夕暮れ

 夕方。

 マフィアの活動が始まる時間。

 けれど僕の世話人は違う。日中は姐さんや広津さんと体術、剣術の稽古。最近は暗殺術の心得も学んでいる。

 そして仕事が始まる前には必ず昼寝をする。

 何故そこまでするのかと訊くと、僕の為だと云う。

「馬鹿な子だなあ」

 仕事が終わっても、森さんから与えられた勉強をして、途中で寝落ちている。

 僕の為になんかやらなくても佳いのに。

 君は将来を約束されている。幹部の娘という地位と首領の愛弟子という後ろ盾。それに強力な異能力。何をしなくても幹部に上り詰める事は出来る。それに気付いていないだけなのだろうか。

 長椅子に寝転ぶ彼女が寝返りをうった。掛け物が落ちた。僕はそれを拾って、掛け直してやった。夕日の橙が照らす彼女は陸に上がった人魚姫。

「卯羅……早く僕を見限るんだ。僕なんかに付き合ってなくて佳いから」

 泣きそうだ。何故だか涙が出そうだった。

 そっと髪を撫でた。

 もう一度。

 またもう一度。

「卯羅……卯羅……全部君の所為だ。君の所為で僕はこんなにも苦しいんだ」

 森先生からの処方。効能は自分で考えろと。だけど苦しいばかりだ。

 今日はもう僕だけで仕事をしよう。君はどうか休んでいて。

「だざいくん?」

 部屋を出ようとすると、微かに呼ぶ声。

 その声に僕は目を細めて答えてやるしか無かった。「卯羅、今日は休んでいてくれ」

「でも……お仕事あるでしょう?」

「僕一人で平気だ」

 ありがとう、そう云って、また寝たようだった。

「おやすみ、卯羅」

 上がってしまった口角は気付かれていないと信じて。

 誰かこの苦しみの名前を教えてくれ。

 君の手を握っていたいのに、離さなくてはと思ってしまう苦しみを。

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