怪我

「太宰くん、今回の件に就いては、君自身もよく考え給え」

 それだけ云って森さんは医務室を後にした。

 目の前の寝台には、額から左目にかけて包帯を巻かれ、口には酸素吸入機、両腕に点滴と動脈圧が挿入されている女の子。苦しそうに漏れた息が、群青の横髪を微かに揺らす。


 私は何時も通り部隊を率いて、敵の殲滅へ向かった。

 世話人との仕事は初めてでは無かったが、部隊に彼女を投入しては、丸っきり初めて。個として強力な異能力を持つ者が、組織の中でどういう影響を及ぼすかは、《羊》の件でよく理解した。

「卯羅は異能使わないで」

「何で?お花咲かせた方が早いよ?」

 既に手から花を溢しながら、首を傾げ、疑問を呈してくる。何と云えば納得するか。

「君のお花は綺麗だから、敵に知られたら厄介だ。マフィアの花を摘みに行こうって大挙してくるかもしれない」

「やだ!怖いもんそんなの」

 じゃあ、と母親に貰ったであろう短刀を握り締めた。

 銃撃と共に敵地へ踏み込めば、瞬く間に敵を薙いでいく。だが、決して私の半径二米以内から離れる事はない。右へ左へ。前へ後ろへ。飛び跳ねる兎の如く。私はその隙間から銃を扱う。

 そろそろ引き上げるかと、銃を降ろすと、身体に鈍い衝撃。何だ?と原因を見れば、足元に転がる青い子。呻きながらも立ち上がり、得物を握り直し、果敢に敵に向かう。

 かと思ったら私の前に立ち、顔を大きく左へ反らしながら血を飛ばす。

 私は咄嗟に銃口を相手の腹に突き当て引き金を引いた。「卯羅?卯羅!」あの甘ったれの卯羅が、痛いと喚かない。顔の左、いや、前髪を抑えながら「太宰くん、怪我してない?平気?」なんて笑う。

「僕は平気、でも君──」

「太宰くん、僕って云った!その方が可愛いのに。ね、前髪変じゃない?」

 延々滴る血液に気付いていないのか?呑気に前髪の心配をしている。額の右から、左の眉尻。

 私と彼女に動きがないからか、構成員が近寄ってきた。「太宰さん、如何しましたか!」

「ふむ……もう、皆殺してしまおう。うん。そうしよう。嗚呼、でも、三、四人は捕虜が欲しいな。それ以外は殺してしまおう」

 相応の対価が必要だろう。少なくとも、私の感情はそう命じている。

「じゃ、私も行く!」

「卯羅は駄目だ。君は私と待機」この子、もしかしたら失血するまで動くのかもしれない。そうなってどやされるのは私だ。「君、自分の怪我に気付いてないの?」

「……知ってるよ!痛いもん。痛いけどね、太宰くん護らなきゃ」

 まだ何時もの笑顔で笑って。「どうして君は私を護ろうと必死になるの?」

「それが私の役目だから。太宰くんがね、私に意味をくれたから」

 血の気が引いた。

 初めて掛けられた言葉だから?何処かで求めていた言葉?違う。そうではない。

 以前、仲間の為に命を投げ出すのは当然だと云った奴が居た。だが、今の今まで、私のためにそうしてやろうと云う人間は居なかった。

「……卯羅、君はもう下がれ。あとは私が全て片付ける」

 では、私は君を護れば善いのか?それで対価交換に成るのだろうか。

 本部楼閣に戻り、首領へ報告に行くと、凄まじい剣幕で姐さんに胸ぐらを掴まれ、世話人は直ぐさま医務室へ担ぎ込まれた。

「太宰くん。君にしては珍しいね」

「あの子、私を護るって云ってた」吸入酸素を加湿するための水嚢の音だけが響く。「どうして?何故あの子は私を救世主の様に云ったの?」

「云っただろ?彼女が薬だと」

「もっとまともな薬が善い」

 森さんは私の頭をぽんぽん撫でて、よく考えろと云ったきり、執務室へ戻った。

 こぽこぽ。すーすー。こぽこぽ。

 時折身動ぐが眼を醒ます様子はない。

 手に触れてみた。

 私が怪我をした時に、彼女がそうしてくれたから。

「痛くない、痛くないよ。手当ては終わったから、痛くないよ」声を掛けてみた。聞こえているのか解らないが。

 全然起きない。

 世話人はこの子なのに、何故僕が世話しているんだ?

 起きてよ。

「卯羅、君も普通の事をしたの?」

 暫く手を撫でていた。

 彼女は私の為に命を擲ったのだろうか。

 その事ばかり考えている。

 その内に私はとてもくだらない事を思い付いた。この間、彼女が云っていた事を試してやろう。

 そっと口付け。

 うっすらと見え隠れする瑠璃色。

 起きちゃった。

「だざいくん……?」

「おはよう。漸く起きた。怪我の具合はどう?」

「……痛い。あのね、太宰くんがこっち寄りでしか見えないの」

「あのね、君、額から左の眉尻にかけて切られたんだよ?」

 そうなの?と包帯の上から傷を触る。縫合されているだろうが、痕にはなるだろう。それを思ってか、急に泣き出した。

「大丈夫だよ、傷は森さんが綺麗にしてくれたから。ほら、あんまり泣いては痛いだろう?僕が居てあげるから、泣き止んで?それとも、このわんちゃんの方が善い?」

 犬のぬいぐるみを渡すと、抱き締めてまた泣き始めた。「今度は何だい?紅葉さんを呼ぶかい?」

「ちがうの……っ、だざいくん、いきてる!よかったぁ……よかったよ、ぉ……」

 暫くそう云って泣いた後に「おでこ、いたい」なんて云われたら笑うしかない。

「おや、太宰くん楽しそうだね」

「森せんせ!」嬉しそうに笑って。反対に私は口角が下がる。

「じゃあ僕は行くから。暫く安静にしていたまえ」

 自室でまた思考する。

 先生の処方した薬の効能に就いて。

 望みを引き延ばしてまで、眺めていたいと思ってしまった、瑠璃色の眼に就いて。

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