016 標3話 お姉ちゃん育成計画ですわ 3


「お嬢様。それはどの様な料理でしょうか?」


 料理長がてんぷらサンライズについて質問します。

 それを一言で言うなら油を使った蒸し焼きです。

 ですが彼はサンストラック邸の食の全てを任されている料理長です。

 そんなありきたりの答えを求めている訳ではありません。

 些細なコツについて教えを乞いているのです。

 この辺りはさすがグランブルだと讃えます。


「グランブルも知っての通り、肉を油で焼く時には小麦粉を振りますわ。これには味を逃がさない事と味を絡ませる目的があります」

「そうなんですか?」

「そうですよ。肉の表面を強火で焼き固める補助ですね。焼いた時に漏れ出る肉汁を減らします。もったいないですからね。加えてソースや溢れ出た肉汁を絡める目的もあります」


 キサラの疑問にグランブルは答えます。

 粉を振って肉の表面を焼き固める。

 一に肉汁を中へ留めます。

 二にソースを絡めます。 

 その二つもありますが、三に食感が良くなります。

 パリッとサクッと焼き上がります。


「さて、油を使って蒸し焼きを作る方法。それは、熱した油の中に食材を沈めてそこに含まれる水分でそれ自体を蒸らす、そういう調理法ですわ。それこそがてんぷらサンライズですわ。

 油は熱湯よりも高温である。この特性を利用します」

「んー。料理人には知っていて当然の事ですが、言葉で正しく説明されると大変分かり易いですね。お嬢様、サンライズにも意味があるのでしょうか?」


 ルーンジュエリアの説明を受けたグランブルから質問の声が上がりました。

 てんぷらはともかく、サンライズはエング系魔法語に聞こえます。

 この二つは別の単語だと判断したのです。

 てんぷらが油の中で蒸し焼きにする料理法だとするならば、サンライズは何を意味するのでしょうか?


「もちろんですわ。ライズはエング系魔法語で揚がるの意味。浮き上がる事で出来上がりが判るてんぷらの重要な三種類と言う意味ですわ」

「三種類のライズ。具体的にはなんでしょうか?」

「まず何も付けずに油で揚げる。んー、肉の油焼きに近い料理法ですね。これを素揚げと呼びますが、これはサンライズに含みません。

 サンライズとは粉を振った空揚げ。水溶き粉でくるんだ天ぷら。そして玉子液でくるんだ黄金揚げ。黄金揚げはパンの粉で包んでサックリ感を出すフライにする料理法がおすすめですわ」

「フライですか?パンの粉で食感を高めると言う料理法は初めて聞きますな」


 フライはパンを食べる人たちが自分たちで食べる為に考案しました。

 パン粉は量を増やすだけではなく、パンも一緒に食べる目的があります。


「フライの意味はライズと同じく揚がるですわ。最初に名前を付けた人がそう名付けただけで、丸と四角、どちらが前とか後とか言うのと同じですわ」

「うーん。丸と四角の意味は分かりませんが、ご説明の内容は良く分かりました」


 ルーンジュエリアはそもそもそんな語源なのかも不明なまま、なんとなくで説明を続けます。

 前方後円墳がなぜ前方で後円なのかと言うと最初の人がそう決めたからです。

 地球世界はともかくとしてウエルス王国では彼女がてんぷらの発明者です。

 最初に言った者勝ちを自分にも適用します。

 不適当な判断ですが咎める人は存在しません。


「さて、まずは空揚げですわ。使う粉は手っ取り早く小麦粉でいいですわ。下味は肉に付けるか粉に付けるか付けないか。

 グランブル。どうでしょう?」

「今日の鴨肉は臭みがありません。下味を付けずにソースをお勧めします」

「ふみ。ではキサラ、調理をお願いいたしますわ」

「へ?わたしですか?」


 話を振られたメイドが慌てます。

 いえいえ、わたしには無理です。

 戸惑う笑顔でそう答えます。


「当然です。ジュエリアはまだ八歳のお子様ですわ。それともキサラは立派なお姉ちゃんになる夢を捨てますか?」

「お姉ちゃん。立派なお姉ちゃん。当然なります」

「ふみ。では油を鍋に入れて熱してください。肉は三回分しか使わないので、温度を上げている間に準備できます」


 お子様の説得でメイドの決意は固まりました。

 指示を出すルーンジュエリアにグランブルが訊ねます。


「ジュエリア様。油の温度はいかがしますか?」

「流石ですわ、グランブル。コロッと忘れてましたわ。低め高めで行きましょ」

「ん?まさか、二度揚げですか?」


 驚きの声が上がります。

 料理長の言葉を耳にしてメイドも訊ねます。


「二度揚げ?何故二度も揚げるんですか?」

「何故でしょう?はいキサラ」

「いえ、わたしが訊いています」

「ではグランブル。ソテーと同じ要領で考えて答えて下さい」


 料理長は腕を組み、あごに手を当てます。

 自分はこれでもプロの料理人。

 当ててやるぞと意気込みます。

 初めて聞いた料理ですが、詰まる所は既存の調理法の組み合わせです。

 これまでの経験を精査すれば正答できると確信します。


「ソテー?いや、これはソテーと逆ですね。強火で外を焼き固めて弱火を中まで通す。

 低温で中まで通して高温で外を固める。外はサックリ、中はしっとり柔らかく、でしょうか?」

「ふみ。キサラは今の意味が判りましたか?」

「申し訳ありません。全く分かりません」


 低い温度で中を柔らかく、高い温度で外を固くするのなら、調理中に火を強くすれば良いだけではないでしょうか?

 ルーンジュエリアはキサラの誤解に気が付きました。


「一番説明しやすいのがお肉ですわ。

 茹でたお肉、調理温度はお湯と同じですわ、これは柔らかいですね?」

「はい」

「焼いたお肉、当然お湯よりも高い温度で調理します、これはどうですか?」

「茹でた肉よりは美味しいですが固くなります」

「ふみ。物凄い強火で焼いたお肉、外側が焦げた状態ですね、これはとても固くなります。つまり調理温度で口に入れた時の食感が変わると言う事ですわ。

 ですが鉄板と違って油の温度はすぐには変わりません。だから温度の違う油に入れる二度揚げの手順が必要になるのですわ」

「外はぐにゃぐにゃさせずにかじり易く、中は肉汁があふれる柔らかさ。それを作ると言う事でしょうか?」

「ふみ」


 キサラは考えます。

 油で水溶き小麦粉を焼くのでしたら、出来上がりは油を入れ過ぎた玉子焼きと同じになるはずです。

 あれは確かにサックリと言う表現がふさわしく感じます。

 低温で揚げるのでしたら、茹で肉の柔らかさ。

 これが再現されるはずです。


「ソテーと逆で先に低い温度で調理するのは何故でしょうか?」

「一度目の油から揚げたあとで余熱で中まで焼けるからですわ」

「余熱ですか?」

「ああ、余熱ですね」


 グランブルも、そう言えばそうですねとうなずきます。


「聞こえる言葉は簡単ですが、内容はとても複雑です。わたしにそんな料理ができるとは思えません」

「できます。そもそもグランブルは毎日やっています」

「そうですね。ある程度の料理人なら誰でもできるのではないでしょうか?

 まあ、私達は毎日たくさんの料理を作りますので覚えた技術を忘れないと言うのも理由ですが」

「はあ」


 キサラは思います。

 とても一回では覚えられそうにありません。

 経験を重ねて体に覚えさせる。

 やはりそれが自分の目指すお姉ちゃんへの近道の様です。


「さてキサラ。そこで出て来る注意点が、料理は愛情、です。これを覚えます」

「料理は愛情。良く聞く言葉ですね、ジュエリア様。わたしは料理に愛情を入れるやり方が良く分かりません。ご指導、ご鞭撻をお願いいたします」

「キサラはうっすらぱーですの!」


 ルーンジュエリアは口を押えました。

 言いすぎましたわ。

 いえ、それよりも、そう思っているんですの?

 お嬢様は驚きを隠せません。


「料理に向かって口付けを投げ込んだり、食べる人の姿を夢想してにやにやしたり、料理に向かって愛情愛情と唱えたり、それで料理が美味しくなると思いますか?」

「違うのですか?」

「グランブル。油の火を止めて下さい。講義内容の前提を変更します」


 ルーンジュエリアは頭を抱えます。

 キサラは優秀なメイドです。

 だからキサラは全てに優秀だと思っていました。

 キサラが優秀なメイドである理由は経験の積み重ねと言う裏付けです。

 ですが彼女には配膳経験はあっても、調理経験はほとんどありません。

 これは大きな誤算です。


「ジュエリア様。もう少し言葉を濁して頂けると嬉しいのですが……」

「キサラが恥じ入る必要はありませんわ。知らない事は覚えればいい。これは教える側の問題ですわ」

「ん?何処がおかしいのでしょう?」


 料理長が疑問を呈します。


「グランブル。これはよくある間違いですが、分からない事が有れば聞きなさい。これは無理ですわ」

「え?分からない事が有れば聞く事は当然の事ではないのですか?」

「キサラ。疑問を感じるのはある程度知っている人間ですわ。知らない人間はそもそも疑問を感じません。

 間違いを間違っている事に気づかず実行する。これが分からないと言う事ですわ。ですからキサラにはある程度疑問を感じるのに必要な予備知識を説明しますわ」

「ふーむ。耳が痛いですな」

「え?何故グランブルさんの耳が痛くなるんですか?」

「ジュエリア様は、弟子の覚えが悪いのならお前の教え方が悪いんだと言われているんですよ」

「あのー。今のはそう言う話なんですか?」

「グランブルがそう思うのなら、グランブルにとってはそう言う事ですわ。とりあえずジュエリアは自分が無駄だと思う事はやりません。

 キサラ。ジュエリアは厳しいですわよ」

「はい。覚悟の上です」


 と言いながらも優しいんですよね。

 メイドはそう考えます。

 そして次の言葉を待ちます。

 愛情とは何でしょうか?


「愛情とは観察力の比喩的表現です。子供を育てるがごとく、注意深くその変化を見極めなさいと言う意味です。

 調理には順番があります。キサラの頭からは抜け落ちているようですが、これと同じように調理中にも順番があります。この調理中の順番が入れ替わる瞬間。これを見定める力が料理は愛情です。

 説明の内容が判らなくなった時は随時質問を許しますわ」


 ルーンジュエリアは考えます。

 キサラは家事では万能ですわ。

 料理もすぐに覚えますわ。


「ではまず、空揚げに対する愛情を確認します。グランブル。ジュエリアの言葉が足りなかった時には補足をお願いしますわ」

「判りました」


 料理は愛情講座。

 講義開始です。


「ふみ。ではまず肉の温度です。普通の家庭には冷蔵魔道具など有りませんからなたで温める、室温に戻す、水に漬けて冷やす、くらいですわ。

 キサラ。鴨肉の準備温度は人肌よりも上ですか?下ですか?」

「え?準備温度?グランプルさん?」

「ああ、普通は食材を冷やして保存しませんから馴染みが無いのは当然ですね。寒い時期に冷たい肉や凍った肉をそのまま調理すると灰汁あくが出て美味しくないと言う話です。

 んーと、鴨ですと私は人肌くらいにしています」

「上です。と言っても人肌とほとんど変わりませんからそれに合わせるのが良いですわ」


 キサラにとっては初めて聞く話です。

 肉を温めておく。

 実際にやって見ないとどのように美味しくなくなるのかは見当もつきません。


「まず大前提ですが、食材には上限温度がありますわ。特に鳥、獣など体が温かい生き物はその体温よりも四~五度温まっただけで肉が焼けて味が落ちます。不味くなる位なら冷めた状態で調理した方がましですわ」

「ああ、判ります。ですが上限温度は知りませんでしたな。ところで肉が冷めた状態で料理するのは、それはそれで良くありませんね。肉が固くなってしまい間違いなく美味しくありません。

 ステーキが柔らかく焼きあがるのは膨らむからです。冷たい肉でステーキを作るとステーキが膨らまないので固くなります。

 ハンバーグステーキの種となる肉団子は摩擦熱で肉が焼けないように冷水で冷やしながらこねるのですが、同じ理由で冷たい種を焼いたハンバーグは柔らかくふっくらと出来上がりません」


 グランブルも料理のコツを説明をします。

 焼きあがったステーキが固い理由は三つです。

 蓋をせず蒸し焼きにしなかったから水分が抜けたと乾いた肉を材料に使った、そして冷たい肉を使った事ですな。

 水分が抜けていない温かい肉を蒸し焼きすればステーキは柔らかく焼きあがります。


「ふみ。グランブルが言うのならそれが正解ですわ。キサラ、ここも大切です。

 さてそれでは、食材が最もおいしい温度です。これはその食材が生きて成長している温度です。鳥は体が小さいので人よりも体温が高いですわ。ゆえに鴨肉の美味しい温度は人肌よりも上です」

「成る程。そう言う事ですか」


 グランブルは考えます。

 これは野菜や果物にも言えるのではないでしょうか。

 地面に生える植物は寒冷期から温暖期、日中から夜中まで幅広く対応しています。

 ですがその範囲をはみ出す温度では味が落ちるはずですね。

 野菜炒めは強火で焼くように一気に作るべきなのかもしれません。

 このあとでやってみましょう。


「ではキサラ。お魚が美味しい温度は人肌よりも上ですか?下ですか?」

「下……冷たい状態です」

「正解ですよ、キサラさん」

「ありがとうございます」


 さすがキサラはできるメイドです。

 経験値の少ない料理のコツを着々と身に付けていきます。

 ここでふと疑問が湧きます。

 冷たいお肉で料理を作ると灰汁あくと言うものが出て味が落ちるそうです。

 でもお魚は冷たい水で生きています。

 冷たいお魚で調理しても灰汁あくは出ないんですか?


「はい、ジュエリア様」

「ふみ?」

「魚は煮たり焼いたりしますがそれでも冷たい方がいいのでしょうか?」

「生のお魚も生きていた温度に合わせて冷たい方がいいですわ。美味しい状態の材料を使う事が美味しい料理を作る近道です。ああ干物は調理途中の段階と考えますわ」

「成る程ー。そう言う意味ですか。自分がやっている事の理由を今更ながら知りました」

「ジュエリア達のような素人は体で覚える為の経験回数をこなせません。だから知識で補うのですわ」

「そうですね。理解しました。二度と忘れません」

「ふみ。その意気です。心強いですわ」


 お料理は調理する前から始まっています。

 その準備が終わりました。


「そう言えばお夕食には何をお作りになられるんですか?」


 お姉ちゃん育成計画が始まった理由はエリザリアーナに笑顔を取り戻す事です。

 これを忘れてはいけません。

 子供が笑顔になる料理としてルーンジュエリアは誰が食べても美味しいと言う料理を選びました。


「バカダラの油炒めと天ぷらですわ」

「あれ?手配の材料はジュエリア様のご希望通り、ホンダラとヤマウドですがそれで良かったのですかな?」


 バカダラは野原で採れた灰汁あくの少なくて味が弱いタラの芽、ホンダラは山で採れた灰汁あくが多く味の濃いタラの芽です。


「ふみ。どれくらい揃いますか?」

「最初にお話しした通りになりそうです。

 タラの芽は時期が終わりですから厳しいですね。ヤマウドは折れれば良いと言う事ですのでやくさん集まりそうです」


 山菜、野菜、柔らかい物は美味しく食べられます。

 固い物は筋張って美味しくありません。

 この見分け方は簡単です。

 スーパーで買ったアスパラガスで言うと手で折って、折れた所より上は柔らかいから美味しく食べられます。

 折れた下は固くなった皮を剝いて食べるか、諦めて捨てます。

 この方法は全ての山菜、野菜に当てはまります。


「ふみ。リアナにはジュエリアが作ると言いましたが実際にジュエリアが作ると調理場の方達の邪魔ですわ。よろしくお願いしますわ」

「お任せ下さいジュエリア様」


 そしててんぷらサンライズ。

 まず空揚げが始まります。

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