いた物はありません。

 あるのは月明りと星明りです。

 ですが馬を使わせればジェントライト領にリリーアンティークを超える者はいません。

 たとえ闇夜であろうとも彼女であれば馬を駆れる。それに疑問を持つ者は一人もいません。


 リリーアンティークは坂道を駆け上がります。

 リリーアンティークは坂道を駆け下ります。

 ジェントライト領からサンストラック領へ続く道は街道とは名ばかりの、程度の良い山道です。

 七つの峠を上り、下ります。

 夕日が届かない山陰やまかげの闇の中を、疾風はやてのようにリリーアンティークは駆け続けます。


 日暮れ後に到着した早馬リリーアンティーク便に門番たちは驚きます。

 見知った顔ですからフリーパスで玄関へと駆け込みます。



「もし。失礼いたします」


 夕食どきで家族揃った団らんの中にその手紙は届きます。

 ロベリアが食堂へ持ち込んだ手紙はユリーシャの手をてルーンジュエリアに渡ります。

 お嬢様はそれを読みながら人差し指で頬をはたき始めます。

 それをシルバステラが気にかけます。

 お嬢様のその癖は大きな悩み事を抱え込んでいる証拠です。


「バカ娘。どうかしたかい?」

「セイラからお茶会の招待状が届きましたわ」

「お茶会かい。いいんじゃないの。行って来な」


 その言葉にルーンジュエリアは肩を下げて感謝を示します。

 椅子に座ったまま膝を折る様なイメージです。

 かなりだらしない動作ですが、家族だけの場で母親に対してですからぎりぎり許されるかなーと言った状況です。

 そしてテーブルに向き直ると再び手紙を読み始めます。

 その指は無意識のうちに、再度頬をはたき始めます。


 お嬢様は意を決すると隣に座るルージュリアナに体ごと向きます。

 令嬢らしく浅く腰掛けているので、椅子を引かなくても体を回すくらいのスペースは十分にあります。


「お母様。食事を中座してジェントライトへ出かけてもよろしいでしょうか?」

「何故ですか?母が分かるように説明しなさい」

「友人が今すぐ会いたいと願っている。ジュエリアにはそう思えてならないからですわ」


 ルージュリアナは娘の顔を見つめます。

 ルーンジュエリアも母の顔を見つめます。


「帰りは暗くなっていますが、転移は大丈夫なのですか?」

「ご安心ください、ここはジュエリアの家ですわ」

「母は起きていますから、遅くなっても帰って来るなら連絡をしなさい。すでに夜は更けていますから向こう様のお許しも必要です。それらができるのであれば許しましょう」

「ありがとうございます、お母様。ジュエリアはお母様とのお約束を守りますわ。コレクト」


 ルージュリアナの許しを得たルーンジュエリアはエリスセイラへ遠距離念話の魔法術を起動します。



 ジェントライト邸の中庭に着地したルーンジュエリアを出迎えたのはエリスセイラの明るい笑顔です。

 花開くその笑みはお嬢様の胸の内に芽生えていた全ての不安を打ち滅ぼします。

 招かれるままに友人の部屋へ入って、今日入手したばかりの美しい観賞魚を紹介されます。


「ベータですわ」


 それは赤のと青のを合わせて二番ふたつがい、四匹でした。

 ともに雄はひれが長く大きく、美しい姿をしています。

 ルーンジュエリアは四つの容器に顔を近づけ、順番にそれらを眺めます。


「やはりルーンジュエリア様はご存じでございましたか」

「ジュエリアも見るのは初めてですわ。ベータはカムイ大陸にはいないと聞いています。手に入れられたのはセイラの日頃の行ないが良いからですわ」

「もったいないお言葉でございます」


 お嬢様は父の書斎にある本を読んでベータの存在を知っていました。

 本来の生息地はウエルス王国のあるカミイ大陸の海向こう、ナイチェリア大陸の遙か南です。

 ベータは美しいうえに丈夫な魚ですからウエルス王国でも裕福な家やそこから分け与えられた子孫たちがペットとして飼育されています。


「ですが初めて見るものですので飼い方が分かりません」

「ブルーベリー商会の者はなんと言っていましたの?」

「最低温度は絶対に凍らない温度より少し温かい状態。餌は口が小さいのでボウフリの様に小さい物。無理に生餌でなくても肉でも構わないとか。但し獣脂は消化できないので餌に数えず。空気を直接呼吸できるのできれいな水があれば問題なし。自分の糞や尿が水に溶け出すと害があるので水草や根のある植物を入れておくと好ましいとか?」

「ここに差してあるヨシは水質改善の為のものですの?」

「はい」

「おおむね間違っていませんわ。丈夫な魚ですからそれだけでかまいません。述べ足すとすれば繁殖方法ですわ」

「繁殖でございますか?」

「ふみ。増える様を目にすれば愛らしさも一入ひとしおですわ」


 ルーンジュエリアはガラス容器に入ったベータを眺めます。

 笑みを浮かべるその横顔をエリスセイラは見つめます。

 お嬢様の笑顔が伝染したのか、男爵令嬢もいつの間にか笑顔です。


「春や秋の適度な水温の季節になると雄が水面に泡で巣を作りますわ。そこに雌を入れると卵を産み、数日で子供が孵ります。すると雄は子供が大きくなるまで見守るのですが、雌を子供を襲う敵とみなして追い払いますから入れ物から取り出します。

 あとは雄が子供の世話をやめるまで入れておけばいいですわ」

「泡で巣を作るのでございますか?」

「ふみ。この小さな口で作る泡に卵を産むのですから孵る子供も丸まってその大きさ、伸びてもその二倍くらいの小さなものですわ」


 するとここでエリスセイラが意外な一言を告げます。


「ではルーンジュエリア様。名付けをお願いいたします」

「ふみ?ジュエリアが名前を付けるんですの⁉」

「お願いいたします」


 これにお嬢様は困り果てます。

 そんな都合良く、四つも名前は出てきません。

 誤魔化そうかとも考えますが、男爵令嬢の自分を見つめる期待の籠もったつぶらな瞳にそれを思いとどまります。

 そんな時、ふと前世の記憶が引き出されます。

 ベータ。

 その磁気情報記録密度は漫画の原稿に塗るベタの様に真っ黒く隙間なく、その量は最大値・マックスですわ!


 などと考えますが、とりあえずビデオの話は置いておくようです。

 ルーンジュエリアはエリスセイラのペットにふさわしい名前を思考します。

 ベータと言えば、何かがあった筈です。


「――ベータですから、ウィンドウ……セブン!セブンがいいですわ!」


 お嬢様はベータに関係した素晴らしい名前を思いつきます。


「赤の雄と雌がセブンとエイト。青の雄と雌んたがハッテンイチとテンですわ」

「セブンとエイト。なんと響きの良いお名前でしょう。セブン。エイト。ハッテンイチ。テン。今日からはそれがあなた方のお名前でございますよ」


 お嬢様は親友が喜ぶ姿を見る事で、自分がイベントをクリアした事に気づきます。

 そして目の前に置かれた容器の中を泳ぐ魚を眺めながらルーンジュエリアはだらだらとたわいない言葉を繰り出します。

 エリスセイラはトビーから教えられた情報を基に深い会話に付いていきます。


(トビーが言った通りでございます。事前に情報を精査しておいたおかげでルーンジュエリア様を興冷めさせる事無く楽しませる事ができましてございます)


 日が暮れた事にも関わらず、自分の出した手紙を読んで駆けつけてくれたお嬢様に男爵令嬢は感謝の気持ちが溢れます。

 そして今度は自分の番とばかりに今日の出来事を延々と話し続けます。

 ルーンジュエリアは優しいまなざしで親友の明るい言葉を聞き続けます。

 すでに子供が寝る時間は過ぎていますが、ここにいる客はジェントライトのあるじ筋であるサンストラックの令嬢です。

 エリスセイラの後ろで控えるリリーアンティークは主人の夜更かしを気にしながらも、それを口には出しません。

 自分の主人は例え眠くても明日あすはきちんと朝から起きるだろうと信じているからです。


「そうそう。ルーンジュエリア様のお作りになったドレッシングがあれば、ただのサラダが主菜に昇格なされるとか。ぜひともご相伴に与かりたいものでございます」

「ふみ?どうしてセイラがドレッシングを知っていますの?」

「それもトビーから聞きましてございます。まったく、あの者はまごう事なきジュエリアマスター。このわたくしが恥ずかしくも嫉妬してございます」

「ジュエリアマスター?なんじゃそりゃ?」

「ルーンジュエリア様を称える者のみが授かる称号にてございます」


 エリスセイラは嬉しそうに、今日知り合ったばかりの同じ価値観を分かち合う男性について語り続けます。

 お嬢様はその楽しそうな笑顔を見て心から喜びます。

 何故なら親友の幸いは自分の幸せなのです。

 ですがそんなお嬢様は男爵令嬢の言葉に不可解な違和を抱いていました。

 ジュエリアマスターなどと言う意味不明な言葉は置いておきます。

 その称号にはもの凄く心に引っかかる所がありますが、あえて目をつぶります。

 問題はドレッシングと言う単語です。


(おかしいですわ。ジュエリアはマリーネオイルをドレッシングと呼んだ事は無い筈ですわ)


 お嬢様が作っている味噌や醤油はまだ十分なおいしさに到達していません。

 けれども真実を知っているのはお嬢様の知識だけです。

 これを食べるサンストラックやフレイヤデイ、ジェントライトの人々は新たに現れた調味料を十分に美味しく頂いています。

 ですが事実を知るお嬢様はこれに満足できず、先に酢と油をベースにしたマリネ用のたれを開発しました。

 これこそがマリーネオイルであり、マヨネーズすらその一種類と言う扱いです。


 しかしここで話は噛み合わなくなります。

 ブルーベリー商会のトビーと名乗る男はマリーネオイルをドレッシングと呼んだと言います。

 だからこそ、ここでルーンジュエリアは一つの推測を立てました。

 ちょっと信じられない話ですが、こう考えるのが一番納得できると言う仮定です。


(サラダにかけるたれをドレスすると表現するのは誰でも考え付きそうな言葉ですわ。おそらくトビーか、トビーに教えた誰かがマリーネオイルの名前を勘違いしたのですわ)


 お嬢様にとって自分が知っている事や思い付いた事などはほかの誰もが思い付いておかしくない、しごく有り触れた話です。

 自分だけが特別である、と言う発想はルーンジュエリアの頭の中にありません。

 だからドレッシングの名前は偶然の一致だろうと考えます。


(それにしてもジュエリアマスターと言う呼び名はどうにかなりませんの?)


 お嬢様はエリスセイラが自分の事を根掘り葉掘り聞き出している様子には気付いていました。

 ですが自分の親友以外にもそれに相当する仲間がいる事は驚きです。

 まだまだ八歳の子供であるジュエリアには別に隠さなければならない大きな秘密はありませんわ!――と、お嬢様は考えていました。


「ふみー。セイラもジュエリアと記憶の交換をしてみますか?セイラであればジュエリアは拒みませんわ」


 ルーンジュエリアの突然の申し出にエリスセイラは焦ります。

 彼女にとってお嬢様は神聖にして冒すべからずな存在です。


「まさか!記憶の交換とはコア・イントロダクションでございますか⁉」

「ふみ。すでにリア様とは行なっています。かまう理由はありません」

「なんともったいないお言葉!されどそれは恐れ多くございます」

「けれど、それを断るのはセイラにとって痛ましいのではありませんの?」

「こればかりはやらずに後悔したくございます」


 本当に大切なものはそこにあるだけでいい。

 手元に持つのは自分が壊しても後悔しないものだけでございます、とエリスセイラは考えます。


「その気になればいつでも言いなさい。ジュエリアは待ってますわ」

「ありがたき幸せにございます」


 男爵令嬢はスカートをつまむと深く長く膝を折りました。




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