070 標13話 リア様補完計画ですわ 1
この日のサンストラック邸は緊張に包まれていました。
ルーンジュエリアが魔法術で実父ポールフリードの記憶を読み取ると言う一大イベントの決行日です。
万一の事を考えてフレイヤデイ侯爵を初めとするフレイヤデイ魔法騎士団や魔法術の心得があるメイド達も数多く待機しています。
何故なら厳しい緘口令は敷かれていますので誰も何も噂しませんが、フレイヤデイの関係者には今日行なわれる魔法術の内容がグレアリムスの奇跡だと判っているからです。
グレアリムスの奇跡は魔法術なのか?否か?
今日それが判明します。
それとは別に見守る皆はお嬢様の身体を心配します。
お嬢様がポールフリードの記憶を読み取ると言う事はルーンジュエリアが自分自身の記憶を書き換えると言う事です。
記憶の混濁は起きないのか?
人格に障害は残らないのか?
そもそもこの魔法術は成功するのか?
たとえ失敗しても、お嬢様の記憶を書き換えられない失敗なら問題ありません。
ですが、もしもお嬢様の記憶が消えてしまう形の失敗が起きたらどうなるのか?
これに気付いている者たちだけは異様に緊張しています。
幸いな事はお嬢様の実母ルージュリアナが、気付いていない側の人間である事です。
はっきり理解しているグローリアベルとなんとなく察しているエリスセイラは目を皿にしてお嬢様を見守ります。
「お父様。では、行きますわ」
「うむ。やれ」
「ふみ」
お嬢様は無音空間領域を作る魔法術ゴッド・ノウズを起動します。
ウエルス王国ではほぼ全ての魔法術師が無音空間を作る魔法術としてサイレンスを使います。
ですがサイレンスは音を消す魔法です。
この場所には絶対いないと思いますが、もしお嬢様よりも
これに対してお嬢様が作ったゴッド・ノウズは音を発生させない魔法術です。
簡単に言うと、この魔法術が発動している領域では疑似無詠唱が可能になります。
もちろん疑似無詠唱で魔法術が起動可能な事は事前に何度も実験確認しています。
ですがお嬢様が本当に心配している事は別の事でした。
元々グレアリムスの奇跡は記憶転送魔法術です。
つまりコピーではなく、コピー元を消してしまうムーブです。
自分が作った魔法術に呪文の
これが最悪の想定です。
お嬢様にとって自分の人格が消える事なんかは問題にすらなりません。
愛する父の体に異常が起きないよう、細心の注意を払い続けます。
椅子に座る父の頭をルーンジュエリアは後ろから両手で挟みます。
そして呪文を詠唱します。
口の動きが見えない様に父の頭の陰にしゃがみ込んで隠します。
左右の壁役はグローリアベルとエリスセイラに任せています。
暫くしてお嬢様は父の陰から立ち上がりました。
ルーンジュエリア達、四人が居る場所に音が戻ります。
「お父様。お体は大丈夫ですか?」
「うむ。記憶に異常がないか
「ふみ。お心遣いを感謝いたしますわ」
お嬢様はゆっくりと記憶の確認をします。
まずは最愛の父についてです。
表面上をさーっと思い返しますが、特に何もありません。
ただ一つの違いはポールフリードが持っていた思い出も自分の事の様に思い出せるところを面白く感じます。
次にグレ-スジェニアです。
お嬢様はまだ若い母に迫られた様子を我が事として思い出せる事に苦笑します。
そう言えば父が結婚を決意したのは母の猛烈なアタックだと聞いています。
らしいと言えばらしいのですが、思い浮かぶ中に色仕掛けをされた思い出は全くありません。
自分と結婚するとどんな利点がサンストラック家と父にあるかを延々と説得された記憶だけです。
シルバステラとの思い出も
婚前交渉を持ったルージュリアナに対して責任を取れ、損はさせない、あたしも結婚してやると中々の剣幕です。
妻でありながら冷たい目で見つめるグレースジェニアと、恥ずかしそうに
最後にそのルージュリアナに関する記憶を探ったお嬢様は固まります。
あわあわと口を開け閉めして母を見つめようとします。
ですがそれができません。
自然と目が泳ぎます。
「うむ?どうかしたのか、ジュエリア」
お嬢様の様子に最初に気付いたのはポールフリードでした。
けれどルーンジュエリアの目は泳ぎます。
父の顔も見る事ができません。
「ジュエリア、どうかしたの?」
「どうした!バカ娘、大丈夫か!」
「みんな、待ちなさい!
ジュエリア?気分を落ち着けなさい。息は楽にできますか?」
「大丈夫ですわ、ジェニアお母様」
三人の母たちも心配しますが、お嬢様はそれを押しとどめます。
そして五回ほど深く呼吸して息を整えます。
「ちょっと記憶と違う所があったので取り乱しただけですわ」
本人であるお嬢様にとっては大した事ではないのでしょう。
軽く言い捨てます。
ですが傍観者である母たちやみんなには大事件です。
当然の様にフレイヤデイ侯爵も寄って来ます。
「お待ちください。わたしがユーコと話します」
家族とでは話しづらいのではないかと、すぐそばに居た友人代表グローリアベルが声を上げました。
エリスセイラはその後ろに従っています。
子供は子供の方が話易かろうと大人たちは席を外します。
と言っても場合が場合ですから遠巻きにしたまま目は離しません。
「ユーコ。どうしたの?」
「申し訳ありませんリア様。ジュエリアは記憶が混濁していますわ」
「記憶の混乱?やっぱ二人の記憶がぶつかって思い出せない事があるの?」
「逆ですわ。お父様とジュエリアの記憶が混ざり合ってどっちがどちらかを判別できないだけですわ」
それを聞いたグローリアベルは慌てます。
何故ならルーンジュエリアから念を押されていた内容に触れるからです。
記憶とは環境と教育の結果であり人格そのものですわ。だから記憶の混濁はジュエリアがジュエリアのままでお父様と全く同じ考え方しかできなくする可能性をはらみます。それはジュエリアの人格が消える事さえ含みますわ。
事前にそう言われていたのです。
「だけって、それはかなり不味い事じゃない!」
「ルーンジュエリア様。具体的にはどう言った内容でございましょうか?それを知る方々に確認を取る事が出来るならば、解決するものと考えるしだいでございます」
「ふみ。セイラの提案は正解ですわ。ジュエリアはそれを行ないますわ」
と、意気込んで家族の方を向いたお嬢様ですがその足が進みません。
侯爵令嬢と男爵令嬢は横からその顔を覗き込みます。
「ユーコ、どうしたの?聞いてみるんじゃないの?」
お嬢様は一度俯いて、もう一度顔を上げました。
まだ決心は付きかねているようです。
「ふみー。誰に聞くべきかで悩んでいますわ」
「それは簡単ね。ユーコが信頼できて、間違いなく事実を覚えている人に聞くべきよ」
「ルーンジュエリア様。その様な方はここにおられますでございますか?」
「居ますわ。ジュエリアは訊いてみますわ」
基本的なスタンスが八方美人なお嬢様は親友二人に心配を掛ける事を良しとはしません。
自分が動く事で友の心労が晴れると言うのなら動かずしてなんとしましょう。
その足は母に向かって進みます。
迎える母も娘の事が心配です。
その緊張を隠しません。
「ジュリアナお母様。ジュエリアはお聞きしたい事がありますわ」
「なんでしょう。母が知る事でしたら、母は包み隠さずそれをジュエリアに教える事を誓いましょう」
「ありがとうございます、お母様。もしもこの記憶が事実であればジュエリアの魔法術は成功した事の証しですわ。
お母様にお訊ねしたいのはお父さまについてです」
「うむ?俺の事か?」
「ですわ。お父様についてです。ジュエリアが知る筈の無いお父様についてですわ」
気を使ったポールフリードはルージュリアナのすぐ横に並びます。
逆にグレースジェニアとシルバステラは二人のの後ろへ下がります。
幸いな事に彼の方は記憶に問題を感じていないようです。
お嬢様は真っ直ぐに母を見つめて訊ねます。
「初めての夜。お父様が忍んだとジュエリアは聞いていましたわ。ですが場所はお父さまのお部屋だったんですの?」
娘の問い掛けを聞いたルージュリアナは、まず
それは質問の内容が漠然としていたからです。
ですがふいに気が付きます。
その内容は全く漠然としていません。
そのものずばりを訊ねています。
横に立つポールフリードもその内容を正しく理解します。
二人揃って娘から目を逸らしてしまいました。
「ごめんなさい、ジュエリア。母はその事について詳しく知りません。力になれない母を許しなさい」
「いえ、お母様。ジュエリアは自身の魔法術が成功した事を確信しましたわ。お答えの必要はありませんわ」
俯きながら頬を赤らめ、上目遣いに呟く母の言葉をお嬢様は受け止めます。
どうやら自分がこれまで耳にしていた内容の方が間違いだったと確信できました。
これでお嬢様は一安心です。
ですがここに安寧を奪われた方がおりました。
むかしむかし、とある男爵令嬢に手を出した夫を糾弾した過去を持つ奥方様です。
「ルージュ!」
「はひ、っ!」
ルージュリアナは後ろから呼ばれる声に振り向きもせず、背筋を正して答えます。
何を緊張しているのでしょうか?
体が強張っているようにすら見えます。
「
「……分かりました」
「あー、グレースー、いいかな?」
「はい、なんでしょう?」
そんな自分の背後で、幼馴染で親友な第二夫人の声がしました。
第三夫人は助け船を期待します。
ニ対一ならどうにかなりそうです。
「ルージュと話しする時にあたしも立ち会いたい。いいかな?」
「そうですね。これはあなたにとっても大切な話でしょうから構いません。
いいですね?ルージュ」
「ぶー」
ニ対一になってしまいました。
ルージュリアナは唇を尖らせてぶーたれます。
ですが背後から掛けられる言葉は変わりません。
「返事は?」
「分かりました」
ルージュリアナはしょぼくれた姿で後ろを向きます。
そしてグレースジェニアに向かって答えます。
シルバステラはそんな親友をうっちゃって、娘の方に声を掛けます。
「ジュエリア。他に思い出した事はあるかい?」
「ふみ?手引きはハニー・オブ・バイパースとリサ・オブ・ブロンクスですわ」
「はあ?娘たちですか?」
これにはグレースジェニアの後ろに居たリナ様が声を上げます。
それを聞いたシルバステラは実母をかばう娘の援護だろうと推測します。
グレースジェニアへ目を向けると、当の本人からも目で合図されます。
ああ、向こうも気づいたか。
ため息を吐く第一夫人を見ながらそう思います。
「ああ。確かにあの頃当家で働いていましたね」
「申し訳ございません、お
リナ様はグレースジェニアの輿入れに付いて来たお付きメイドです。
その自分の娘たちが他の令嬢を手引きしたとか、あるじに対して申し開きはできません。
ですがグレースジェニアはそんな事を気にしません。
心を痛める自分の侍女を擁護します。
「構いませんリナ。古い話です」
「有難うございます、お
「そうよね!古い話だものね!」
「貴女は駄目です」
「ぶー」
記憶を読み取られた側のポールフリードには問題は無さそうです。
魔法術が正しく発動されていれば、記憶の書き換えはありません。
けれども記憶を読み取った側であるお嬢様は魔法術とは別に、記憶そのものの混濁が障害を引き起こす可能性を持っています。
故に一晩の安静を取る事になりました。
フレイヤデイ侯爵家の方々は二泊して
グレアリムスの奇跡はフレイヤデイにとってそれほどの重大事なのです。
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