015 標3話 お姉ちゃん育成計画ですわ 2
「もし」
キサラがエリザリアーナの部屋の扉をたたきました。
ルーンジュエリアは不安げにその様子を見つめています。
「もし」
キサラがもう一度扉をたたきました。
内開きのドアが開かれてメイドが姿を現します。
「クララゼタさん。ルーンジュエリア様がお越しになっていますが、エリザリアーナ様は如何されているでしょうか?」
「それが、ご自分が人参が食べられない事がいけないのだとご自身を責められております」
まだ五歳の子供のお付きメイド。
クララゼタもそれなりに百戦錬磨の達人です。
「クララゼタ。ジュエリアが入っても大丈夫でしょうか?」
「恐れ入ります。一寝入りしましたらご気分が落ち着くと思いますのでお待ちください」
「ふみ。リアナをお願いしますわ」
ルーンジュエリアは不安げな眼差しを隠せません。
「大丈夫だと思います。別に駄々をこねている訳ではありませんから、夕食前には立ち直るものと思います」
「そうですわ、クララゼタ。ちょっと換わりなさい」
メイドと場所を入れ替わって明るい声で呼びかけます。
「リアナー。ごめんなさい、ジュエリアお姉ちゃんですわー」
部屋は二十坪くらいで、こじんまりしています。
それほど大きくありません。
「人参なんか食べなくても大丈夫ですわー。今日の晩御飯はジュエリアお姉ちゃんが人参よりももっと美味しくて、もっと栄養がある料理を作りますわー。
だからリアナには夕食を楽しみにしていて欲しいですわー」
返事は帰ってきません。
思わず気落ちします。
「ふみー」
と。
「はい‼︎」
「ふみ!」
たった一言でいいのです。
それで心は伝わりました。
まだ八歳のお子様なお嬢様に明るい笑顔が戻りました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それではこれより、お姉ちゃん育成計画を開始しますわ」
調理予備室にルーンジュエリアの声が広がります。
屋敷には領主一家を含めて五十人以上がいます。
仕事の都合もあり、食事は何人かずつ分散して行なわれます。
一番大きな集団が領主家族です。
ですが何らかのパーティー等があると一回分の同時食事人数は百人以上。
調理予備室が必要になります。
今日の昼食は料理長抜きで仕込み中です。
「はい、そこ、拍手ー」
目の前の二人を指さすと、二人が小さく拍手します。
「初回である今回は特別監査役としてグランブルに見ていて頂きますわ。二人とも会話は自由にやって構いませんわ。グランブルには料理長としての
「お忙しい所申し訳ありません、グランブルさん」
「あー構いませんよ。ここの管理は私の仕事ですから。それにジュエリア様には釘を刺されましたからね」
調理場に椅子を持ち込み座っている二人が雑談します。
何が始まるのでしょうか?
って、お料理ですよね。
「釘ですか?」
「ええ、釘です。お嬢様の作る料理を見たくは無いですか?と。」
「ああそれではしようがありませんね」
「まったくです」
二人は顔を見合わせてうなずき合います。
「では懇談も終わった事でお姉ちゃん育成計画第一弾が始まる訳ですが質問はありますか?」
「あのージュエリア様?」
キサラが小さく手を挙げます。
「ふみ?」
「お姉ちゃん育成計画とは何でしょうか?」
「ふみキサラ、良い質問ですわ。キサラも知っての通り、ジュエリアはテリナとリアナのお姉ちゃんですわ」
上の妹マリアステリナ、下の妹エリザリアーナ。
両方大切な妹です。
区別なんかできません。
本音を言うとマリアステリナは七歳なので区別したいと思っています。
ですがそれを区別できなくて困っています。
差別は同じようなものに順位を付ける事。
区別は違うものを分ける事。
上の妹と下の妹は全く違うものです。
扱いに差を付けなければなりません。
けれどもそんな事は出来っこありません。
だって。
だってだって。
ジュエリアはテリナとリアナのお姉ちゃんですわ。
「二人のお姉ちゃんであるジュエリアは可愛い妹たちにお姉ちゃんお姉ちゃんといつまでも慕われたいですわ。愛する妹に姉として慕われたい、ここ重要です。質問は?」
「ありません」
「可愛い妹もやがては適齢期となり、どっかの馬の骨に嫁いで可愛い赤ちゃんを産みますわ。この時、お姉ちゃんが愛する妹にとって大切なのはお姉ちゃんですか?赤ちゃんですか?はい?」
「……赤ちゃんです」
「そうですわ。でもここは諦めるのが正しいお姉ちゃんですわ。妹を愛するお姉ちゃんとしては次の段階に勝負を掛けます」
「次の段階ですか?」
「次の段階です。赤ちゃんもやがては育って大きくなりますわ。誕生を祝福する姉の来訪を喜んでいた妹も頻繁に遊びに来るお姉ちゃんが煩わしくなりますわ」
「ジュエリア様、お待ちください。可愛い妹が姉の来訪を煩わしく思う事など絶対にありません。これは断言します」
キサラが思わず反論します。
ここだけは
可愛い妹が姉を煩わしく思う事など絶対にありません。
これだけは断言できます、と。
何故ならキサラも一つ下の可愛い妹がいるお姉ちゃんだからです。
けれどもルーンジュエリアの言葉は非情です。
お姉ちゃんの甘い下心なんか粉砕します。
何故ならジュエリアお姉ちゃんは目的の為なら手段を選びません。
実質兼備がお嬢様の座右の銘です。
「甘いです、キサラ。貴女は甘すぎます。妹の性別は女性なんですよ。その心を止めおきたいのならば愛だけでは叶いません。具体的な何かが必要です!」
「ふみ?」
「あのー。グランブルさん?何か」
少し後ろに離れて座っていた料理長が椅子を引きずり寄って来ました。
彼は妻帯者であり、妹と娘がいます。
「あー、いやいやいや、なんでもありません、お気遣い無用です」
二人の視線がグランブルに集まります。
が、それはさておき。
「ではお姉ちゃん講座を続けます。さて妹の家に頻繁に遊びに行くお姉ちゃんですが、来る
「姉の来訪を喜ぶと思います」
「ではその料理がご馳走でとは言えなくとも飛び切り美味しい。しかも来る度に違う料理だとしたらどうでしょう?肉、野菜、魚、麺、パン、スープ、菓子、あらゆる種類が入り乱れて食卓に並ぶのなら妹どころか甥っ子姪っ子も自分の母のお姉ちゃんが遊びに来るのを心待ちにする、違いますか?」
「違いません。その通りだと思います!」
我が意を得たり。
ルーンジュエリアは背筋を正します。
「それこそがお姉ちゃん育成計画の目的です。技術を体得するなら実技あるのみ。頭ではなく体で覚えます。ですが修練の成果を正しく判断するには客観的に見る他人が必要です。
キサラ。貴女にはジュエリアのお姉ちゃん育成計画に付き合う事を命じます」
「判りましたジュエリア様。不肖このキサラ、この身に全てを刻み終えるまでジュエリア様のお姉ちゃん育成計画にお付き合いいたします」
「ふみ、良い覚悟です。キサラ?」
メイドの顔が曇っている事にルーンジュエリアが気付きました。
問われてメイドが答えます。
「申し訳ありませんジュエリア様。覚悟はできましたが果たしてわたしに美味しい料理の体得ができますでしょうか?」
「できます。料理は薬です。同じ材料、同じ分量、同じ手順で作れば誰が作っても同じ味になります。ふみ?」
「あのー。グランブルさん?何か」
料理長はさらに椅子を引きずって耳を寄せます。
いや、特別監査役。
グランブルさんなら軽く聞き流しただけで理解できますよね?
お嬢様はそう思い、キサラも同様に感じています。
「あー、いやいやいや、なんでもありません、お気遣い無用です。お続けください」
「まあいいですわ。お姉ちゃん育成計画第一弾。それは甘い料理です」
「甘い料理ですか?甘味は値が張りますのでちょっとー」
「ふみ。ジュエリアを
「甘味ですか?砂糖以外でしょうか?」
「まず一つは砂糖や甘草、果物などの甘いもの。これは知っていますね?」
「流石にそれは分かります」
「もう一つは偽物の甘味、油です。水油、あー、液体油でも脂肪でも構いません。油が舌に
「はあ、言われてみればその通りですね。確かに油は甘く感じますが甘いのではないのですか?」
「そうですわ。油に甘味は入っていませんわ。ふみ?」
「あのー。グランブルさん?何か」
料理長は黙って席を立つと、料理用の油を指で舐めました。
不審です。
ここまでの話題から何が目的で何をやっているかは分かります。
けれども不審さはぬぐえません。
「……。お続けください」
「えーと。キサラ、煮物と焼き物ならどちらを美味しく感じますか?」
「あえて優劣を付けるのなら焼き物です」
「それは何故ですの?」
「食感……味です」
「何故焼くと味が良くなりますの?」
「分かりません」
ルーンジュエリアが再び講義を始めます。
あー。
黒板、準備すればよかったなー。
「十人十色。百人百味。美味しいには人の数だけ味があります。ですが理由は一つ。焼くと美味しいのは煮るよりも温度が高いからです。これは蒸し物と蒸し焼きを比べてみてください」
「ジュエリア様。蒸し焼きが良く分かりません」
「火で直接焼かずに油などで焼く事です。と言うと語弊がありますわ。蓋をして焼きながら高温で蒸すと言う方が一般的ですわね。今日覚える料理は油を使った蒸し焼き。てんぷらサンライズですわ」
「「てんぷらサンライズ!」」
調理予備室に二人の声が広がりました。
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